シド・フィールドの経験則に、
「開始10分から20分は、主人公を追うこと」
というのがある。
これは何のためだろうか。
僕は、感情移入の為である、と考えている。
開始10分までは、
おおむね世界設定の基本が終わり、
ストーリーの最初の一歩が始まっているはずだ。
そのあと10分間、主人公(だけ)を追うことは、
そのカタリストに対して、
主人公がリアクションを取る部分であるはずだ。
最初の事件に対して、
主人公が何をどう思うか、
何をどう判断して、何を行動するか、
その結果何かが起こり、
それに対してどう対処していくか。
何ターンのやり取りがあるかは脚本次第だが、
数ターンの、
主人公のリアクション(反応だけでなく行動も含む)
→周囲のリアクションの変化(反応だけでなく行動も含む)
があるはずである。
ここで主人公から視点を外さないことで、
この主人公がどういうやつかを示し、
何を考えているかを示し、
どういう行動をするやつかを示し
(言うだけのやつなのか、ちゃんと行動するやつなのか)、
なおかつその結果、
感情移入しなければならない、
と僕は考えている。
良くできた例:スパイダーマン2
スパイダーマンことピーターは大学生になり、
好きな女MJと同じ大学に。
ところがバイト暮らし(ピザ配達)が忙しく、
彼女と会えない。
ピザ配達中にも事件は起きる。
スパイダーマンに変身し、事件は解決するが、
ピザがタイムアウトしてバイト代はパー。
MJはアイドルとしてスカウトされ、
それをピーターに相談したいのだが、
時間が合わなくなってしまった。
スパイダーマンをすることは、キャンパスライフの邪魔にしかならない。
良くできた例2:ズートピア
主人公ジュディは正義感が強いが、
体が大きくズルい狐にいじめられる。
しかし持ち前の素早さでチケットを取り返す。
正義感を生かして警察学校に入ったが、
体の小ささから、劣等生に。
しかし次第に自分の素早さを生かすことを覚え、首席卒業。
両親と離れ、一人暮らしをはじめ、
ニューヨークのような人種のるつぼ(多種の動物が暮らす理想の町)
ズートピアで、警察官としての初日を迎える。
ところが言い渡されたのは、凶悪犯罪の担当ではなく、
駐車違反のチケット切り。
夜クタクタになって帰ると、田舎の両親から電話。
「思い描いた仕事かい?」と聞かれ、
「そうだ」と嘘をついてしまう。
主人公をきちんと追うことで、
感情移入に至るように巧みにセットアップがされていることが分かるだろう。
さて、主人公の気絶は禁じ手だ、
というのは、これらのチャンスを逃す可能性が大だ、
ということである。
書き手には、書けなくなるポイントがある。
それは初期衝動の終わったあとだ。
冒頭から書き始めたら、
最初に用意してたものがなくなるのは、
おおむね10分ぐらいである。(人によるけど)
未熟な書き手は、
ここでペースチェンジしなければならないのだが、
初期衝動のまま書き続けようとして書けず、
挫折してしまう。
初心者の最も多い挫折ポイントはこの辺じゃないかな。
本当は、練りに練った、
主人公を中心としたエピソード群(上の例のような)を追い、
主人公と一体化するようないいエピソードを用意するべきなのだが、
初期衝動だけの時点では、
未熟な書き手はそこまで用意していないことが多い。
そういう人たちがどういう間違いをするかというと、
最初の10分とは「別の初期衝動」を見つけて続けてしまう、
ということだ。
だから、主人公がせっかく出てきたのに、
その主人公を追うべき10-20分のところで、
別の人物が出てきてまたそのはじまりを書いてしまうのである。
「初期衝動で冒頭を書く」書き方しか知らないから、
こうなってしまうのであろう。
それ以外のやり方、
つまり練りに練ったエピソードで主人公へ感情移入させる、
を知らないから、
バカの一つ覚えを繰り返してしまい、
結果、話は面白くならない。
何故なら最初に出てきた主人公は、
次の10分でわりと無視されるからである。
シド・フィールドの経験則は、
これを戒めている、と僕は解釈している。
ところで、ファイアパンチが何故面白くないか、
の答えがこれだ。
1話は初期衝動で書ける分量だが、
2話以降は、丁度10-20分のパートに当たるところなのだ。
原則に従えば、火男となったアグニを、
徹底的に追うべきだった(スパイダーマンやズートピアのように)。
しかし、サンを中心にしてみたり、
ユダを出してみたりと、
いつまで経ってもアグニを追わない。
それは、初期衝動で書く以外の方法を知らない、
作者の未熟だと僕は考えている。
で、この作者はどうしたか。
気絶させて時間停止を選んだ。(頭パンパン)
主人公の気絶は、悪手である。
主人公への感情移入を失うリスクが高い。
事実、1話で私たちが感情移入した「復讐心」は、
2話以降一度も現れないし、
1話以上深くも広くもならないし、
アグニが今何を考えているか、
何に対してどう行動するかがないので、
ほぼ0に戻っている。
せっかく点火した火が消えたわけだ。
これをもう一度点火するには、
1話以上の衝撃が必要だ。
妹が生きていた?となる5話でその衝撃が訪れたが、
そのカンフル剤も効かなかったようだ。
冒頭部で点火された私たち観客の心は、
次のパート、主人公へのフォーカスで、
主人公に感情移入の炎が定着する。
定着するほど心を奪われたら、
あとは別の人物にフォーカスしても、
主人公視点で世界を見ることが出来るというものだ。
その物語の法則を、
ファイアパンチは守れなかった。
作者の未熟によってだ。
(勿論この法則を知っていて、あえて外すやり方もあり得る。
だが、この作者はこの法則が出来る上で外しをやっているのではなく、
ただ出来ないように見える)
主人公の気絶は悪手である。
未熟な作者の、
「主人公に向き合い感情移入させるパート」からの、
逃げ場になる可能性が大だからである。
物語とは、
時間経過で私たちの心がどう動くかである。
冒頭部で点火させたら、
それを主人公に固定するのが、
冒頭部あけの10-20分のパートの役割だ、
と心に刻んでおこう。
2016年06月04日
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