シーンを選ぶことは、ストーリーにとって大事なことである。
単なる会話ですら、場所によって大きく違う。
好きな子との何気ない会話が、
渡り廊下と、屋上と、駄菓子屋と、コンビニと、ガード下のトンネルでは、
ストーリーに与える影響力は違うものだ。
さて、
何故その場所にいるのか、自然な流れであれば説明しなくてもスムーズに話は進む。
試験を受ける焦点(文脈)のとき試験会場にいることや、
痩せる焦点(文脈)のときにジムにいることは、
何ひとつ不自然ではない。
不自然な場所にいるときが肝である。
それは絶対、その場所にいることを利用して、
のちに何かが起こるときだ。
二通りある。
1. 不自然な場所にいることを説明してから、話を進める。
2. 無視して話を進める。
それは不自然さの度合いによると思う。
突然公園に場所がうつって、
「静かな場所で話がしたかったんだ」
と冒頭に説明台詞が入るかどうかは、
文脈次第だろうね。
ここで注意すべきは、
こういった不自然さを解消する説明台詞が、
「そこでこの場所を選んだのかあ!」
という伏線になっていることがとても多いことだ。
公園の例だと、
雑音が入る場所では録音しづらいから、
証拠の音声を録音するために公園に行ったのだ、
とあとで分るなどである。
「それで静かな場所、って言ってたのか!」
と、伏線と解消の関係になるわけだ。
自然な場所なら、問題なく進めよう。
不自然な場所、何かを秘めた場所なら、技術がいる。
上手く伏線を張れるかな?
いや、意図的に張るとばれやすい。
この場所を選んだ人物に、
別の人物が聞けばよい。「どうしてここなの?」と。
正直に答えるも良し、ここで引っ掛けをつくっておくも良しだ。
「どうしてここなの?」を毎回使うのはあれだから、
自分で説明しながら本題に入るなど、色々な工夫をすると良いだろう。
公園の例なら、「木が音を吸収するからかな、都会でも公園は静かだね」
なんて台詞で、説明台詞と悟られないようにする手もある。
勿論、何も説明せず話をはじめてしまってもいい。
その違和感が、伏線になるだろうから。
問題は、下手くそも文脈に不自然な場所を選んでしまうことである。
意図的に不自然な場所にするのではなく、
下手だから不自然な場所であることを気づかない、という。
観客や読者は、「これは何かの伏線かも知れないぞ」と注意深く見るのだけど、
何にもなってないことが多いよね。
文脈に自然なシーンを選ぼう。
不自然なシーンなら、そこに作者の作為があるということだ。
その作為を悟られないように、場面を組み立てていく。
2016年06月07日
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