そもそもの、あなたの批評能力はどうなっているだろうか?
実は、
批判するほうが言を細かく言えて、
誉めるほうが一言だけだったりすることが、
とてもよくある。
これは最近僕も自覚しているのだが、
批判するほうが言葉が饒舌になり、
誉めるときは一言「うむ」というだけだったりするのである。
(だからズートピアの批評は沢山書いたつもりだ。
今後「若者が希望に燃えて都会へ出るが挫折する」や、
「女主人公の職業もので、男バディもの」
というジャンルの母型=パクリ元になることうけあいだ)
自分の評価するもの、
好きなものについて語る言葉のボキャブラリーが、
少ない人は気を付けるとよい。
それは自分に向けられる刃と同じであると。
自己批評は、あなたの批評である。
あなたの批評の癖が出る。
あなたは、たとえば10本の映画批評をしてみるといい。
遠い過去に見たものではなく、
「見終えた直後」の批評がいい。
(自作品への自己批評タイミングと合わせるためである)
もし、誉めるより非難するほうが多いのなら、
あなたは誉める批評より、
批判する批判に偏りがちかも知れない。
それがブーメランになっているだけならば、
自己批評が辛くて当然ではないか?
その可能性を自己批評から除外したことはあるか?
否、殆どの人が、
自分の批評家としての特性になど、自覚的であるわけがない。
僕はてんぐ探偵リライトの半年間、
ずっと自分をどう誉めるか(いいものはいいと認めるか)
を工夫してきた。
実際出来がいいのもあるけど、
誉めるときはIQを下げると上手くいくことに気づいた。
つまり、感情的に誉めるといい。
号泣した、めっちゃええわー。
あっと驚いた。声出たわ。
落ちに大爆笑。まさかあれが!
などなどのようにだ。
勿論ボキャブラリーは少ないのだが、
良かったら良かっただけ、似たような言葉を繰り返すオッサンの酔っ払いのように、
同じことを違う言葉で気のすむまで誉めるといいだろう。
それから冷静に批判するならすることだ。
少なくとも賛否両論になるだろう。
批判一辺倒大炎上にはならない。
ということで、自分を落ち着けられるのである。
一長一短だな、と。
じゃ何が一長で何が一短かを、
分析していけば弱点や改善点も思いつくだろう。
自己批評は、たいてい批判だらけになる。
それは世界を良くする批評か?
欠点の指摘だけで終わってないか?
欠点の指摘プラス改善アイデアを出しているか?
そうじゃないなら、その自分の批評に、
自分が殺されるのを眺めるだけになる。
批評は、世界を良くするためにある、
そんな批評が出来ないのなら、
自己批評なんてそもそも批評足り得てないのである。
暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう。
批評も、自己批評も、そうありたいものである。
(これは俺に刺さるブーメランでもあるが)
2016年07月07日
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