ファイアパンチの行く末が気になる中、
箸休めに掲載された今週の読み切り。
なかなか良かったよ。勢いもあるし。
この作品に賞を上げて、育てようという編集の気持ちも分かる。
だけどよく構造を見ると、ファイアパンチと同じ欠点が透けて見える。
(以下ネタバレ)
どういう作りでこの短編を書いたか、
僕にはなんとなく分かってしまう。
タイトルは「佐々木くんが銃弾止めた」
なところを見る限り、
この話は元々教室ワンシチュエーションものだったことが想像される。
「憧れの先生を見つめるだけのメガネが、
銃乱入男の銃弾を止める」という所だけ考えて、
あとはアドリブで書いていったと思われる。
冒頭の神様の下り、
セックスさせろの下り、
川口先生がOKする流れ、
俺は未来から来たと嘘をつく流れ、
全てはアドリブで書いた会話劇だと感じた。
何故なら、プロットが単純な割に、
台詞の情報量が多いからだ。
ストーリー構造ではなく、
台詞でものごとを進めており、
だからこそアドリブで作劇せねばならず、
たまたま、台詞に勢いが乗ったのである。
それは、ワンシチュエーションというギリギリの状況が生んだ、
偶然のような気がする。
若さゆえの勢いで、ギリギリを乗りきったというべきか。
(これを毎回やれる才能なら問題ないが、
ファイアパンチを見る限り、偶然の成功だ)
銃弾を止めたあとに、奇跡が起こった。
普通銃弾を止めたからといって、
オチる訳がない。
月面着陸で、まさかの可能性はゼロじゃないオチになるとは。
「未来から来た嘘」が、瓢箪から駒となって化けたのだ。
ブリッジに進路相談があるので、
月面着陸を自然にさせている。
テーマ「可能性はゼロじゃない」は、
後付けである。
未来から来た嘘の台詞の中の要素を使って、
アドリブで落としに行ったものだ。
何故なら、冒頭にテーマに関する要素がないからだ。
たとえば、
「川口先生と僕が付き合う可能性はゼロだろう。
いや、ゼロじゃない。ゼロじゃないよ。ゼロじゃない」
なんてな妄想劇をしていれば、
銃弾を止めたことが全てのターニングポイントになり、
構造化された物語として完成するだろう。
ところが、この話はそのような構造を持っていない。
だから計画的に作られたというより、
アドリブで後付けしていったら、
とんでもないところへ話が飛んで、
偶然落ちた、
という構造になっている。
構造化された物語では段取りくさいから、
脱構築してグルーヴ感を意図的に作った、
という訳でもなさそうだ。
起承転結を作れない実力の人間が、
たまさか転びながら話を転がして、
傷だらけになりながら偶然凄い落ちを途中で思いついた、
という感じに近い。
だから痛々しい。
今回は転びながら凄いところへ飛べたけど、
次もうまくいく保証はない。
ストーリーテリングというものは、
ここで語っているストーリー作りのやり方は、
このような不安定なものではない。
確実に、ストーリーになるやり方について語っている。
ストーリーはほぼ構造のことである。
その構造に、勢いとか才能を被せていくのである。
この作品は、そのような構造を持たず、
アドリブで話を転がしていくうちに、
セオリーにない構造を思いついて落とせた、
偶然の産物である。
勿論、この作者が、
そのような変奏を毎回発明して、
どこへ飛ぶか分からないが毎回凄いところへ飛べる才能ならば、
それは是非何作も作ってください、
と言いたいところだ。
ところがこの作品の成功は、
一回限りの成功に過ぎない。
それはファイアパンチを見れば明らかである。
あのとき偶然うまくいったことは、
二度と上手くいかないのである。
何故なら、実力という必然ではなく、
偶然うまくいったアドリブにすぎないからだ。
若いときは、こういうアドリブが成功することがある。
それはまだセオリーの枠を知らないからだ。
