一個書き忘れたので追加しておく。
表現において一番よくないのは、恥ずかしがりながらやることだ。
自分に自信を持てとか、
堂々と、なんて無茶は言わない。
自信がないから、リア充にならず創作世界に来ているのだろうから。
だけど、
自信がなさそうにやったり、
別にすっごい面白いわけでもないんで、そこまで熱くならなくていいよ、とシニカルに構えたり、
恥ずかしがってるのは、
客に失礼だ。
思い切り、全力で、振り切るのが芸である。
恥ずかしがるのは、学芸会で終わらせたまえ。
これ、いまいち詰まらないんだよなあ、と思って書いたやつは、
恥ずかしい出来になる。
本気で振り切ったやつの中に、面白いものの候補がある。
もちろん、思い切ってやったのに寒い出来のものになるものも、
沢山ある。
しかしそれは、全力で滑っただけだ。
滑りもしない中途半端な芸の、百万倍プロ的である。
僕は関西人だからか、
やるからにはちゃんと芸になる、というのが身に染みている気がするが、
関西圏以外の文化の人は、そうでもないらしい。
恥ずかしがってる芸に、意味はない。
おもろいかおもろないか、全力でぶつけてから考えたらええんや。
滑ったら、次はもっとおもろいものを出したらええのや。
萎縮が、その思い切りにブレーキをかけていることを、自覚することだ。
2016年07月03日
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