2016年07月03日

自己批評との闘い方2

一個書き忘れたので追加しておく。

表現において一番よくないのは、恥ずかしがりながらやることだ。


自分に自信を持てとか、
堂々と、なんて無茶は言わない。

自信がないから、リア充にならず創作世界に来ているのだろうから。

だけど、
自信がなさそうにやったり、
別にすっごい面白いわけでもないんで、そこまで熱くならなくていいよ、とシニカルに構えたり、
恥ずかしがってるのは、
客に失礼だ。

思い切り、全力で、振り切るのが芸である。

恥ずかしがるのは、学芸会で終わらせたまえ。


これ、いまいち詰まらないんだよなあ、と思って書いたやつは、
恥ずかしい出来になる。

本気で振り切ったやつの中に、面白いものの候補がある。

もちろん、思い切ってやったのに寒い出来のものになるものも、
沢山ある。
しかしそれは、全力で滑っただけだ。
滑りもしない中途半端な芸の、百万倍プロ的である。


僕は関西人だからか、
やるからにはちゃんと芸になる、というのが身に染みている気がするが、
関西圏以外の文化の人は、そうでもないらしい。
恥ずかしがってる芸に、意味はない。

おもろいかおもろないか、全力でぶつけてから考えたらええんや。
滑ったら、次はもっとおもろいものを出したらええのや。

萎縮が、その思い切りにブレーキをかけていることを、自覚することだ。
posted by おおおかとしひこ at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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