2016年06月10日

まず感情を震わせろ

得意なパターンでいい。
爆笑、いい話、度肝を抜く、はっとさせる、
泣ける、あったけえ、ショッキング…
なんでもいいから、
序盤のうちに何か心を震わせるといい。


心が震えると、
観客はその作者を信用する。

いつまで経っても面白くならない駄作ではなく、
私たちが楽しめる作品であると。

そして、次の心が震える瞬間を楽しみに待ち望むようになる。
ここで、同じ震え方を持ってくるのか、
違うのを持ってくるのかで分岐がある。

最初に笑わせて次も笑わせたら、
この作品はコメディだと皆は認識する。

最初にダークな気持ちにさせて、次もダークな気持ちになったら、
この作品はダークファンタジーだと皆は認識する。

最初にAで次にBにしたら、
この作品は、A、またはB、あるいはABにまたがる作品、
あるいはCの序章かも知れないと、皆は認識する。

どのやり方でもよい。

最悪なのは、いつまで経っても心が震える瞬間のないものだ。
次にダメなのは、一発目だけあって、二発目が来ないものだ。(出落ち)

笑いが滑ったり、泣ける想定なのに泣けなかったり、
驚く想定なのに驚けないのは、単に滑っているという。
即刻書き直したまえ。



ファイアパンチを例にとれば、
一発目は、インパクトのあるダークファンタジー、
という感じだった。
(妹近親相姦や、人肉食いで、プラスショッキングを感じた人もいるだろうし、
見開きドーンとかでもね)
ところが、二発目が単なる変態性癖で埋め尽くされて、
以降は出落ちばかりでストーリーの線が見えてこない。
(ストーリーの線とは、目的の実現のための、
奮闘の軌跡のこと。たとえばアグニは、目的の実現のために、
歩いているだけで、自力でドマを探し当てていない。
偶然首を切られ、偶然ドマが見に来ただけだ)

ダークファンタジー、変態性癖、と来て、
三発目が来ない。
その欲求不満が、ファイアパンチを気にさせる正体である。
ダークファンタジー×変態性癖、という話でもなさそうだし、
ダークファンタジーメインの作品でもなさそうだし、
変態性癖メインの作品でもなさそうだし、
そうではない、第三の方向性を持つ作品でもなさそうだ。

1、2、3を打てば、作品のおおまかな方向性は決まる。
1で基礎を打ち、2で裏を打ち、3で全然違うものを持ってくる。
あるいは、
1で露払いし、2で更に裏を露払いし、3で本命を出す。
1で露払いし、2が本命で、3で展開のための楔を打つ。

色々なパターンがありうるし、どれを使ってもいい。

ファイアパンチの問題点は、
1、2と来て3が見えないことである。2カ月待ってね。
もし映画女が3の要素だとしたら結構しんどいぜ。
復讐のダークファンタジー×変態性癖×メタ視点映画女、
という世にも奇妙な掛け算になるだろう。
それは食い合わせの悪いものが入った、不味い丼みたいなものだ。



恐らくだけど、
映画脚本では、
これを15分以内、遅くとも20分以内に済ませないと、
観客がどう構えていいか分からなくなってしまう。
逆にそこまでで面白ければ、観客は作者を信用し、
安心して身を任せる、ということだ。
本格的第一ターニングポイントが30分だから、
その2/3程度には済ましておけ、という感じ。

序盤はセットアップだ、というのは言葉の誤解である。
セットアップだけしていれば言い訳ではない。
それでは設定の羅列になるからだ。
序盤から、面白いドラマが始まっていなければならない。

それで、決定的ポイントの2/3ぐらいまでには、
三つぐらいは心の震えるポイントがあり、
それらの質が作品の方向性を決めてなきゃならない、
ということだ。

これは難しい。
だから、序盤は難しいのである。


対比的に、ズートピアの序盤は実にしっかりしていた。
キツネにやられる感情、
それを出し抜いてチケットを盗んだしたたか感、
正義の使徒になりたい思いからの、
小柄を利用した警察学校での奮闘、
両親との別れ(一端列車のなかに入って、
走って出てきて抱き締めるのは、とても良かった)、
大都会へ出るときの不安とワクワク、
初日終わって帰ってきて、両親と電話して嘘をつくとき。

これらの心が震える瞬間が、
いくつも丁寧に配置されていたからこそ、
私たちは、
「バディコンビの失踪事件解決もの」という大冒険(二幕)へ、
安心して身を任せることが出来るのである。

(ここまでで体感で20数分だったと思う。違ったらすいません)


出来るなら、それらは主人公の感情移入を伴うとよい。
僕はズートピアでは、既にここで感情移入していたが、
ファイアパンチでは、まだ感情移入していない。
(勿論、漫画と映画の、ページ数と尺の関係は一致しないだろう。
20数分と二ヶ月分のページの感覚が同じでもないし)

主人公が自ら奮闘するエピソードがいくつあったか、
数え上げると明らかになると思う。

映画はアクションだ。
それはカンフーとかレースとかのアクションではなく、
doで数えるということを意味する。

主人公にdoさせ、複数回心を震わせ、
その組み合わせで作品の方向性を示し、
なおかつ全体のセットアップもこなし、
感情移入もさせる。

序盤が難しいのは、
これを全部自然にやらなければならない、
ということに尽きる。
posted by おおおかとしひこ at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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