2016年06月12日

オープンワールドと物語の違い

どちらも、めくるめく「新しい世界」が待っている。
そこでは新しいことが待っていて、
それはこれまで経験したことがなく、
知ること、分かっていくこと、体験することが、
とても楽しいものである。

人気のある「世界」は、繰り返し作られる。
微妙に違うけど似たような世界で、
今日も数々の冒険が行われ、新作が作られる。
それらは王道と呼ばれたりする。

王道じゃないやつは、全く新しい世界を扱う。
何かと何かの組み合わせだったり、
組み合わせにすぎないと言われないぐらい、
練り込まれた新しさだったりする。

ここまでは、オープンワールドと物語は、
同じである。
何が違うのだろうか。


物語は、新しい世界を味わうものである。
最もよくあるものは、「現実世界」だ。
それは我々に身近で、想像しやすいからだろう。
現実世界といっても、
個々の人間が属さない、
架空の現実世界を扱う。
だから、その世界は現実世界とちょっと違う。

現実世界を舞台にした物語は、
そのちょっと違う現実世界で起こる、
興味深いことを楽しむ。
こんなことが俺の周りで起こらないかな、などと妄想しながら。

あるいは、現実世界と全く違う世界が舞台のこともある。
中世ファンタジー、SF、時代劇などは人気だ。
あるいは、刑事、弁護士、医者、殺し屋、ヤクザ、軍隊、
芸人、歌手、ダンサーなどの特殊職業ものは、
普段経験できない特殊な世界ものとして人気である。

いずれにせよ物語論では、
これらを「スペシャルワールド」と呼ぶ。
この全く新しい世界の体験こそが、
物語の魅力のひとつだ。

たとえば「風魔の小次郎」なら、風魔忍者対夜叉一族の世界、
「ファイアパンチ」なら、氷の魔女に支配された祝福者の蠢く世界、
「ズートピア」なら、動物全員が仲良く暮らす、
ニューヨークのような人種のるつぼの世界だ。


オープンワールドの魅力も、それに尽きる。
僕は殆んどやったことないけど、
オープンワールド系やオンラインRPGなどは、
その世界で生きることがとても楽しそうである。
だって特別な世界なんだぜ。
スターウォーズオープンワールドとか出ないのかね。
作り込みが難しいのかな。
ディズニーが買ったんだからやりそうなもんだけど。
あ、個人的にはFSSのオープンワールドとか超やりたいです。
全モーターヘッドに乗りてえ。

これらの世界の魅力を、
まとめて「世界観」と呼ぶことにしよう。

オープンワールドは、世界観の魅力を味わうものである。


さて、物語だ。

物語の魅力のひとつに、世界観がある。
しかし、それが魅力の全てではない、
ということに尽きる。
何故なら現実世界をベースにした物語にも、傑作があるからだ。

映画は、撮影の容易さから、
現実世界をベースにした世界観を取る確率が高い。
要するに、滅多にファンタジーなど作れない。
CGの発達によって、これまで作れなかった、
現実世界ではないスペシャルワールドが作れる可能性が出てきたが、
邦画の爆死を見る限り、練りは全然足りない。

たとえば映画「ファイナルファンタジー」の超爆死は、
私たちに「映画は世界観だけでは成立しない」ことを教えてくれる。
(先日、ふと見ようと思ってレンタルを探したんだが、
ねえんだよ。どなたか持ってませんか)



さて、物語とオープンワールドの差は何か。
ストーリーがあることである。

ストーリーとは、
強制的に一次元の時間軸で進行する、
一本道のことだ。

オープンワールドはストーリー否定である。
どこに行って何をしてもいい。
むしろ一本道なんて真っ平だ。
自由さがオープンワールドの最大の特徴だ。

ここに至るまで、
マルチエンディングや、分岐ストーリーや、
自由度がありながらフラグを立ててイベントをクリアすることや、
基本自由だがミッションコンプリートや、小イベント発生、
など、一本道ストーリーが、徐々に解体されていった感がある。

スペシャルワールドを自由に冒険したい。
その心は、私たちのDNAに入っているような気がする。
だから、ゲームにおける一人称では、
ストーリー進行は、第三者からの枷に感じるのだ。

