2016年06月27日

さすが糸井重里良いこと言うぜ

簡潔に言うのは偉い人の仕事だ。

良いものを見たので引用しておく。


糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
今日のダーリンより

・肉は、肉のもとになる獣よりも、その獣を獲った猟師よりも、その獣の肉を切り分ける者よりも、その肉を配るもののパワーとして表現される。

つまり、たとえば、こういうことだ。税金というのはもともと、人や、法人が払うものだが、いったん国だとか県だとかに集められる。それは「予算」というかたちになって、必要とするところに配られることになる。国が予算を持ってる都が予算を持ってる、と言われる。どこにどう予算を使うかということが、「肉を配る」ということになる。国が力がある、東京都は力があるなどと言われるのは、その「肉を配る」場にいるからだ。

企業がモノやサービスを売る。人々や企業がそれを買うから、お金が集まる。集まったお金を例えば広告に使おうとして、代理店に預ける。代理店は、メディアや制作会社に「肉を配る」。代理店に逆らえないなどという幻想が振りまかれるのは、「肉を配る」役割を持っているからだ。

稼いだ人よりも、集めた人よりも、育てた人よりも、磨いた人よりも、料理した人よりも、いちばんパワーを持っているのは、配る人。肉を切り分けて、「それ、あんたに、これくらい」と、なるべく手渡しに近いかたちで配る人なのだと思う。

だから、いま「肉を配る」位置にいるものは、その場所を動きたくないのだ。創るものでもなく、集めるものでもなく、配るものの場所にさえいればパワーが保てる。いろんなことが変化する時代なのに、いい考えが、思ったよりうまくいかない理由は、「肉を配る」ことが、既得権になっているからだと思う。

(引用ここまで)


時々見ているほぼ日から。
毎日このエッセイは変わるのでURL貼るより引用とさせて頂いた。

映画や映像の世界では、
脚本家や監督より、プロデューサーが「配る人」のポジションにいる。
芸能事務所が人気芸能人を「配る人(時間を割いてくれるかどうか)」
のポジションにいる。
制作会社より、各映画館やテレビ局に「配る人」のポジションのほうがえらい。
原作を資金提供者に配って映画ビジネスをはじめる。

それは、最初から配る会社に入った人の既得権益だとも言える。
ちなみに金の話をすると、一般的に、えらい方が給料がいい。

それを批判したって、配る人は俯瞰で考えたことはないだろうけれど。


ダイエーの流通革命や、
海外への事業移転のネットワークづくりや、
IT革命によって、
配る人が既得権益(ネットワークと手数料)を、
作ったのだろう。
今またネットテレビなどの配るビジネスが始まっては潰れている。

僕は昔から、土地屋(不動産屋)と、建築家(土建屋)に、
この関係を例えてきた。
土地を配る人のほうがえらいんだよなあ。
2ちゃんに書き込む人よりまとめサイトの方がえらい。
そんな感じかな。
祭りも、巫女とかよりヤクザのほうがえらいのかね。


僕の、これまでの何故面白い脚本が世の中に生まれにくいのか、
という問いの、半分を言い当てられたような気がする。
残り半分は?
もちろん、私たち書く者の実力のことである。
posted by おおおかとしひこ at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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