ある程度だけれど、
運動神経のいいやつは、頭の回転もいいみたいだ。
運動神経が悪いとはどういうことか。
実はこれ、上手く話が書けない、
という純粋に頭のことと思われる問題に、酷似している。
運動神経が悪いのは、
「自分の想像している体の動きと、
実際に動いた体の動きが違う」ことらしい。
頭の中ではいい感じのモーションでボールを投げようとしても、
実際のモーションはへたっぴだと言うこと。
これは、ビデオカメラで撮って、その場で再生して、
いかに自分がイメージと違うことをしているかを見ることで、
ある程度改善するらしい。
鏡を見ることでもある程度改善するだろう。
つまり、
イメージ(頭の中で自分はこう動いていると思っていること)と
実体(実際に動いた動き)にギャップがあることが、
運動が出来ないことの原因らしいのだ。
もう殆ど結論は出た。
頭の中で、自分がこう書いたはずだ、と思っていることと、
実際に書かれたものが、
ずいぶん違うことが、
話が書けないことの原因ではないか?
自分では大爆笑だと思っているギャグがダダ滑り。
自分では感動だと思っている話が陳腐。
自分ではリアルだと思っていることが小学生並。
一言で言えば「客観性がない」ということで括られる、
これらのことが、
実際には、あなたのイメージするように書けていない、
ということにあなたは気づいていない可能性がある。
書いた直後にこれを判断することは困難だ。
しかし、
半年前に書いた自分の原稿を見てみれば、
どれだけ当時の自分に客観性がなかったか、
嫌というほど分かることが、まれにしょっちゅうあるのではないか?
中二のノートが黒歴史の理由が、これだ。
ビデオカメラみたいな便利な道具は、
ストーリー書きにはない。
他人に朗読してもらったり、
自分の朗読をビデオに撮るなどのやり方、
名作と比較してみることは、 以前にも書いた。
ただ、身内びいきというか、自分可愛さというか、自己満足というか、
他の作品と比べても遜色ないとか、
思ってしまうことが多いのである。
脚本の場合なら、
役者の肉体を通したときに、役者が修正してくれることもある。
編集で粗を隠す手もある。
客観的になる瞬間が、結構多いのである。
小説はそうもいかないので、大分寝かさないと難しいのではないかなあ。
他人の意見は客観的であるようでいて、
実は主観だったりするので、
参考にしすぎてはいけない。
自分の主観と異なる主観に出会うことで、
ある種の客観性を持てるかも知れないが。
さて、どうすればいいかについて、
今回は即効性ある方法はない。
長い時間かけて、
自分の運動をビデオカメラで見るような経験を積むことだ。
長いことやって来た人は、ある程度それは出来ているし、
始めたばかりの人は、やはり自分が見えていないことが多い。
長いことやって、客観性を確保していくことだ。
(経験上、半年前の原稿なら客観性が保てる。
それぐらい期間をあけて、しかも何本もやらなくちゃいけないから、
それなりに時間がかかるわけである)
自分の思ったように、本当に自分の文は出来たのか?
そんな簡単な自覚すら、難しいことを自覚することだ。
逆に、話の上手い人は、
自分の思ったように言葉を使えて、
自分の思ったように観客が反応し、
正確に予測して正確に実行出来て、
頭の中のイメージと現実の差がない人のことだ。
そうじゃない人をずれてるというのは、
話でも運動でも同じだろう。
これは、ある種の感覚である。
学習して身につけるものである。
(幼少期に運動経験が豊富だと、
頭の中の運動イメージと、実際の体の動きに差がないらしい。
物語については、誰も調査していないけど、
話好きとか書くのが好きで、体験が豊富だと上手いかもだね)
2016年07月08日
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内容(脚本)と売上げ(商売論)は、100%正比例しません。
その微妙なところが、脚本論が正義になりきれないところです。
ステマでごり押しすれば売れるときは売れる。
公式のコミックス紹介も、ちっとも1巻の内容を示していないログラインで、結構腹が立っていました。
これから売れるかも知れないし、2巻以降が売れるかも知れないし、今後爆発的に面白くなるかも知れないし、
まだ静観しています。
今10万円賭けろと言われればノーヒットに賭けますが。
記事の内容とはあんま関係ないのでこのへんで。
ファイアパンチに関しては全く別のことを考えていて、
纏まったら書きます。
ネットが漫画を良くしているかという論点かな。
いっそのことトガタが主人公の
「文化が途絶えた氷の世界で文化(映画)の再建を図る女の奮闘」
みたいな話にすればよかったのに。
それだとタイトル「ファイアパンチ」じゃなくなりますが 笑
その話だと完全に亜人のサトウと同じになり、
(目的とキャラが違うだけ)ネタ元がバレバレになるでしょう。
また、トガタの上げている映画が、
何故素晴らしいのか、何故守る価値があるかを、
私たちに感情移入させる必要があります。
そこまで出来てはじめて仕切り直しならあり得る。