2016年07月01日

地味な人間ドラマを派手にする方法2

逆に、禁忌を書いてみよう。


派手なアクションを入れること。

これはやってはいけない。
カンフル剤になるけど、薬が切れたあとが余計酷くなる。

たとえば爆発が起こるとしよう。
その瞬間、すごいひきつけられるけど、
何故爆発が起きたのか、
その爆発がどのように影響するのかを考えること、
すなわち線という必然性を作らないと、
ただ狼少年的に騒いだだけになる。

たとえば殴りあい。
一見面白いアクションがあるとひきつけられるが、
何故殴りあいになったのか、
何故話し合いでおさまらなかったか、
何故リスクを取ったのか、
などに納得のいく線がないと、
アクションが終わったあとに疑問符だらけになり、
余計詰まらなくなってしまうものだ。

簡単なアクションのひとつは、
「女が男を平手打ちにする」であるが、
それが凡庸な理由によるものなら、
それ以降の興味を失うだろう。

つまり、アクションはカンフル剤にはなるが、
結局薬が切れたあとがダメになる。



妊娠すること。

ラブストーリーものや、ドロドロものにはよくある。
しかしそのあとの展開をきちんと考えてないと、
これもカンフル剤にしかならない。
結婚にしても中絶にしても、
そのあとの段取りがとても多いので、
それがそのメインストーリーに関係あることでない限り、
そのあと困ることになるだろう。


遭難すること。

困ったら山に迷わせるなど。
危険が生まれて、その時は面白いのだが、
何故遭難したのか、
何故遭難を避けられなかったのか、
助かったのは何故か、それがあとで何に生かされるか、
などの線がないと、同じくカンフル剤にしかならないだろう。

ダメな例は、
映画「女の子ものがたり」の遭難シーンに見ることが出来る。
これは単発エピソードに過ぎず、
どのエピソードとも絡んでいない。
原作にないオリジナルシーンだけど、入れる意味があったか?
やりたかっただけちゃうんか。

あるいは思い出すのが、山崎さやかの漫画「17」の、
山で遭難→赤ん坊を焼いて食うエピソード。
あれは前後と何の関係もないよね。


アゲアゲのパーティーシーン。

絵は派手になるが、
同じくその場面が何に使われるかで決まってくる。
何にも使われないのなら、そのシーンごと落としてもいいよね。
(最近ナカテツのCMが、意味もなくパーティーシーンを入れてくるの、
多くね?)


つまり、点のカンフル剤は意味がない。
物語とは、
全てが線で有機的に関係して、はじめて物語だ。
posted by おおおかとしひこ at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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