枠を最初に設定して、その中で作るから。
既存のものをはみ出した面白いものを先につくり、
それに合う枠を作るように、
ビジネスを作っていないから。
つまりいい意味でも悪い意味でも、
もうインフラが出来てしまったから。
たとえば、
宮崎駿という突出した才能。
彼の才能を保つために、
鈴木氏が、アニメージュに、
漫画ナウシカを連載させる枠を作った。
宮崎駿のルパン2期の演出作
(さらば愛しのアルバトロス他)
を見ても分かるように、
宮崎駿の才能は、
ルパン三世の枠組みをはみ出した傑物だ。
面白いがいつものルパンではない。
これを、
ルパンの枠に合わないから捨てるのか、
この才能に見合う枠組みを用意して暴れてもらうかは、
プロデューサーの選択であり、仕事だ。
鈴木氏は、後者を選んだ。
大体アニメ誌に漫画を連載する意味が分からない。
それ自体「アニメ誌の枠組み」を逸脱した行為である。
しかしその枠組みを、はみ出した宮崎駿の為に作ったことで、
ナウシカは名作たりえた。
スタジオジブリだってそうだ。
ナウシカはジブリ作品ではないのは有名。
宮崎駿のアニメ監督の場を作るための、
鈴木氏が作った枠組みなのである。
勿論、
監督や作者が枠組みごと作れればプロデューサーは必要ない。
たとえばストリートパフォーマーや、
売り込みの上手な人や、
会社経営に詳しい人は、
自ら売り込んで売れていくのかも知れない。
しかし、作家というのは、
極めてコミュ障なものである。
現実世界で不幸だから、架空世界を作るのに熱心なのだ。
だから、自分からビジネスの枠組み作りをして、
さらにはみ出した傑作を作るなんて二重に大変なことは、
きっと出来ないだろう。
会社員を長いことやっていると、
既存の枠組みをはみ出して何かをやろうとすると、
会社から警告が来るようになる。
本業を疎かにし、というのがその主な理由だ。
本業って、そんな口を開けたらやって来るような、
安定した儲け手段なんだっけ?
まあ、実際のところ、
80年代や90年代では、
会社員として何かを冒険して、
軌道に乗れば、自分で会社を起こして成長していったのだろう。
そういう栄枯盛衰が、人類の進歩だったのだ。
それが最近停滞していることは、
我々全員が感じていることだ。
ネットフィリックス、アベマTV、ビーTV、
古くはWOWOWなど、
どうにかして新しい枠組みを作り出そうとする、
プロデューサー達の奮闘に僕は協力したいのだが、
オファーも来ないので売り込みようもないなあ。
ということで、
最近、新しい枠組みを勝手に作った。
商売のラインに乗り、皆さんの前に披露できるかは分からないけど、
コツコツ頑張ろうと思っている。
中身は面白い。
昨日見た詰まらないテレビの100倍ぐらいは面白い。
あとはこの枠組みを理解して、
既存の枠組みに収まらないから、
どうにかして枠組みを作ってくれる人や組織を、
探すだけである。
邦画は曲がり角に来ている。
既存の枠組み(人気原作と人気芸能人で出資を募り、
テレビで大量宣伝して、中身のスカスカな映画をイベントする。
あるいは、誰も知らない所でひっそりとオリジナルをやる)
は、限界に来ている。
新しい枠組みを作らないとダメだろう。
地方の興行を壊滅させたシネコンは、
そのうち墓場になるだろう。
中央においては、既存の枠組みにはまらない映画を興行する、
単館系は壊滅の危機である。
映画館チェーンごとの、枠組みの再編が必要と感じるのだが、
物理的な土地や建物のことを考えると、
その枠組みを簡単には改変出来ないだろうね。
つまり、映画ビジネスは、この先やばい。
テレビはもう終わりかけだろう。
貧すれば鈍している。
ネット動画は、素人投稿は盛んだが、
プロフェッショナルの面白さは対価に見合わないからほとんどない。
ストリートパフォーマーのように、
玉石混淆ではあるが。
何故面白いものが生まれにくくなったのか?
