2016年06月07日

何故その場所にいるのか

シーンを選ぶことは、ストーリーにとって大事なことである。
単なる会話ですら、場所によって大きく違う。
好きな子との何気ない会話が、
渡り廊下と、屋上と、駄菓子屋と、コンビニと、ガード下のトンネルでは、
ストーリーに与える影響力は違うものだ。



さて、
何故その場所にいるのか、自然な流れであれば説明しなくてもスムーズに話は進む。
試験を受ける焦点(文脈)のとき試験会場にいることや、
痩せる焦点(文脈)のときにジムにいることは、
何ひとつ不自然ではない。

不自然な場所にいるときが肝である。
それは絶対、その場所にいることを利用して、
のちに何かが起こるときだ。

二通りある。

1. 不自然な場所にいることを説明してから、話を進める。
2. 無視して話を進める。

それは不自然さの度合いによると思う。
突然公園に場所がうつって、
「静かな場所で話がしたかったんだ」
と冒頭に説明台詞が入るかどうかは、
文脈次第だろうね。

ここで注意すべきは、
こういった不自然さを解消する説明台詞が、
「そこでこの場所を選んだのかあ!」
という伏線になっていることがとても多いことだ。

公園の例だと、
雑音が入る場所では録音しづらいから、
証拠の音声を録音するために公園に行ったのだ、
とあとで分るなどである。
「それで静かな場所、って言ってたのか!」
と、伏線と解消の関係になるわけだ。


自然な場所なら、問題なく進めよう。
不自然な場所、何かを秘めた場所なら、技術がいる。
上手く伏線を張れるかな?

いや、意図的に張るとばれやすい。
この場所を選んだ人物に、
別の人物が聞けばよい。「どうしてここなの?」と。
正直に答えるも良し、ここで引っ掛けをつくっておくも良しだ。

「どうしてここなの?」を毎回使うのはあれだから、
自分で説明しながら本題に入るなど、色々な工夫をすると良いだろう。
公園の例なら、「木が音を吸収するからかな、都会でも公園は静かだね」
なんて台詞で、説明台詞と悟られないようにする手もある。

勿論、何も説明せず話をはじめてしまってもいい。
その違和感が、伏線になるだろうから。



問題は、下手くそも文脈に不自然な場所を選んでしまうことである。
意図的に不自然な場所にするのではなく、
下手だから不自然な場所であることを気づかない、という。

観客や読者は、「これは何かの伏線かも知れないぞ」と注意深く見るのだけど、
何にもなってないことが多いよね。


文脈に自然なシーンを選ぼう。
不自然なシーンなら、そこに作者の作為があるということだ。
その作為を悟られないように、場面を組み立てていく。
posted by おおおかとしひこ at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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