2016年06月15日

なんか出来ちゃった

時々芸術の神が降りて、
なんか出来ちゃった、という奇跡的な何かが出来ることがある。

それは再現性のない、一度きりのものである。

それを上手く取り込めるだろうか。


また絵に例える。
それは全体の一部分で起こったりする。

手が上手く描けたとか、
光線が上手く描けたとか。

メインになる所(たとえば顔)でない所で
それが起こることが多い。
適度に気が抜けたことが作用すると思う。

で、それが全体にとってどういう配置かを、
考えなければならないのである。

メインにとって有効であれば、
その上手く描けた感じをメインにも応用するといいだろう。
しかし全体にとってそこだけいびつなときが問題だ。
その上手く描けた部分をメインに全体の構造からやるか、
その上手く描けた部分を全体には不要として切り捨てるか、
どちらかを選ばなければならないからである。

後者は楽であるが、奇跡を捨てることになる。
前者は奇跡生かしで、全体を作り直せる保証がない。
そして大抵は中途半端な構造になり、
「光るものはあるが全体としては微妙」という出来になる。
奇跡がうまく骨格のどこかで起こればまだいいが、
そうでない枝葉で起こったら、とても表面的な所で終わってしまうだろう。

「佐々木くんが銃弾止めた」は、
ラストの飛び方に奇跡が起こった作品だ。
なんかうまく出来ちゃったのだ。
だからそこの奇跡に強引に納得させられる。
しかしよくよく俯瞰してみれば、
タイトルとラストは関係ないし、
テーマに関することは冒頭になく、
冒頭の神様の話もラストにはなかった扱いになっている。
つまり全体構造としてはいびつなままだ。
これが、
「勢いはあって無理矢理感動させられるが、
今一つ腹に落ちた感じはしない。
だが若い者の作ったものだし、
経験を積めば凄いものを作りそうだ」
という印象の正体だ。

エミネムの「8マイル」の主題歌の中に、
「人生でたった一発の弾丸しか持ってなくて、
一発しか撃てないとすると、
ベストのタイミングはいつか」
という、弾丸をチャンスに例えたものがある。
(映画自体より、この曲のほうが出来がいい)
今風に言えば、人生にはワンチャンしかない、
ということだ。

佐々木くんのラストは、この銃弾をここで使ってしまった感がある。
それくらい、
偶然出来ちゃった感が強い。
つまり、なんか出来ちゃったものがあり、
それを練りきれずにフィニッシュしてしまった感じだ。



若い頃は、そういう奇跡が何度も起こりやすい。
技術が熟練してないから、
勢いしかないからである。
そうやって人生を突破しながら、技術を身につけて行くのかも知れない。

一方、技術が身につくと、
奇跡をコントロール出来るようになる。
ここでこれくらいの規模の奇跡を起こそうと計画して、
実際にそうしたり、
奇跡が起きなくても十分行けるものを作ったり、
途中で起きた奇跡を上手く全体構造の中に取り込めたり。

それは、90点以上を叩き出す技術の範囲内である。
それがなく、奇跡もない作品は、30点も取れない。
技術はないが奇跡がある作品は、時に120点を叩き出す。
(たとえば、「バタ足金魚」という邦画は全編たいしたことないが、
ラストカットのプールの中の高岡早紀に神が降りていて、
それだけで僕にとって個人的100点だったりする。
僕がフィルムに拘るのは、デジタルでこれ以上恋した絵を見たことがないからである。
アナログの方が奇跡が起きやすいんだよなあ。
奇跡は、間違いから起こるのかも知れない)


ベテランほど書くのが速いのは、
奇跡に頼らず技術で完成させるからだ。

ベテランほど粘るのは、
どうにかして奇跡を起こして上乗せしようと思うからだ。



なんか出来ちゃった。

そういうの、いいよね。
それは自信になるし、一生これをやりたいなあ、
という根源的な思いになることが多い。

幼稚園の頃描いた絵を、この子は絵がうまいと取っておいた祖母。
年末のお楽しみ会(オリジナルコント発表)で笑ってくれた人たち。
大学で作った自主映画で、ホロリと泣いた人たち。
あるいは、こういう話を書こうと思うとアイデアを披露したら、
目を丸くして聞いてくれた人。
なんか出来ちゃったとき、それを大事にしてくれた人がいるとき、
この道を選んじゃうのかも知れないね。


