これは自分だけの現象と思わないこと。
批評力が鋭い人ほど、そのナイフを自分に向ける。
俺はいつも自分の刃を自分に突き付けながら、
脚本を書いたりしているわけである。
ところで、セルフコーチングの話。
アスリートのメンタル的なことから発展して、
上司が部下をコーチングする、
みたいに発展してきたと思うんだけど、
セルフコーチングをマスターすると、
自己批評と闘えるかも知れない。
つまり、
出来なかったことではなく、
出来たことで自分を誉めていく。
伏線が書けた!
最後まで書けた!
シーンとシーンの繋ぎがいい!
この台詞の一行はとてもいい!
このテーマで俺が書けるとは!
女キャラの台詞がうまくいった!
○ページ書けた!
などなど。
心の中に松岡修造を呼び出してもいいし、
優しいおねえさんやお母さんを呼び出してもいい。
(経験上、同性のほうがいいみたい。
異性だと色恋や甘えが入るので、
そういうのなしで損得抜きの、同性がいい。
同性のほうが厳しくも優しい目線でいてくれる。
以下松岡修造で統一。
女性の方やゲイの方は、以下お蝶夫人で)
批評してくる奴らを、とりあえず松岡修造に止めてもらうといい。
もう少し待って、彼はヨチヨチ歩きなんだ!
と批評家を体をはって止めてもらうといい。
松岡修造のような、仲間や味方がいないと、
敵にいじめられて負けてしまう。
その敵は自分だというのに。
松岡修造に敵を止めてもらうだけでなく、
あともうちょっとだけ頑張ろうとか、
ここは出来てるから大丈夫とか、
出来てない部分はあとで書き直そうとか、
こことここだけを今回のセッションでクリアしようとか、
100%ではないけど70%でぎり合格とか、
ポジティブな批評をしてもらうといい。
それが貯まってきたら、
それが自信になる。
自信というのは、0から100になるものではない。
1が5になり、15になり、30になり、
8に戻り、12になり、18になり、50になり、
また3になったりするものだ。
松岡修造に、1や5や10を投票させよう。
自己批評は、マイナスしかつけない。
プラスを投票させるとよい。
そうすると、
作品を前に、
良かった点と悪かった点を、
表にして並べることが出来る。
良かった点は残して、
悪かった点を改善するように、リライトしていく。
リライトするためには、完成させなければならない。
完成させるまでは、
心の中の松岡修造に守ってもらおう。
恐ろしいのは、
松岡修造の言葉を真に受けて、
これは世の中になかったかつてない名作である、
と勘違いすることだ。
特に古今東西の名作を見ていないとそれが起こる。
(まあ若さゆえの勢いもあるけど)
松岡修造は、あくまでコーチだ。
完成までしかいてくれない。
完成したら、その試合を冷静に批評することだ。
そしてまたリライトをはじめ、
既に松岡修造に誉められたことは自信をもってやればよく、
また松岡修造に誉められる新しいことをすればよい。
テニスの試合と違うのは、
リライトならば前の原稿を利用していいところである。
つまり、悪かったところを改善する試合をし続けているうちに、
松岡修造に誉められるところだけになれば、
リライトは完成だとも言えるだろう。
つまり、松岡修造がいれば、
試合のコートはリライトのたびに狭くなる。
心に松岡修造を。
松岡修造、すげえな。
2016年07月07日
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