ところで、僕は物語の基本は三人称だと考えている。
物語とオープンワールドの違いは、
三人称と一人称の違いと言ってもいい。

つまり、
物語は、スペシャルワールドを舞台にした、
誰か他人の一本道のストーリー進行であり、
オープンワールドは、スペシャルワールドを舞台にした、
自分が勝手にやること、である。

もし同じスペシャルワールドを舞台にするとしたら、
あなたが勝手にやる冒険よりも、
物語が提供する、誰か他人のストーリー進行のほうが、
面白くならなければ、
物語よりもオープンワールドのほうが面白くなってしまうだろう。

これは、多くのゲームで、
シナリオより世界観だと言われる所以である。

つまり、要するに、ゲーム界でのシナリオライターは、
地位が低いし実力も足りないのである。


第三者視点の、他人のストーリー進行は、
感情移入が決め手となる。
全然知らない他人に、興味を持って見ているうちに、
いつの間にか自分と同一視してしまうことだ。
(何度も言っているとおり、感情移入は好きな人にしか起こらない訳ではない。
嫌いな人にも起こるのが、真の感情移入である)

それには、
まず呼び水となる、事件や境遇に感心を持つこと、
から始め、
彼または彼女のリアクション(顔芸ではなく、
それに反応して行動すること)を追うことで、
彼または彼女と共にストーリーを歩み、
ターニングポイントで重要な決定をすることで緊張させ、
いつの間にか彼または彼女と、
このストーリーの行く末を見届けることが、
楽しみになっていることが肝心だ。

つまり、そんな面白いストーリーを連発出来ない、
ぼんくらシナリオライターが沢山いるから、
オープンワールドの隆盛を招くのである。

自分がやる冒険は、
自分でやるスポーツに似ていて、
他人のストーリー進行は、
スポーツ観戦に似ているかも知れない。

自分でやった経験があると、スポーツ観戦は楽しい。
プロの凄い試合なら尚更。
草野球なら野次るのも楽しい。

現実世界が物語の基本舞台に設定される理由は、
多くの人が現実世界というスポーツ経験者だからだ。

あなたの紡ぐストーリーは、
もし現実世界を舞台にしてるなら、
多くの現実世界経験者から見られる、プロスポーツ試合のようなものである。
ヘボかったら、野次られるのは当たり前だよね。

勿論、それを避けて、王道世界じゃない特殊世界で、
勝負しようとする人もいる。
野次が出ないところに自由にやれるだろう。

そうしたら、そのスペシャルワールドの世界観を素早く伝えないと、
もたついてしまうだろう。
オープンワールドの冒険は世界を理解する楽しみであるが、
物語の楽しみは、それだけではないからだ。


さて。

あなたは、どのようなスペシャルワールドを提供してくれるのか。
そのオープンワールドで冒険してるだけで面白い、
世界観のしっかりしたものか?
それとも現実世界ベースの、多くの経験者が共通して持つ世界観か?
それをちょっとだけひねったやつか?(これが一番多いだろう)

それは、自分が冒険する一人称よりも、
全然面白い、誰か他人の三人称ストーリーだろうか?
草野球ではなくて、プロ試合並になっているだろうか?



ちなみに、スペシャルワールドでジャンルわけをするのが、
どうやら日本の習慣のようだ。
アクション、恋愛、戦争、西部劇、ミステリー/スリラー。
あるいは、医療もの、刑事もの、コメディ。
見た目のジャンルわけ、ということである。

オープンワールドものでも、
中世ファンタジー、未来ロボット世界、ダークファンタジー、
荒廃した戦争世界、スチームパンク、スペースオペラ、
歌舞伎町ヤクザ世界、
なんて見た目のジャンルわけがあるだろう。


僕は、映画のこのジャンルわけにはあまり意味がないと思っていて、
脚本の構造によってジャンルわけすると面白いと考えている。
何故なら、スペシャルワールドの魅力は、
ストーリーの魅力より下位だと考えているからだ。
(そこまで研究したわけではないから、
全ての横断的ジャンルわけには挑戦しないことにしている。
ブレイクシュナイダーのジャンルわけはとても興味深い。
「Save the cat」の中で見ることができる)
posted by おおおかとしひこ at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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