どちらも、めくるめく「新しい世界」が待っている。
そこでは新しいことが待っていて、
それはこれまで経験したことがなく、
知ること、分かっていくこと、体験することが、
とても楽しいものである。
人気のある「世界」は、繰り返し作られる。
微妙に違うけど似たような世界で、
今日も数々の冒険が行われ、新作が作られる。
それらは王道と呼ばれたりする。
王道じゃないやつは、全く新しい世界を扱う。
何かと何かの組み合わせだったり、
組み合わせにすぎないと言われないぐらい、
練り込まれた新しさだったりする。
ここまでは、オープンワールドと物語は、
同じである。
何が違うのだろうか。
物語は、新しい世界を味わうものである。
最もよくあるものは、「現実世界」だ。
それは我々に身近で、想像しやすいからだろう。
現実世界といっても、
個々の人間が属さない、
架空の現実世界を扱う。
だから、その世界は現実世界とちょっと違う。
現実世界を舞台にした物語は、
そのちょっと違う現実世界で起こる、
興味深いことを楽しむ。
こんなことが俺の周りで起こらないかな、などと妄想しながら。
あるいは、現実世界と全く違う世界が舞台のこともある。
中世ファンタジー、SF、時代劇などは人気だ。
あるいは、刑事、弁護士、医者、殺し屋、ヤクザ、軍隊、
芸人、歌手、ダンサーなどの特殊職業ものは、
普段経験できない特殊な世界ものとして人気である。
いずれにせよ物語論では、
これらを「スペシャルワールド」と呼ぶ。
この全く新しい世界の体験こそが、
物語の魅力のひとつだ。
たとえば「風魔の小次郎」なら、風魔忍者対夜叉一族の世界、
「ファイアパンチ」なら、氷の魔女に支配された祝福者の蠢く世界、
「ズートピア」なら、動物全員が仲良く暮らす、
ニューヨークのような人種のるつぼの世界だ。
オープンワールドの魅力も、それに尽きる。
僕は殆んどやったことないけど、
オープンワールド系やオンラインRPGなどは、
その世界で生きることがとても楽しそうである。
だって特別な世界なんだぜ。
スターウォーズオープンワールドとか出ないのかね。
作り込みが難しいのかな。
ディズニーが買ったんだからやりそうなもんだけど。
あ、個人的にはFSSのオープンワールドとか超やりたいです。
全モーターヘッドに乗りてえ。
これらの世界の魅力を、
まとめて「世界観」と呼ぶことにしよう。
オープンワールドは、世界観の魅力を味わうものである。
さて、物語だ。
物語の魅力のひとつに、世界観がある。
しかし、それが魅力の全てではない、
ということに尽きる。
何故なら現実世界をベースにした物語にも、傑作があるからだ。
映画は、撮影の容易さから、
現実世界をベースにした世界観を取る確率が高い。
要するに、滅多にファンタジーなど作れない。
CGの発達によって、これまで作れなかった、
現実世界ではないスペシャルワールドが作れる可能性が出てきたが、
邦画の爆死を見る限り、練りは全然足りない。
たとえば映画「ファイナルファンタジー」の超爆死は、
私たちに「映画は世界観だけでは成立しない」ことを教えてくれる。
(先日、ふと見ようと思ってレンタルを探したんだが、
ねえんだよ。どなたか持ってませんか)
さて、物語とオープンワールドの差は何か。
ストーリーがあることである。
ストーリーとは、
強制的に一次元の時間軸で進行する、
一本道のことだ。
オープンワールドはストーリー否定である。
どこに行って何をしてもいい。
むしろ一本道なんて真っ平だ。
自由さがオープンワールドの最大の特徴だ。
ここに至るまで、
マルチエンディングや、分岐ストーリーや、
自由度がありながらフラグを立ててイベントをクリアすることや、
基本自由だがミッションコンプリートや、小イベント発生、
など、一本道ストーリーが、徐々に解体されていった感がある。
スペシャルワールドを自由に冒険したい。
その心は、私たちのDNAに入っているような気がする。
だから、ゲームにおける一人称では、
ストーリー進行は、第三者からの枷に感じるのだ。
ところで、僕は物語の基本は三人称だと考えている。
物語とオープンワールドの違いは、
三人称と一人称の違いと言ってもいい。
