会話が上手じゃない人はほんとに多い。
リアル世界での会話は上手じゃなくてもいいが、
シナリオの会話は上手じゃなけらばならない。
(経験上、ある程度比例する。
会話が下手なら酒なしでキャバクラに通い、
彼女たちが何故会話上手か、研究させてもらうとよい)
その第一原因は、ご都合主義だ。
ご都合主義とは、ストーリー(主人公)の都合で話が進むこと。
逆にいえば、「相手にも都合がある」。
たとえば、「会おう」と連絡したって、
リアル世界で会って話が出来るとは限らない。
相手が忙しく、その都合が取れないこともある。
強制的に呼び出す、
相手の所へ出掛けて強引に話す、
長文メールなどで用件を伝える、
待つ、
誰かに仲介してもらう、
などを選択する必要がある、
たとえば、相手に好きだと言っても、
相手はそうでないことも沢山ある。
そこからラブストーリーははじまるわけだ。
(終わることも多い)
自分の都合がある。
相手にも都合がある。
会話とは、それらを埋めていくこと、
それぞれの都合をある程度変形させていく過程、
でもある。
洒落た冗談や蘊蓄の披露は会話ではない。
それは会話の華でしかなく、
根や幹ではないのだ。
もし会話が上手じゃないなら、
「はじめて出会った男女が、
恋に落ちるまで」を、会話劇で書いてみたまえ。
そう一筋縄ではいかず、
そんなご都合主義にならないことは予測できるだろう。
(そうでなければコントになる。
イエス、フォーリンラブみたいにね)
難しい?
そんなことはないよ。
世の中にあるラブストーリー映画は、
つまるところこれの変形バージョンを死ぬほど作ってるってことだよ?
ドラマ風魔のような忍者バトルの話ですら、
小次郎-姫子のラインは大人気だ。
(実際、ラブストーリーオンリーよりも、
中間に何かを挟んだ方がラブストーリーがやり易い。
よく例に出すのは、文化祭実行委員会の男女だ。
小次郎-姫子の場合、「命を懸けた人殺しの実行」だ)
さて、ラブストーリーには何段階もの人間関係のフェイズがある。
最初は何にも関係のなかった二人が、
自分の都合優先だったのが、
少しずつ自分の都合を動かすはずである。
つまり、
自分の都合、相手の都合を理解し、
自分の都合を動かすか、相手の都合を動かす提案などを、
会話でやることになる。
軽妙な冗談や蘊蓄が潤滑油になることもあるけど、
それを使わなくても、それらを会話で表現することは可能だ。
そして、相手も、
自分の都合、相手の都合を理解し、
自分の都合を動かすか、相手の都合を動かす提案などを、
会話で返してくるだろう。
それぞれがそれぞれの思惑で動くとき、
そこに「生きた二人」がいることになる。
つまり、ストーリーの都合で動くのではなく、
「自分の都合で動く二人」がだ。
ラブストーリーに限らない。
上司と部下でも、
国際会議でも同じである。
人は自分の都合優先であり、自分の都合を変えることはない。
それぞれはそれぞれの都合で動いている。
接触して会話するのは、
それぞれの都合を調整する為だ、と考えることも出来るだろう。
○今晩ヒマ?
●いえ、ちょっと仕事が
○飲みに行こうよ
●え、じゃ、んーと、7時までに終わらせるんで待てます?
○待つ待つ
という、よくある会話ですら、
自分の都合と相手の都合を調整しているわけだ。
○飲みに行こう
●OK
は、会話になっていないと、この定義なら言えるだろう。
これは都合の押しつけであり、
相手のOKは相手の都合ではないからである。
さて、会話とは何か。
映画とは何かと同じだ。
目的の遂行である。
上の会話でいえば、
「飲みにいきたい」と、「仕事をあげなければならない」である。
これらの矛盾(コンフリクト)を解消するため、
「7時まで待つ&仕事を切り上げる」
という妥協案を締結したわけだ。
相反する二者が第三の選択肢を見いだすアウフヘーベン、
という難しい弁証法が、この会話の中に入っていたわけだ。
相反する二者とはコンフリクトのことである。
それは、それぞれ都合があるということだ。
その都合を、目的や都合の変更で曲げていくことが、
ターニングポイントというわけだ。
言葉だけだと難しいこういうことも、
単純な飲みに誘う会話ですら、
脚本のなかで成立していなければならないのだ。
自分の都合を押しつける
→相手は自分の都合を優先し、抵抗する
→第三の選択肢へ
という一連の流れが物語の本質だとすれば、
それを会話でやらない理由がない。
あなたの会話はなぜ上手くならないのか?
会話劇で映画を書いてないからである。
どんなお喋り上手も、物語的な会話が書けるとは限らない。
書けるのは、脚本家だけである。
ちなみに、キャバクラ嬢やお喋り上手を観察していると、
「相手に合わせる」のがとても上手なことが分かってくる。
自分の都合を譲歩させ、相手の都合を優先させる、
つまり上手な聞き役になるのである。
ネタが豊富なのは、そのネタで時間を使うだけで、
一方通行であり、会話ではなかったりする。
会話とは、互いの都合の変形のしあい。
そういう風に会話をとらえ直すと、色々なことが見えてくる。
2016年06月25日
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