セオリーを知った上でセオリーを壊すベテランたちが、
やらないセオリー破りをして、
「めちゃくちゃだが勢いがある」という一点突破が成功する。
それが今作だ。
やり方は単純である。
自分が追い詰められるシチュエーションを作ること。(この場合、教室に銃乱入)
落ちを決めておくこと。(銃弾を止める)
設定の大まかを決めること。(片思いする生徒、川口先生に恨みある男)
あとは、アドリブで書き倒す。
後先考えずに。
新しく設定ごと変更するような台詞が出ても、
ライブ感重視で変えていく。
で、想定の落ちまで来たら終わり。
この作品の場合、落ちなかった
(佐々木くんが銃弾止めたからといって、落ちなかった)ので、
月面着陸へ話を飛ばして落ちにしたら、落ちた。
たまたま。
こういうことだ。
これは、嘘のつき方として下手なのだ。
嘘は計画的につかなければならない。
こんなヒヤヒヤする嘘をついてはいけない。
あなたは、これを真似するべきではない。
まあ、やってみれば分かる。
銃弾を止めた所で「落ちねえ…」と悩むことになるだろう。
何を思いついても月面着陸まで思いつくことはないだろう。
このやり方を真似しないことだ。
再現性のない偶然だからだ。
コインを投げて裏か表かをやっているときに、
偶然コインが立った、みたいな例外的なことだからだ。
作品論としては、
アクションを省略することや、
セックスへの拘りがこのときからあるのだなあということと、
みっともなく涙や鼻水を出すのは、
やめたのだなあ(この作品はこれが効果的であった)、
というあたりかな。
脚本はどう書けばいいか。
このブログはこれを究明しようとしている。
その一環で、今作を批評した。
このやり方は二回使えないということだけ、
覚えておくといい。
(音楽の作曲や、絵画ではあり得るやり方だ。
言葉による整合性や首尾一貫性が必要でないからだと考えられる)
ファイアパンチと同じ欠点。
理屈の脇の甘さ。
(銃弾を止めたことの理屈のなさ。摩擦で止まって熱くなった、
とかの理科の知識のなさ。これはアグニの炎はどこまで有効なのか、
理屈が通っていないことに通ずる)
アドリブで後付け、その場で変更。
それは、長編ならその場しのぎばかりという印象になってしまう。
来週どうするかね。
ファイアパンチは、アドリブの行方を見守る、変な見方になりつつある。
2016年06月13日
この記事へのトラックバック
何がしたいのかよくわからない漫画でした
なんでしょう、破天荒を演じながら、常識の枠内にはわざと留めているような、そんな感じ
話の構成や整合性なんか全部無視して、一時の感情に従って描きたいものを描きなぐったら、もしかしたら面白いものが出来るかもしれないなと思いましたね
わたしは脚本なんて全くこれっぽっちも分からないので、大岡さんからしたら「んなわけねえだろうが!」と思われるのかもしれませんが(笑)
>話の構成や整合性なんか全部無視して、一時の感情に従って描きたいものを描きなぐったら、もしかしたら面白いものが出来るかもしれない
書いたことない人は、ほぼ100%そう思うものです。
そう思うのならやってご覧なさい。
99.9%失敗します。
羊頭狗肉、竜頭蛇尾になってしまいます。
(8割以上最後まで書けないでしょう)
で、どうやればいいんだ?と途方にくれ、
先人のやり方を覚えて行くものなのです。
0.1%ぐらい突破しちゃう天才がいて、
でも偶然の突破だから次も99.9%失敗して、
それで消えてゆきます。
残る人は、たしかなストーリーテリングを学んだ人です。
「佐々木くんが銃弾止めた」は、
そういう偶然突破してしまった(ように見える)、
まぐれ当たりと僕は感じました。
ちなみに、構成や整合性を無視してかきなぐっている、
「ファイアパンチ」はどう思われますか?
