2016年06月15日

結論を冒頭で問え

論文では当たり前のこと。
スピーチでも当たり前のこと。
まず結論をいい、論を展開させて、最後に結論に戻る。

物語では、最初にネタバレしては興醒めだから、
問いの形で冒頭にあることが多い。
「女は見た目か、中身か?」(「愛しのローズマリー」)
などである。


勿論、ここまで分かりやすい問いの形で、
結論で分かりやすい答えに帰着しなくてもいい。
物語は論文ではないからだ。

だが、ただあったことを、
そのまま垂れ流してもそれは物語ではない。
それはただの記録である。
アドリブの記録をライヴとでも呼ぶのなら、
ストーリーとはアドリブの余地のない、
計画された構造を持つ。

その顛末になんの意味があったか、
というものが結論だ。
愛しのローズマリーならば、
「女は見た目じゃなくて、中身だ」である。

問いや、問題の形でテーマが問われることが多い。
何故なら、それに答えを出すことで話が完結するからである。
冒頭に問い、ラストに答え、という形式が最も合理的というものだ。


勿論、問題や問いの形でなくともよい。

ビジュアルでテーマに関わるモチーフを暗示することもある。
(ドラマ風魔の場合、冒頭の「希望という名の風」のシーンで、
風(自在であること、暖かな風)を暗示している)

主人公の渇きを表現することで、
ラストにそれが満たされる(渇きの逆がテーマであった)、
というパターンも多い。

ビジュアルでなく、主人公のナレーションというパターンもあるよね。
小説的な、内省的な話はこういうのが多い。
(傑作「アニーホール」とか)
登場人物でない、第三者のナレーターによる場合もあるが、
冒頭でテーマを問うけど、結論を言ってしまうと興醒めだから、
暗示で終わることが多いだろう。
(子供向けではナレーターが結論を解説して終わることもある)



物語とは、
「最初こうだったやつが、
最終的にはこうなった」で記憶される。
(という仮説)
つまり、その変化でテーマを表したり、
前ふりが実現して終わったり、
係りと結びの関係になることで世界を表現したり、
している。

これは、大抵第一稿で上手く書けることは少ない。
最後まで書けてから、
もっと上手く前振れるように、リライトでつくって行くことが多い。
未熟者は一回書くので精一杯だが、
熟練者は何度もリライトして、完成度を上げるものである。

(そもそもプロットやメモを何回も書いたりすることで、
全体のクロッキーをしているわけだ)

さらに熟練者は、落ちが確定していることを知った上で、
それを前振る為の面白いエピソードを創作したりする。
(落語のマクラには、そういうものもある)


あなたの物語は、何からはじめているか。
事件に巻き込まれることからか。
舞台の紹介や主人公の日常からか。
それは性急に過ぎるかも知れない。

この物語はどういう結論になろうとしているのか、
ということに関するシーンから、
始める手を検討してみるといい。
(勿論、1分に満たない小さなシーンでよい。
そこから続けて何かが起こると連続感が出るだろう)
もっと上手なのは、
事件や日常から始めているのに、同時にテーマを暗示しているパターンだろう。

勿論、書き始める前には、結論が確定していなければ出来ないけど。

(このパラドックスのようなものが、
冒頭シーンを上手く書くことを妨げているのである。
冒頭シーンはリライト、つまり二周目以降で確定させる、
という僕の経験論は、
このパラドックスを回避する方法だ)
posted by おおおかとしひこ at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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