2016年06月24日

何故ダークファンタジーが流行り、かつ一般化しないのか

ダークファンタジーとかいい始めたのはいつ頃からだろう。

CGの発展によって、ファンタジー的なものが作れるようになったことと、
初期のCGは夜や闇と相性が良かったこと
(太陽の下だとCGとばれやすいが、夜なら暗いのでCGっぼくない。
グエムルはその常識を覆したが)
と、機を一にしていると思う。
(ついでにビジュアルバンドの隆盛も同時期だね)


漫画でもアニメでもラノベでも、ダークファンタジーばかりである。
ところが映画やドラマはそうでもない。
ここに秘密がある。
出す側のことではなく、受け側のほうに。

ダークファンタジーは何故流行り、
何故一般化しないかの答えがこれだ。

つまりダークファンタジーは、
「こんな下らない世界をぶっ壊したい」という年齢にしか、
受けないのである。


人間の成長を考えよう。
社会の庇護が得られ、全能感に溢れた子供時代が終わると、
自立の時期がやってくる。

たとえば中二病と呼ばれる症状。
この世界を全否定し、ぶっ壊したいと思うのである。
丁度肉体が大人になってゆく過程だから、
暴力の全能感にもしびれる頃だ。
あとセックスも。
親の監視から外れて、自由に無茶をしたい年代の、
特有の精神状態かも知れない。
(だからダークファンタジーには、親が出てこない)


70年代から80年代は、それは不良文化と呼ばれた。
90年代はその異物のヤンキーだ。
盗んだバイクで走り出したり、
少しずつため息覚えたエイティーンだった。
60年代は、マルクス主義と全共闘だったと思われる。
リアルタイムでないので推測だが。

あるいは、リアル世界への反抗でないパターンもあった。
ホラーに出てくる怪物は、必ず親や先生やいじめっ子を噛み殺した。
異世界に転生しても、リアルいじめっ子をぎゃふんと言わせた。
(ネバーエンディングストーリー、ET)

ダークファンタジーは、この系譜の下にいる。

世界は明るくない。
世界は残酷で、ドライだ。
世界に救いはない。
世界は偽善者ばかりで、いい人は仮面を被っているだけ。
特定のいじめっ子だけ殺したってダメだ、世界がまるごとひっくり返らなければ。

そう感じる、リアル世界に違和感を持つ人とっては、
ダークファンタジーのほうがリアルなのだと思う。



実は僕はダークファンタジーが好きではない。

年を取り、人生を知ったからである。
世界は壊れないし、一気に変わらないと知ったからであり、
世界を変えるには、継続的に少しずつ、一貫してやっていくしかないと、
社会の仕組みを知ったからである。

ダークファンタジーが、
単なる現実逃避であり、
仮に世界が破滅したって、
自分の思う通りに世界は変わらないことに気づいたからだ。
(例えば東北は、震災後、自由で豊かな世界に変わったか?
魔物のさ迷うダークファンタジーになったか?)


何故一般的なファンタジーではなく、
ダークなのだろうか?

ダークなものは、人は恐れをなすからである。
日々世界から傷つけられている人々は、
世界を怖がっており、「世界から怖がられたい」からである。
つまり投影が起こっているわけだ。

ダークファンタジーの隆盛は、
世界から傷つけられた人の多さを示している。
そこにしか逃げ場がない人の多さも示している。

思春期は、傷つきやすいものだ。
自分が全能ではないと知って行く過程だからだ。
毎日、二十四時間傷つけられ、
自分こそがどん底にいると感じている。

外国では、これは宗教と家族が救うことになっている。
日本では、今のところ救う手段はない。
勝手に卒業して、働いて暮らせ、ということになっている。
リア充になれなかった者に、日本社会は冷たい。
(かつては村社会が救った)


ダークファンタジーに救いはない。
救いを求めても救われない。
何故なら、結末は、世界の破滅か、世界を棄てるしかないからだ。

かつての文学者なら、
現実の人生の比喩としてダークファンタジーを描き、
そこからの脱出は、人間社会を生き抜く知恵になるように作っていた。
だけどダークファンタジーは、
人生経験の薄い、漫画家やラノベ作家が連発しているのが、
ちょっと怖い。
結末が不安定なまま、あれは一体何だったのだろう、
と不満が募り、別の似たようなものを探させてしまうからである。

