縛りプレイのように、
自分に何かを課して書くことは勉強になる。
これまでも、ワンシチュエーション縛りなどを推奨してきた。
縛りは、制約というマイナスで考えるといいことがない。
それを利用した新しい発明をして、
はじめてプラスに転じることが出来る。
たとえば、
NHKの「娘の出ていった部屋」だけど、
予算のなさを逆に利用している。
娘の出ていった部屋は、荷物が片付いているはずだから、
美術セットを沢山入れずにすむ。
娘の新しい部屋も、引っ越したばかりだから、
段ボールを積むだけでよく、
これまた美術セットを沢山入れずにすむ。
予算がないときは、ワンシチュエーションで考えるのが鉄則だ。
美術セットが一番金がかかるからである。
だけど、ワンシチュエーションの話は限界があるし、
「春から大学生になる」という広告の目的を達成する、
分かりやすい絵が撮れない、と思い、
予算のなさを逆に利用して、
「ふたつの簡素な部屋を使う」というアイデアを思いついた次第だ。
言われてみれば当たり前なのだけど、
ワンシチュエーションで凝り固まった頭では、
決して出来ない発想だ。
頭はこうやって使うものである。
さて、縛りプレイ。
僕は今二人芝居を書いている。
二人しか出ない映像作品ならずいぶんと話が限定されるけど、
二人芝居というカテゴリなら、
三人目がいる体で話を続けることも可能だ。
で、ついこないだ思いついたのが、
「芝居の文法で三人目がいる体で、二人芝居を続けていたのだが、
三人目は実は片方にしか見えていない幽霊であった」
というトリッキーな落ちだ。
芝居の文法を逆に利用してやったわけだ。
「二人しか出ない話」という制約では、
発想にマイナスがかかる。
その中でしか発想しない、詰まらない枠組みに自分を閉じ込めることになる。
それじゃ面白くない。
「三人目もいるという舞台芝居を見せておいて、
実は三人目はいなかった」
と、二人芝居を逆利用することで、
二人芝居形式の凄みを再発見するという構造なのだ。
(ちなみにどこかで発表するかも)
昨今は縛りが多い中でやらなければならない。
だけど、それらをひとつずつ守っていても、
面白いものは作れない。がんじがらめになるからだ。
その縛りを逆利用することだけが、
発想をまるで変えた、面白いものに化ける可能性がある。
2016年06月08日
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