てんぐ探偵は、なんか出来ちゃった、ということを核に、
もう四年ぐらい前から形にしようとしていたものだ。
とりあえず週刊連載小説として、フィニッシュ出来そうだ。
ドラマ風魔だって、「表で試合、裏で死合い」というコンセプトが、
なんか出来ちゃったんだよ。
(野球のスコアボード、プールの底、ボーリング場の裏、
舞台の釣天井、というのはそのときに出したアイデア。
演劇部だけ実現しなかったねえ。実際やったら危なかったろう)
ついでにもう一本、なんか出来ちゃったのを、
プロ作品として実現できないか、只今水面下政治活動中だったりする。



なんか出来ちゃった。
それは、最初に起こることはあんまりなくて、
途中で起こることが多い。
創作活動をしてないと起こらないと、逆に思う。

手を動かし続けろ、と僕はスパルタ的に言うけど、
それは沢山の閃きのような、創作の神様に出会う瞬間を、
どこかで持って欲しいからかも知れない。
僕が先輩にそう習ったように。
posted by おおおかとしひこ at 11:59| Comment(7) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どんだけファイヤパンチの作者を批判したいんですか…
大岡さんの言ってることは分かりますが、しつこすぎ、度が過ぎてると思います。
Posted by しばただいち at 2016年06月15日 21:34
しばただいち様コメントありがとうございます。

批判のつもりは特になく、例として上げただけです。
なんか出来ちゃったやつの例を、映画ではあまり思いつかなかったので。
音楽のフレーズとか、芝居の一瞬とか、猫のポーズとか、
そういう「ストーリーでない部分」なら例を上げられるのですが、
(たとえば「リリィシュシュのすべて」で偶然撮れたと思われる、
逆光でタバコ吸ってるカットとか、僕は大好きだったりする)
みんなの知る例で、ストーリー構造で、
となるとなかなかなくて。

何か的確な例になるものをご存知でしたら、逆に教えて下さい。

エチュード的なものが失敗していく様は、
「好きだ。」など沢山例があります。
一見大成功、よく考えると、という例が欲しいです。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年06月16日 00:46
大岡さんの作品、ブログをいつも楽しく見ています!私は物語を作りませんが作り方を知ると面白くなるなと大岡さんのブログを見て関心しました。しかし最近しつこく同タイトルの作品をあげるたびになにか私念のようなものを感じ怖くなってしまいます。別に大岡さんは批判したいわけではなくブログのノイズになってしまい私は嫌いです。どうかたくさんの作品の比べてほしいです。私の意見を反映しろとはいいませんが少ししつこい気がしました。
Posted by ハセッチ at 2016年06月16日 01:09
すいません
さっきのコメントは気にしないでください
大岡さんが楽しくやるのが一番です
ブログを続けてください
失礼しました
Posted by ハセッチ at 2016年06月16日 01:11
ハセッチ様コメントありがとうございます。

僕は嫌いで批判しているのではなく、
可能性を感じるから批評しているのです。
これをこう見れば良いのか、こういうやり方もあるのか、
ということを検討して、どうにかなんないかと考えているわけです。
それは書く人全ての癖みたいなもので、
何か可能性があるのなら、どうにかしたいと思ってしまうのかも知れません。
批評と悪口は、別のものですから。

とはいえ、ちょっと飽きてきたので、
他の面白いものが見たいなあと切望する次第。
ハセッチさんの最近のオススメなど教えて貰うと助かります。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年06月16日 01:48
返信ありがとうございます!
いらぬ返答をさせてしまいすいません!
私は亜人という作品が好きです・・・が
亜人と他の作品を比べて欲しいというわけでなくいろいろな作品(映画、小説など)とくらべてほしいです!大岡さんのブログでは他作品と比較して語られるのでたくさんの作品を見る機会ができるのでです!ちなみに私もファイアパンチは私もグロくて嫌いです(笑)!これからもたくさんブログを更新し続けてください!私は大岡信者です(笑)!
Posted by ハセッチ at 2016年06月16日 02:02
亜人は前から気にはなってたけど、絵が苦手で。
この際だからまず漫画読んでみますか。

ちなみに「オールタイムベスト」という記事に僕の好きな映画はまとめてあるので、
色々見る参考になるかと思われます。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年06月16日 03:12
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