2016年06月23日

一幕で最低限しておくこと

実際のところ、一幕で要求されることは、
我々が思うよりシビアである。

何かを削らなければならないことが殆どだ。
何かを諦めてスペースを確保し、
リライトして、これだけは強く残す、
ということをやらないと、
良くできた一幕にはならない。


一幕とは、第一ターニングポイント以前のパートだ。
開始30分、などのように考えるより、
第一ターニングポイントが来る以前に、
何を達成すべきか考えておくべきである。


第一ターニングポイントは、
「本格的なストーリーのはじまりのポイント」だ。

他にも定義は沢山あるけど、
これが第一義だと考える。

あなたの話は何か?
と聞かれて、「主人公が○○する話」という形式で答えられるなら、
○○する本格的な部分が、
第一ターニングポイント以後連打するはずである。
(90分の第二ターニングポイント、決戦以前までに)


ドラマ風魔は、「風魔vs夜叉」という話だから、
第一ターニングポイントは、
その対決がはじまる直前、
バックネット裏で、風魔と夜叉が対峙するシーンである。
瞬間でいえば、風魔たち登場シーンだ。


それまでにやっておく一番大事なことは、
主人公への感情移入であると僕は思う。

正確に言うと、
「主人公が陥ったシチュエーションに興味をもち、
その解決を主人公とともに歩む感覚」だ。


必ずしも主人公が好きになっている必要はなく、
この人の視点で今後この話を見るのは、
なかなか面白そうだぞ、
と思わせればそれで勝ちなのである。


それには、
その陥ったシチュエーション、
主人公がどういう経緯でそこに落ちたか、
主人公がどうしようとしたか、
そこでどういうことがさらに起こり、
主人公の当座の目的はなんになったか、
主人公はどう思い、どうしようとしているのか、
などが明らかでなければならず
(いくつかは伏せることで興味を引くテクニックもあるだろう。
ただし、完全に伏せるのは効果がない。
この時点で明らかになっていることを定義することだ。
何故なら、知ることは信用のひとつだから)、

かつ、
それが面白くならなければならない。

上記のことを明らかにする理由は、
「この話が最後まで面白いという信頼に足る」ことの保証のようなものだ。


全く知らない奴がクラスに来たとしよう。
あるいは、妹に彼氏が出来て、家に来るとしよう。

そいつはどんな奴だ、と気になるはずだ。
どこから来た、何が目的だ、
どんな奴だ、家族は、他の人間関係は、
などを、ある程度知ると、満足するはずだ。
そして問うのだ。そいつは信頼に足るのか?と。

何も、正義で人当たりがよくてホワイトである必要はない。
「これからある、本格的なこと」に対して信頼に足るかだけだ。
つまり、「妹との交際」「クラスのこれから」に対して、
そいつが信頼出来るかなのだ。
まあ妹の彼氏は浮気しないホワイトであって欲しいけど、
クラスに来たヤツは、ブラックなほうが面白いかも知れない。
迷惑を被るのはごめんだけど、詰まらないクラスをかき回すようなヤツだと、
歓迎かもしれないぞ。

ドラマの小次郎だって、
滅茶苦茶な性格で、まっとうな正義のヒーローじゃあない。
姫子ちゃんにガン惚れだし、
暴れん坊だし、後先考えない。
ところが、やるときはやる実力と、
「試合がちゃんと出来るようにしたから、
あとはスポーツの実力(過度な干渉はしない)」
という態度が、この人は信頼できるかも知れない、
と思うに足るのである。

実はこのシーン、何気ないけれど、
かなり上級的なシーンなのだ。
もしなかったとしたら、
ただ暴れん坊の強いヤツが来た、というだけだ。
大丈夫か?という不安スタートになってしまい、
第一ターニングポイント以前に、
小次郎が信頼できるかも、というシーンがなくなってしまう。
(そのあと原作通りに武蔵に足を貫かれ、
第一線から外されるし)

どんな「信頼できるかも」の形でもいい。
その主人公とともに歩むことに対して、
私たちがそう思えればよい。

エピソードでもいいし、
シーンでも、台詞でもいいかも知れない。
(おそらく、行動である。
何故なら映画では台詞は嘘をつけるからであり、
行動は嘘をつかないからだ)
普段嘘をついてる奴が、ここだけは嘘をつかない、
なんてシーンもよくあるよね。


一幕は、日常が壊されて、
なにかが起こり、
それに振り回されて引き込まれるパートである。

それが本格的なストーリーのはじまり、
すなわち第一ターニングポイントが訪れる前に、
私たちは、この主人公と一緒に、
その本格的なストーリーを楽しむ気になっていることが、
一番肝要なのではないかと思う。


ダメな例を。
「偉大なる、しゅららぼん」。
第一ターニングポイントが明確に存在しない。

30分までは、転校してきたヘンテコ高校の、
色々が紹介される地獄めぐりである。
一端暗転を挟むことから、30分を第一ブロックとして意識していることは明確だ。

それが、「本格的なストーリー」がその後はじまらない。
(Bストーリーの深田恭子は出てくるが、
それは本格的なストーリー、ジジイの反乱話とは関係がない)

私たちは、主人公岡田将生の視点には立っているが、
この人が信用に足るかどうか全くわからず、
この人とともに今後あり得る冒険に対して、
あまり興味が持てない。
(実質の主人公は、濱田岳ではないかという議論は既にした。
だとしても、同じくだ)
つまり、感情移入に失敗している。


相変わらずファイアパンチを例に出すと、
第一ターニングポイントをどこと考えるかだ。
「この物語はアグニの復讐劇である」とすれば、
第一話のラストだろう。
僕はそう思ってアグニに感情移入したのだが、
その信頼は、9話に至るまで裏切られっぱなしである。
だから詰まらない。
あるいは、まだ第一ターニングポイントは来ていない、
と考える手もある。序章と銘打っているし、
「この物語は、雪の魔女を祝福者が倒す話である」が、
本格的なストーリーなのかも知れない。
(たぶん違うだろう)
だとしても、僕らはアグニとともに、この話を見守ろう、
という信頼は、今のところちっとも出来ていない。
だからずっと面白くないのである。
(いつになったらファイアパンチするんだ、
という我々の期待裏切られ感は、
最初に見たファイアパンチでアグニを信頼したからである。
ファイアパンチを使わなくとも、
私たちはアグニを信頼したいのである。
だがずっと頭マンであり続け、私たちはずっとアグニとの意志疎通を絶たれている。
恐らくだけど、作者は意志疎通するのが恐いのだ)



さあ、先週はじまったてんぐ探偵、
第一ターニングポイントは4話の予定だ。
それまでにシンイチとともに歩むことに、
信頼させられれば僕の勝ち。

(実は既に一話に小さくは仕込んである。
天狗の力を人前で示してでも子供を助けようとする場面においてだ)

ということでステマかい。
いやいや、理論と実践は、両輪です。



好きな映画の冒頭30分を研究しよう。
面白い映画は、確実に、
主人公を何らかの形で信頼しているはずだよ。
(正義である必要はない、と再三書いておく。
この人なりの首尾一貫、という信頼のこと)
posted by おおおかとしひこ at 11:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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