2016年06月30日

地味な人間ドラマを派手にする方法

地味な人間ドラマがじっくり書けるのが、
ほんのうの脚本力だと思う。
しかしそれは地味であまり人に気づかれない。
完成度とか、よく分からない指標に分類されてしまう。

そういうのを派手に見せる、見せかけの方法がいくつかある。


まず、派手な職業の人にしてしまうとよい。

平凡なサラリーマンのドラマを、
スイーツ職人の話とか、
有名俳優の話とか、
宇宙飛行士の話とか、
華族とか、
アラブの石油王の話とか、
アメリカの大統領の話とかに、
書き換えてしまうとよい。
(あとはその派手な度合いで、
目立つとか、物珍しさとかが決まる)

主人公やメイン人物の職業を派手にすると、
それだけで華やかになるというガワのテクニックだ。
これはてんぐ探偵のドラマが、
「普通の人々」を描いていることの逆である。

職業ものは、知らない仕事の話だと急に面白くなる。
たとえば「消防士もの」の元祖は「バックドラフト」であるが、
実は刑事物とシナリオの構造は殆ど同じだ。
あの名ラストだって、
事件現場に急ぐパトカーに書き換えることはすぐにでも出来るだろう。
それを、(当時)目新しい消防士に置き換えたことで、
あの映画は傑作になった。
勿論、消防士ものにしたことによる、
絵面の新しさ(炎の撮影)を獲得し、
イコンになったことも含まれる。

「踊る大捜査線」も、サラリーマンのドラマに、
刑事物のガワを被せたことで有名だ。

あるいは「ロッキー」は、
青春ドラマ(青年のアイデンティティー)に、
ボクシングのガワを被せたし、
「スターウォーズ」(Ep4)は、
同じく青年のアイデンティティーに、
スペースオペラのガワを被せた。
(だからEp4だけが、スペースオペラオモチャの文法でない、
唯一映画的なストーリーがあるのだ)

中二のアイデンティティードラマに、
ロボットアニメのガワを被せた「エヴァンゲリオン」は、
中二病らしくアイデンティティーが確定しない未完作である。
(多分きちんと完結することはないだろう。
綾波とセックスして、童貞を捨てると終わると思う)



このテクニックの利点は、
誰もに当てはまるドラマをしっかりと作れて、
なおかつ絵面に新鮮さが加わり、
見かけが派手になることである。
(初心者は、見かけの派手な世界から先に探すため、
誰もに当てはまる人間ドラマにたどり着くまでに体力が尽き、
世界観は面白いけどストーリーがいまいちになる)


今てんぐ探偵の二期(58話以降の新展開)を考えているのだが、
地味な人間ドラマを続けるスタンスなのか、
派手な職業にしていくか迷っている所である。
(刑事コロンボも、ブラックジャックも、
ゲスト主人公は派手な職業の人なんだよね)



ついでにもうひとつテクニックを。

人を殺すといい。

これはよくあるので、みんな知ってるだろう。
深刻さが増し、何か大事なことが進行しているように、
見せかけられるからである。
月9がこのテクニックを最終回間際で使い、
(主人公が急に難病にかかり、死ぬ死ぬ詐欺に)
それまでの流れを陳腐化した失敗は記憶に新しい。
見てないけど。

「トップガン」が人間ドラマになる瞬間は、
やはりグースの死であると思う。
「命を賭けること」が国防の意味だからである。
安易っちゃあ安易だが、テーマに関係してるから文句が言えないのだ。

人が死ぬときは、死ぬ瞬間よりも、
それがどのような意味があったか確定し、
その死を無駄にしないときに、最も盛り上がる。
ドラマとは、死んだ人間のものではなく、
生きている人間のものだからだ。
(そういう意味で、
力石が死んだあとのあしたのジョーや、
棟方コーチが死んだあとのエースを狙えは、
その死を乗り越えきれなかった作品である。
たとえばバキで、今オーガが死んだとしたら、
芯がなくなって空中分解するよね。
それぐらい主人公バキに魅力がない)



あとひとつ。

場所を派手にするとよい。

ニューヨークの、パリの、などは定番だね。
日本の映画が派手にならないのは、
東京ロケの困難さに尽きると思う。
80年代や90年代はそれでもロケをやっていた。
東京ラブストーリーとか。
まあそいつらが過去色々ロケ地に迷惑をかけたせいで、
東京のロケは世界一難しくなっている。
ウルヴァリンサムライのアキバロケは、結局合成とCGだったしな。
(増上寺は私有地なので許可が容易であった。
東京ロケで困難なのは、公共地である。
フランシスコッポラの渋谷スクランブルロケは、
無許可でやったので、大渋滞を引き起こして、
事件になる前にロケ隊は海外へ逃げたという。
お陰で今でもスクランブルは、プロは報道以外撮影出来ない)
だから日本の映画は、いつまで経っても派手にならない。

有名な話だが、
渋谷でカーチェイスする「ワイルドスピード3:トーキョードリフト」
は、渋谷の町をアメリカの郊外にそのまま作った。
金のあるハリウッドならではだ、というのだが、
それは渋谷ロケよりも金が安いという理由である。


ロケ撮影の必要のない漫画は、
渋谷でバトルしたり東京を上手く使える。
これが実写化するとへぼい場所ロケになってしまうけどね。

「踊る大捜査線」に戻ると、
「湾岸」というほぼ架空のステキな場所を、
作り出したことが大きいと思う。
今のお台場はほぼ廃墟なのは、歩いてみるとよくわかる。
(先日お台場でロケしたのだが、
あのお台場ステキステマは何だったんだろう、と考えさせられる)

ということで、
架空のステキな町とか、
面白い場所をロケ地に選ぶと派手になるだろう。

一時期ぽーんと流行った、山を舞台にした作品群は、
「新しいロケ地」を発見したに過ぎないと思うよ。

外国映画の魅力の1/3ぐらいは、ロケ地の面白さに依存している、
というのは言い過ぎかね。



他にも色々あると思う。
プロットを思いついたあとで、
ガワを被せられないか、検討してみるのは面白い。
そのときに初めて取材を始めることになるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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