たとえばガンツの最終回のいい加減さには、
僕は腹が立ってしょうがない。
地獄を描いた者は地獄に落ちっぱなしではダメだと思う。


実は映画にも、見かけは全く違うのだが、同じジャンルがある。
アメリカンニューシネマの系譜、「俺たちに明日はない」「イージーライダー」
「明日に向かって撃て!」「タクシードライバー」など、
フランス映画「汚れた血」「ポンヌフの恋人」
「髪結いの亭主」「ニキータ」などだ。
いずれも当時の若者の悩みが、などと語られたが、
ダークファンタジーを作ることが出来なかったから、
現実の世界の範囲内で似たようなことをしただけだと、僕は考えている。
逆に、ファンタジーに逃げなかったからこそ、
現実の世界での決着のつけかたを、教えてくれたようなものだ。

この系譜は、90年代末「トレインスポッティング」に結実するような気がする。
これ以降僕は社会に出て働き始めたので、
この手のものに興味がなくなったかもだが。


これ以降、CGの発展によって、
ダークなCGが流行った。
ハリーポッターも指輪も、暗い世界が暗い世界観をつくった。

明るい世界にCGが足されるようになっても、
結局ダークファンタジーに需要があるのは、
送り手の都合ではなく受け手の都合のような気がしている。




色々話題の「亜人」を読んでみた。8巻まで。
演出は上手いけど、脚本そのもの、
もっと言うと目指しているものが、
なんだかなあと思った。
同時に、僕はこの年代が喜ぶものを、
卒業してしまったのだなあと思ってしまった。

ダークファンタジーは、死ぬしか結末がない。
死に魅入られても、何かを創るまではいかないのだよ。

最近どうも体に合わないファイアパンチは、
亜人の影響下にあるという。
たしかに、全く同じ匂いは感じた。
実は、ダークファンタジーはこの匂いさえあれば、
なんでもいいんじゃないかとすら、仮説が出てくる。

すなわち死と関係するファンタジーであり、
ダークな世界があり、
この現実世界をひっくり返しかねない勢いがあり、
世界は残酷で救いがない感じを、
全能感のある主人公が駆け抜ける感じ。
親の監視や存在が希薄で、
暴力とセックスが重要。
(女を取り込むため、過度なセックスが禁止されているものもある)
そして、主人公は恐れられる。


これは、成長期のひとときしか、夢中になれないから、
ピークのある受け方をして、かつ世界には広まらないのだ。

戦国武将の発言や句や兜などを見ていると、
それこそ中二病なものがたくさんある。
中二病のまま世界をひっくり返そうとしていたのだと、
物凄く分かりやすい。
今の日本は不幸だ。フロンティアが埋め尽くされている。
だから、「内なる世界」にしか、矛先がいかないのである。


てんぐ探偵は、それらを全部分かった上で、
じゃあどうしようか、というところを描いているつもりだ。
妄想に落ち込まず、現実を生きていくための、
処方箋のようなことを目指している。
うまく受け入れられると幸いである。
ということで、今夜10:09、第二話!
posted by おおおかとしひこ at 13:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
凄く良い意見ですね。
ただ私はそうは思いません。
現実が優しいからこそ、
優しさの無い酷い世界に魅了されるのだと思います。
現実では、実際少し頑張るだけで人生のハードルは
下がります。ここは個人差があるかとは思いますが...
どう頑張っても人生のハードルが下がらない世界を
求めてしまっている変態も中にはいるのですよ。。
Posted by emi at 2020年10月30日 23:11
emiさんコメントありがとうございます。

いずれにせよ、
現実と逆のものを人は求めるということでしょうかね。

僕はだいぶ頑張ったつもりですが、ハードルは高いですねえ…

Posted by おおおかとしひこ at 2020年10月31日 02:42
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