面白いものとは、既存の枠組みをはみ出すものをいう。
何故なら、同じ枠組みは過去見た範囲でしかなく、
面白いものとは、新しいものだからだ。
会社員たちは、既存の枠組みの中で作ってくれと依頼し、
その枠組みをはみ出すと、むしろ怒ってくる。
新しい枠組みを作ろうとする者は、
既得権益サイドから干される。
オリンピックの談合を見ていれば明らかだ。
真のビジネスマンは、既存の枠組みを越えることをすると思う。
それは大変な苦労や苦痛やリスクを伴うと思う。
しかしそうしない限り、
私たち作家が、新しく面白いものを、作って世に出せないのだ。
まあ、俺は内輪で勝手に工夫しようとしてるけど、
本当はそういうビジネスマンと組みたいものだ。
2016年06月09日
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鈴木敏夫に焦点を当てた番組をいくつか見た事があるのですが、
勿論テレビですからうまいこと編集されてるとは思いますがそれでも、
滲み出てるんですよね、相手の誘導の仕方、言葉の選び方のうまさ。
それらを駆使して「宮崎駿」という新たなるジャンル新たなる枠を作り上げていったんだろうなと。ビジネスマンですね。
一度ビジネスと創作活動を両立しながらの生活を1年程試みた事がありましたが無理でした。使う脳みその部分が違うといいますか、脳みその疲れが半端ないといいますか…結果ろくな作品を作れませんでした。私が不器用なだけかもしれませんが。
地道に作って地道に発表していくしかないですね。
行動を起こし続けなければ仕事仲間や枠組みを整えてくれるザ・ビジネスマンには巡り会えませんしね。
それにしても理解されない中、コツコツと孤独に作品作りをしていくというのは本当に辛い。でもやってる中身は面白い。辛い。面白い。辛い。面白い。困った毎日です。
ちなみに宮崎駿作品は物語のタガがはずれた後期の方の作品がゾワゾワと面白いのですが、なかなか人に理解されない…。困った毎日です。
何やら茨道を歩いているようで。
役に立つか分かりませんが、
孤独に創作する人へ向けて、
ストーリーということを中心にここで書いています。
何か参考になれば。
ちなみに、後期宮崎のほうがゾワゾワするのは全然分かりますよ。
一体どうなるんだろう、ってね。
でも「それはどうにもならなかった」ばかりなので、
僕は大嫌いです。
もののけ、ハウル、ポニョ、風たちぬ、全部嫌い。
落ちもテーマもない、思いつきを見させられただけ。
(脚本を書かずにコンテ起こしからやってるらしいですが)
一体なんやったんや。
それに答えるのが、ストーリーという枠組みだと思います。
ちなみに、ゾワゾワとストーリーは、僕は両立すると思っています。
ハウルを初めて見た時「一体なんやったんや」状態でした。
コンテ起こしから、もですが、アイディアやひらめきをスケッチしてそれを繋ぎ合わせていく、という制作スタイルなのだそうです。後期の作り方ですね。物語としてのタガがはずれてしまってます。
思いつきが散らかってる状態なのですが、もうあれは「あとはお前らが考えろ」と投げ出されてる感じです。
それで「ちゃんと仕事しろコノヤロー!」とならないのはきっと私が宮崎駿という爺様に愛着を持ってしまってるからですね。
「わかりました考えます」と受け止めてしまったので、ゾワゾワ感が面白くて自発的に楽しんでしまっているのでしょう。
好きな作品とまではいかないのですが、たまに「一体どういう事だったのだろう」と考えたくて観てしまいます。
1日の終わりにここに来るのが日課になりつつあります。
どの記事を読んでも面白いんだなあ。お疲れ様です。
このブログは、そういうやり方を全否定している、
脚本作りについて解説をしております。
殆どの凡才が宮崎の後期スタイルを真似したって、できやしねえから。(笑)
ピカソの後期だけ真似してもしょうがないのと同じ。
宮崎の初期(コナンあたり)、ピカソの初期(青の時代とか?)は、何を学んでいて、何を工夫していたのか。
そういうことを書こうと奮闘しております。
何故って、脚本において、そういうのを教えてくれる人がいなかったし、今もいないから。
楽しんで頂いているのなら本望でございます。