逆に、禁忌を書いてみよう。
派手なアクションを入れること。
これはやってはいけない。
カンフル剤になるけど、薬が切れたあとが余計酷くなる。
たとえば爆発が起こるとしよう。
その瞬間、すごいひきつけられるけど、
何故爆発が起きたのか、
その爆発がどのように影響するのかを考えること、
すなわち線という必然性を作らないと、
ただ狼少年的に騒いだだけになる。
たとえば殴りあい。
一見面白いアクションがあるとひきつけられるが、
何故殴りあいになったのか、
何故話し合いでおさまらなかったか、
何故リスクを取ったのか、
などに納得のいく線がないと、
アクションが終わったあとに疑問符だらけになり、
余計詰まらなくなってしまうものだ。
簡単なアクションのひとつは、
「女が男を平手打ちにする」であるが、
それが凡庸な理由によるものなら、
それ以降の興味を失うだろう。
つまり、アクションはカンフル剤にはなるが、
結局薬が切れたあとがダメになる。
妊娠すること。
ラブストーリーものや、ドロドロものにはよくある。
しかしそのあとの展開をきちんと考えてないと、
これもカンフル剤にしかならない。
結婚にしても中絶にしても、
そのあとの段取りがとても多いので、
それがそのメインストーリーに関係あることでない限り、
そのあと困ることになるだろう。
遭難すること。
困ったら山に迷わせるなど。
危険が生まれて、その時は面白いのだが、
何故遭難したのか、
何故遭難を避けられなかったのか、
助かったのは何故か、それがあとで何に生かされるか、
などの線がないと、同じくカンフル剤にしかならないだろう。
ダメな例は、
映画「女の子ものがたり」の遭難シーンに見ることが出来る。
これは単発エピソードに過ぎず、
どのエピソードとも絡んでいない。
原作にないオリジナルシーンだけど、入れる意味があったか?
やりたかっただけちゃうんか。
あるいは思い出すのが、山崎さやかの漫画「17」の、
山で遭難→赤ん坊を焼いて食うエピソード。
あれは前後と何の関係もないよね。
アゲアゲのパーティーシーン。
絵は派手になるが、
同じくその場面が何に使われるかで決まってくる。
何にも使われないのなら、そのシーンごと落としてもいいよね。
(最近ナカテツのCMが、意味もなくパーティーシーンを入れてくるの、
多くね?)
つまり、点のカンフル剤は意味がない。
物語とは、
全てが線で有機的に関係して、はじめて物語だ。
2016年07月01日
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