一人でディベートをしてみよう。
これは異なる二人の齟齬を練習するためのエクササイズだ。
似たような二人を設定してもよいし、
全然違う二人を設定してもよい。
二人にディベートをさせてみよ。
ディベートは、日本ではあまり馴染みがないが、
法学部や弁論部ではポピュラーな、
外人の議論のための練習法だ。
(アメリカの弁護士は、学生のうちからガンガンやって、
鍛えている)
ルールは簡単。
1vs1。
手段は議論のみ。
50:50ぐらいの問題を議論させる。
「人は生まれつき善か悪か」
「男女の間に友情は成立するのか」
「神はいるのか」
どちらかをA、どちらかをBと、結論を決める。
自分の主張や宗教とは切り離し、
与えられた結論を理性的な議論で、
相手より説得力溢れるように、
説得出来れば勝ち。
たとえば、
自分が生まれつき人は善であると考えていようが考えていまいが、
「善」サイドに立ったら、
その結論に導くような議論を展開しなければならない。
「自分はこう思うから」では議論ではない。
客観的な立場からの議論が議論というものだ。
相手の論理を論破するような、
反論を準備してきてもよい。
これは、嘘をつく練習でもある。
個人の信条を切り離して、
理屈だけで相手を言い負かす、論破する練習だからである。
ああ言えば上佑なんかは、これの達人だったね。
さて、私たちは凄腕弁護士を目指すわけではないので、
(彼らはその腕で、故意だったかそうでなかったかを、
争ったりするわけだ)
もう少し物語的な話題で、二者に議論させてみよう。
「昼は、カレーかラーメンか」
「仕事(受験)か、恋か」
「人は悪であることを前提に行動するのか、善か」
「ばれなきゃ何をしてもOKか、そうじゃないか」
前者をA、後者をBとして、
彼ら二人の一対一の会話劇(議論)を書きたまえ。
どちらが勝つと決めてから書いてもいいし、
アドリブで書いてもいい。
二種類やってみたり、
勝敗を変えた別バージョンをつくってもいい。
普通のディベートならば、
相手の論理を、こちらの論理でどう論破するかを考えるだけでよいが、
これは、両方を考えなければならない。
自分の論理、相手はこう思ってるだろうということ、
を2セット同時に走らさなければならない。
物語とはコンフリクトである。
最近僕はこれを、齟齬と訳して使っている。
この簡単なディベート台本は、
コンフリクトを描く為の、基本的な会話劇の練習である。
異なる考え方の衝突、
それぞれがそれぞれを上回ろうとすること、
相手の穴をつこうとすること、
説得すること、論破すること、脅すこと、なだめすかすこと、
相手をついに負かす瞬間、
あるいは逆転劇、
などの練習になるだろう。
結末を変えて別バージョンを書くのもよい。
ストーリーのうねりが、変わるはずだ。
使える手段を会話に限定したけど、
他のアクションも使えるなら、
ほとんどショートコントや、短編になりうるだろう。
まずは会話だけでやってみると、
会話劇の練習になる。
(縛りプレイは、自分を鍛える)
勿論、性格やIQを変えてもいいし、
動機を変えてもいい。
動機が難しいなら、
「負けた方は殺されるデスゲーム」ということにしてもよい。
物語はコンフリクトだ。
これが面白く書けたら、
物語の根本が分かってるということだ。
2016年06月02日
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