つまり、
物語は、スペシャルワールドを舞台にした、
誰か他人の一本道のストーリー進行であり、
オープンワールドは、スペシャルワールドを舞台にした、
自分が勝手にやること、である。
もし同じスペシャルワールドを舞台にするとしたら、
あなたが勝手にやる冒険よりも、
物語が提供する、誰か他人のストーリー進行のほうが、
面白くならなければ、
物語よりもオープンワールドのほうが面白くなってしまうだろう。
これは、多くのゲームで、
シナリオより世界観だと言われる所以である。
つまり、要するに、ゲーム界でのシナリオライターは、
地位が低いし実力も足りないのである。
第三者視点の、他人のストーリー進行は、
感情移入が決め手となる。
全然知らない他人に、興味を持って見ているうちに、
いつの間にか自分と同一視してしまうことだ。
(何度も言っているとおり、感情移入は好きな人にしか起こらない訳ではない。
嫌いな人にも起こるのが、真の感情移入である)
それには、
まず呼び水となる、事件や境遇に感心を持つこと、
から始め、
彼または彼女のリアクション(顔芸ではなく、
それに反応して行動すること)を追うことで、
彼または彼女と共にストーリーを歩み、
ターニングポイントで重要な決定をすることで緊張させ、
いつの間にか彼または彼女と、
このストーリーの行く末を見届けることが、
楽しみになっていることが肝心だ。
つまり、そんな面白いストーリーを連発出来ない、
ぼんくらシナリオライターが沢山いるから、
オープンワールドの隆盛を招くのである。
自分がやる冒険は、
自分でやるスポーツに似ていて、
他人のストーリー進行は、
スポーツ観戦に似ているかも知れない。
自分でやった経験があると、スポーツ観戦は楽しい。
プロの凄い試合なら尚更。
草野球なら野次るのも楽しい。
現実世界が物語の基本舞台に設定される理由は、
多くの人が現実世界というスポーツ経験者だからだ。
あなたの紡ぐストーリーは、
もし現実世界を舞台にしてるなら、
多くの現実世界経験者から見られる、プロスポーツ試合のようなものである。
ヘボかったら、野次られるのは当たり前だよね。
勿論、それを避けて、王道世界じゃない特殊世界で、
勝負しようとする人もいる。
野次が出ないところに自由にやれるだろう。
そうしたら、そのスペシャルワールドの世界観を素早く伝えないと、
もたついてしまうだろう。
オープンワールドの冒険は世界を理解する楽しみであるが、
物語の楽しみは、それだけではないからだ。
さて。
あなたは、どのようなスペシャルワールドを提供してくれるのか。
そのオープンワールドで冒険してるだけで面白い、
世界観のしっかりしたものか?
それとも現実世界ベースの、多くの経験者が共通して持つ世界観か?
それをちょっとだけひねったやつか?(これが一番多いだろう)
それは、自分が冒険する一人称よりも、
全然面白い、誰か他人の三人称ストーリーだろうか?
草野球ではなくて、プロ試合並になっているだろうか?
ちなみに、スペシャルワールドでジャンルわけをするのが、
どうやら日本の習慣のようだ。
アクション、恋愛、戦争、西部劇、ミステリー/スリラー。
あるいは、医療もの、刑事もの、コメディ。
見た目のジャンルわけ、ということである。
オープンワールドものでも、
中世ファンタジー、未来ロボット世界、ダークファンタジー、
荒廃した戦争世界、スチームパンク、スペースオペラ、
歌舞伎町ヤクザ世界、
なんて見た目のジャンルわけがあるだろう。
僕は、映画のこのジャンルわけにはあまり意味がないと思っていて、
脚本の構造によってジャンルわけすると面白いと考えている。
何故なら、スペシャルワールドの魅力は、
ストーリーの魅力より下位だと考えているからだ。
(そこまで研究したわけではないから、
全ての横断的ジャンルわけには挑戦しないことにしている。
ブレイクシュナイダーのジャンルわけはとても興味深い。
「Save the cat」の中で見ることができる)
2016年06月12日
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