僕はこれこそ挫折寸前の、
「書けなかった」パターンにはまっていると思います。
僕は、ファイヤパンチも1話2話だけなら十分面白いですが、話数が増えるうちに作者の起こす衝撃にも慣れてしまうし、ぶっ飛びすぎてキャラクターに同情できない、ストーリーが飛びすぎてると思いました。起承転結がどこにもないせいでどこかパッとこないとも思いました。
しかし、したいことをしてこれだけファイヤパンチが面白いならオッケーだと思います。1話が面白すぎて期待しすぎている面があると思いました。しかし、じぶんは、ファイヤパンチの雰囲気、ぶっ飛び具合が大好きなのでまだまだ見届けたいと思います!
文面から若い方と想像します。
僕みたいに40年ぐらい漫画を読んでると、
ぶっ飛んでは爆死していった、何千本単位の漫画を思い出すわけです。
きっとファイアパンチもいずれこの墓場に来るのだろうと。
また、描きたいものだけ描いてここまで来るのは、
わりと簡単に出来ますよ。1万人に1人ぐらいの確率かな。
問題は、そのやり方では、これ以上は面白くならないことなんです。
(事実、もう限界にぶち当たっている)
描きたいものだけ描くのとは別の方法論がないと、
この上の面白さは無理です。
それがストーリーの理論というべきもの。
まあ、あと一話だけ見守るか、という気にさせる不思議な味ではありますね。
別に少年は話の構成やプロットがどうこう考えて読んでませんよ。
このコメが表示されなかったら、あなたは残念な人ってことですね笑
編集なのか作者の意向なのか知らないけれども
残念な人に見えてすいません。
佐々木くんもファイアパンチも、少年漫画ではないと思います。
僕は青年漫画と受け取って批評しています。
ジャンププラスって少年漫画枠以外の扱い、と僕は思っているので。
また、若手だろうがベテランだろうが、批評は全力でするべきです。
このブログは、脚本家を目指す人用に脚本論を議論しているブログで、
その具体例としてファイアパンチなどをとり上げ、
アマチュアが陥りがちな落とし穴について、解説しているつもりです。
もしストーリー作りに興味がありましたら、
最初の方から読んでいただくと幸いです。
それは結果論のような気がしますね。
僕には、ファイアパンチは
「凄い話を始めてみたのだが、
次どうやっていいか分からず、
性癖露悪の煙幕で誤魔化している」ように見えます。
「下ネタを言うおじさんは、俺はまだ現役だと無意識に主張しているのだ」みたいな感じ。
つまりブラフだと感じています。
佐々木くんはまだストレートで、好感が持てましたね。
作者の持ち味である性的欲求という特徴は健在していましたが、キャラクターの表情やスピード線を多用するのを見て、昔はまだ「少年漫画」していたのだなあと思いましたし、まだ後付けでもなんでもよいのでテーマを持って描いていたのだなあと好感をもてました。
勢い任せや会話進め(会話劇に特化した例えばコメディ漫画などは除く)の漫画というのは新人が一番陥りやすいのだそうです。漫画編集者曰く。
なぜなら書いてる本人はすごく楽しくてすごく楽に作品ができるから。
「楽しい」と「楽」って全然違うんですよね。「楽しい」はいいけど、「楽」は脳みその表面の薄っぺらい膜みたいなところで考えてるから疲れないってだけで。…というのを私自身経験した事があるので今わかるってだけですね。あの時冷静に止めてくれる編集者がいなかったらそのまま突っ走ってたぶんわけわからんくなってました。
作者が、というよりは、漫画編集者の方にもっと描き手の持ち味を引き出せる導き出せる力が欲しいかなあとしみじみ思います。
僕も年上のプロデューサーにそのような役割を要求したこともありましたが、
所詮相手も人間である、とわかる程度にはオッサンになってしまったので、
編集者が若手を上手く育てることの困難さをよく考えます。
若手編集者のそのような指導力はどこでマスターするのだろうか、とね。
年取ったら両方考えながらやらなきゃならないけど、
若いうちの先輩の指導は、
客観的な見方や経験から来る知見を伝えて、
年取ってから使えるようにすることかなあとも考えます。
いま日本全体が育てることより、既に育ったのを買ってくる社会になりつつあるので、
逆に僕は昭和の頃の育て方を勉強したいぐらい。
今の若手は脳みそを搾る経験をあまりしてないかもですね。
楽を取らずに名作を作った経験がないから、
ノリ以外の作り方を知らないのかも知れません。
ということで、僕は後輩には常に「それがベストか?」と、
圧をかけることにしてますが。(笑)
アドリブの果てに行き着いた結果論でも面白ければよくないですか?
