2016年06月22日

デジタルは人を幸せにしない:画質の向上に意味はあるか

テレビがHD化して、5年ぐらいかな。
画質は4:3のSDに比べて6倍になった。

しかしこれが、ドラマやCMの内容を高めたかどうかについては、
疑問符がつく。
(たとえば時代劇は、明らかにフィルム時代の方が良かった)
HD化したときに想定していたような、
景気の続きになっていないこともあるけれど、
(つまり今SD時代に比べ、予算は半分以下になったりしてるけど)
画質の向上についていけなくて、
消失したテレビ的技法は沢山ある。

代表的なのが、着ぐるみである。


着ぐるみは、HDの画質に耐えられない。
なんだか安っぽくなってしまい、
たとえばイベントで来る着ぐるみよりも、
HDの画面では安っぽく見えてしまう。

毛のモコモコの継ぎ目が見えたり、
タオル地の質感がばれたりするからだと思う。
(これは肌があまり綺麗でないが実力のある俳優が、
テレビから消えて舞台に行ってしまったことと、
機を一にしている)

SD時代はもっとCMやバラエティー、特撮に着ぐるみが溢れていた。
CGの味気なさではない、人の肌感があった。
CGはいつまで経っても魂が入らない。
(それが何故かについては、別に議論したい。
ズートピアがそれを突破しかかった。
鍵はデフォルメ。結局、セルアニメ時代の技法だった)


リアルを追求すればするほど、
夢がなくなる。

テレビは夢を見せる箱だった。
映画館も、暗闇で夢を見せるハコだった。

極端にいうと、リアルじゃないものをリアルだと錯覚させる技術が、
映像で物語を語る技術だった。

そのひとつに着ぐるみがあったものだ。
僕はひょうきん族で育ったので、
毎週着ぐるみ対決を見ていた。
今考えれば一回限りで廃棄の着ぐるみを沢山見ていたわけだ。
その夢の消費が、テレビというものだった。

だからリアルな画質は、
その夢を現実に引き戻しやすい。


今でもたまに着ぐるみCMをやるけど、
モコモコの継ぎ目をCGで消したり、
目だけ別レイヤーにして合成しないと、
どうしても安くなってしまう。
芸能人の肌も、HDフルサイズだとぶつぶつが目立つので、
CMでは一日かけてレタッチするのが常識だ。

SD時代にこの手間は殆ど必要なかった。
画質の向上に、夢がついていけなくなったのだ。



もちろん、予算が低くなって、
着ぐるみを作る予算(一体200万程度〜)が確保出来ないのもある。
でもせっかく作っても、HDの画質の壁に阻まれて、
「なんだかちゃっちい」になってしまう。
ふなっしーやゆるキャラは、安いことで開き直って、
生き延びたようだ。

環境の変化に適応出来ない老人の嘆きだろうか。
テレビに夢がなくなったことを、嘆いてはいけないのだろうか。

僕には分からないが、着ぐるみを見なくなって久しい。



映像はリアルか。
フィクションはフェイクか。

私たちは、良くできた嘘をつくのが仕事だ。
それに対して、画質の向上が足枷になっている。

ファミコンのドラクエのほうが、想像力が広がった。
4KのVRのリアリティーが、その想像力を超えたとは言えないと思うんだよな。

ブルーレイのAVで、女の尻の汚さに萎えるみたいな。


どんなリアリティー溢れるかわいい子の映像よりも、
「きょう空いてますか?」と一行のラインのことばのほうがドキッとするように。

私たちは、前者ではなく後者をクリエイトするのが仕事だ。



着ぐるみでなんかしたいなあ。
古くさいかなあ。
posted by おおおかとしひこ at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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