2016年06月25日

会話の上達

会話が上手じゃない人はほんとに多い。

リアル世界での会話は上手じゃなくてもいいが、
シナリオの会話は上手じゃなけらばならない。
(経験上、ある程度比例する。
会話が下手なら酒なしでキャバクラに通い、
彼女たちが何故会話上手か、研究させてもらうとよい)

その第一原因は、ご都合主義だ。
ご都合主義とは、ストーリー(主人公)の都合で話が進むこと。
逆にいえば、「相手にも都合がある」。


たとえば、「会おう」と連絡したって、
リアル世界で会って話が出来るとは限らない。
相手が忙しく、その都合が取れないこともある。
強制的に呼び出す、
相手の所へ出掛けて強引に話す、
長文メールなどで用件を伝える、
待つ、
誰かに仲介してもらう、
などを選択する必要がある、

たとえば、相手に好きだと言っても、
相手はそうでないことも沢山ある。
そこからラブストーリーははじまるわけだ。
(終わることも多い)

自分の都合がある。
相手にも都合がある。

会話とは、それらを埋めていくこと、
それぞれの都合をある程度変形させていく過程、
でもある。


洒落た冗談や蘊蓄の披露は会話ではない。
それは会話の華でしかなく、
根や幹ではないのだ。

もし会話が上手じゃないなら、
「はじめて出会った男女が、
恋に落ちるまで」を、会話劇で書いてみたまえ。

そう一筋縄ではいかず、
そんなご都合主義にならないことは予測できるだろう。
(そうでなければコントになる。
イエス、フォーリンラブみたいにね)

難しい?

そんなことはないよ。
世の中にあるラブストーリー映画は、
つまるところこれの変形バージョンを死ぬほど作ってるってことだよ?
ドラマ風魔のような忍者バトルの話ですら、
小次郎-姫子のラインは大人気だ。

(実際、ラブストーリーオンリーよりも、
中間に何かを挟んだ方がラブストーリーがやり易い。
よく例に出すのは、文化祭実行委員会の男女だ。
小次郎-姫子の場合、「命を懸けた人殺しの実行」だ)


さて、ラブストーリーには何段階もの人間関係のフェイズがある。
最初は何にも関係のなかった二人が、
自分の都合優先だったのが、
少しずつ自分の都合を動かすはずである。

つまり、
自分の都合、相手の都合を理解し、
自分の都合を動かすか、相手の都合を動かす提案などを、
会話でやることになる。

軽妙な冗談や蘊蓄が潤滑油になることもあるけど、
それを使わなくても、それらを会話で表現することは可能だ。

そして、相手も、
自分の都合、相手の都合を理解し、
自分の都合を動かすか、相手の都合を動かす提案などを、
会話で返してくるだろう。

それぞれがそれぞれの思惑で動くとき、
そこに「生きた二人」がいることになる。

つまり、ストーリーの都合で動くのではなく、
「自分の都合で動く二人」がだ。


ラブストーリーに限らない。
上司と部下でも、
国際会議でも同じである。
人は自分の都合優先であり、自分の都合を変えることはない。
それぞれはそれぞれの都合で動いている。
接触して会話するのは、
それぞれの都合を調整する為だ、と考えることも出来るだろう。

○今晩ヒマ?
●いえ、ちょっと仕事が
○飲みに行こうよ
●え、じゃ、んーと、7時までに終わらせるんで待てます?
○待つ待つ

という、よくある会話ですら、
自分の都合と相手の都合を調整しているわけだ。

○飲みに行こう
●OK

は、会話になっていないと、この定義なら言えるだろう。
これは都合の押しつけであり、
相手のOKは相手の都合ではないからである。


さて、会話とは何か。
映画とは何かと同じだ。
目的の遂行である。

上の会話でいえば、
「飲みにいきたい」と、「仕事をあげなければならない」である。
これらの矛盾(コンフリクト)を解消するため、
「7時まで待つ&仕事を切り上げる」
という妥協案を締結したわけだ。

相反する二者が第三の選択肢を見いだすアウフヘーベン、
という難しい弁証法が、この会話の中に入っていたわけだ。

相反する二者とはコンフリクトのことである。
それは、それぞれ都合があるということだ。
その都合を、目的や都合の変更で曲げていくことが、
ターニングポイントというわけだ。


言葉だけだと難しいこういうことも、
単純な飲みに誘う会話ですら、
脚本のなかで成立していなければならないのだ。


自分の都合を押しつける
→相手は自分の都合を優先し、抵抗する
→第三の選択肢へ
という一連の流れが物語の本質だとすれば、
それを会話でやらない理由がない。



あなたの会話はなぜ上手くならないのか?
会話劇で映画を書いてないからである。

どんなお喋り上手も、物語的な会話が書けるとは限らない。
書けるのは、脚本家だけである。



ちなみに、キャバクラ嬢やお喋り上手を観察していると、
「相手に合わせる」のがとても上手なことが分かってくる。
自分の都合を譲歩させ、相手の都合を優先させる、
つまり上手な聞き役になるのである。
ネタが豊富なのは、そのネタで時間を使うだけで、
一方通行であり、会話ではなかったりする。
会話とは、互いの都合の変形のしあい。
そういう風に会話をとらえ直すと、色々なことが見えてくる。
posted by おおおかとしひこ at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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