もし創作が、自分の願望を見たすためだけに存在しているのなら、
それはとても独りよがりな可能性がある。
一旦、願望を描くのを封印して作ってみると、
願望と願望じゃないものの差が見えてくる。
願望の代表格はなんだろうね。
モテとかハーレムかね。
俺ツエーかね。
成功成功また成功かね。
いじめっ子を虐殺することかね。
いろんな人に愛されることかね。
あるいは、ロボットや兵器を描き倒すことかね。
アクションとかバトルとかかね。
女子高生を変態的に描写することかね。
イケメンの萌えばかり書く人もいるよね。BLもいるか。
さあ、それらをまるごと封印して、話を作ってみなさい。
これは究極の縛りプレイかもしれない。
逆に言うと、自分の創作のマグマがどこにあるかを知るプレイでもある。
あなたの普段からの願望が、ひとつも出て来ない話はどういうものだろう?
賢者モードみたいな、悟りをひらいた話?
それなら毒にも薬にもならない、無難な話かもしれないね。
願望が出て来なくても、主人公のものすごい思いを描いたり、
それが成功したり失敗することに本気になれる話を書くことは可能だ。
それは、「表面的なことは違うのだが、本質的なことが同じこと」
を書くことになるからだ。
つまり、感情移入の仕組みとほとんど同じなのである。
あなたの願望を叶える話は、他人にとって面白いとは限らない。
逆に、誰が見ても、自分と関係ないのに引き込まれるものを書くべきだ。
つまり、あなたの願望とは関係ない人すらも、
面白く見れるようにつくるべきだ。
それに、あなたの願望充足は、邪魔なのである。
さあ、自分の願望を充足させるのを、あなたの作品内でやってはいけない。
その時、あなたは何なら書けるだろう。
ここからが本当の創作の入り口なんだぜ。
2016年07月01日
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