この法則は、何故アドリブが難しいかを教えてくれる。
アドリブでこんなうまいこと、すぐには、毎度、思いつかないからである。
連載形式は、
計画的にストーリーを進めるというよりは、
アドリブ的であると考えられる。
だから123とかけ上がる予定が、
13になってしまうこともあるだろう。
それが連載形式の魅力でもあるが、と以前に議論した。
しかしそうなると尻拭いが難しくなるのは、
火を見るより明らかだ。
2をすっ飛ばして3にしたら、
もっと強い刺激が来ないと満足しない(作者も読者も)から、
さらに強い刺激を求めることになる。
こうやってインフレは進んでいく。
インフレはつまり、無計画を誤魔化す、
アドリブ手法のひとつなのかも知れない。
最も簡単なアドリブの手拍子は、
最初はゆっくり打ち、どんどん速くしていくことだ。
多分それと同じなのだと考えられる。
あなたは、芝居のアドリブをやったことがあるだろうか。
設定がある程度あるエチュードでもいい。
おそらく、ストーリー展開に全くならなかったはずだ。
刺激を強くしていくこと、
期待を外して話題をずらすこと、
実はこう思ってたんだと独白すること、
などは、経験上上手くいく。
しかし、話を展開させることについては、
きっとあまり上手くいかない。
話の展開とは、相手ありきで、相手もそれに乗ってこないと難しく、
そのアドリブが噛み合う保証が少ないからだ。
(逆に上手く行くアドリブは、自分一人で出来ることである)
あるいは、リレー小説など書けばわかる。
なかなかストーリーは噛み合わない。
アドリブで進めることは無計画であり、
ストーリーを面白く進めることは、計画的でなければならない、
ということを理解することが出来るという点で、
リレー小説を経験することはよいことだ。
うまく行くアドリブは、
無計画でありながら、
計画的に見えるアドリブのことである。
極端に言えば、アドリブと気づかれないものである。
ライブ感やグルーヴ感、なんて主張する人を、
僕が眉唾で見るのは、
計画的に作られたものを作る力がないことを隠すためである確率が高いからだ。
本当にアドリブが分かっていたら、
何回アドリブしても、上手いこと整うように体を作ることが大事だよね、
なんて、アドリブそのものの素晴らしさを語ることはないと、
僕は考えている。
つまり、無計画に見えるアドリブは、あまり上手ではない。
上手なアドリブは、計画的に見え、かつ度肝を抜いてくる。
でもそれって、
結局は計画的に作ったストーリーの法則に合ってたりするのである。
と、いうことで、
アドリブが上手でない私たちは、
計画的にものを作ることをまずマスターしたほうが速い。
慣れたらアドリブも出来るだろうし、
そもそも最初のヒラメキとはアドリブだったりする。
2016年06月17日
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