そのネタは偶然生まれたかもしれないけど、完成形にもっていったのはその人の実力でしょ?
理屈詰めでくっそつまらないありきたりなものを描かれるよりこういう瞬発力のある作品を1つでもあったほうが読者側からは良いと思いますがね。
「銃弾を止めたことの理屈のなさ。摩擦で止まって熱くなった、とかの理科の知識のなさ」と貴方はおっしゃってますが、これをしたからといって面白くないものが面白くなるわけでも無いですし。
正直脚本の正しさと漫画の面白さって一緒にして考えるのはナンセンスかと思いますよ。そもそも全部憶測で物事言ってるし^^;
長文失礼しました。
この記事の趣旨は「なかなか良かったけど、きみたち
(脚本家を目指す人たち)は真似してはいけない」です。
僕的な脚本理論の立場からの批評ということで、
僕個人の批評(=まあまあやな)とは異なることにご留意下さい。
このブログでは、時事の作品を取り上げて、
脚本家を目指す人たちに、「脚本から見た視点」を提供することを三年ばかりやっております。
作品そのものと脚本を分離することが出来ないと、
脚本とはなんぞやを考えることは出来ないので。
理論というのは百回やって百回当たりを引けるやり方のことです。(理想の命中率)
なので、偶然は理論ではない、という立場の話をしています。
逆に、天才は理論を勉強してはいけません。
(本当の天才は理論も優れていますけど)
正確には、サンがもうしばらく出てこないことがはっきりした時に、どこまで良くてどこから面白くなくなってきたを振り返って考えてみたところ、サンの拉致と退場のあたりだった、ということです。
サン退場までは面白く、それ以降が面白くないわけじゃなくて、
段々辛くなってきて、その辺で我慢できなくなった、というのが本音でしょうねえ。
ファイアパンチの問題点は、「冒頭(1話)で期待させた事に答えてない」だと思います。
釣った魚に餌をあげてないというか。
「妹を殺した無慈悲な男への復讐劇」というセットアップが、
完全にすかされていて、その空振りにみんな困っていると。
真面目に感情移入するのがバカらしくなるというか。
ということで、もっと面白い漫画を読みましょう。
(「自殺島」は、そろそろクライマックスですよ)
読者は構成なんて気にしない・・・
こんなコメントが散乱してて絶望しました。
たぶんこういう人に限って、ちゃんと理論立てて作られた作品を観たとき
「これ面白え〜!」とか言うんでしょうね。
何も考えないで頭空っぽにして観てるから。
こういう人達ばかりが増えたから日本映画は衰退したんでしょうか・・・
作品への思慮が足りない志が低いクリエイターばかりが台頭したら
それこそ本当に文化というものが終わってしまうと思います。。
お客様は何を言ってもよいのです。
したり顔で評論しようが、文句ばっかり言ってようが、信者になろうが。
私たち送り手が、きちんと考えていればいいだけのこと。
邦画の衰退は、作り手よりも配り手が口を出しすぎるようになってからだと思います。
(二言目には「それで儲かるのかね?」といわれたら、クリエイターは即答できませんからね。
これに答えるうまい返しは、「儲かる根拠はなんですか?」と聞くことで、そこが不一致なら降りるべきだと今は思います)
作品のことをしっかり考えているクリエイターはたくさんいると信じて、ここでこつこつ書いているつもりです。
衰退させるもさせないも、文化をつくる人次第。