2016年07月11日

作品が四層仕上げだとすると、シナリオは二層仕上げである

シナリオは、それで完成品ではない。
そのあとのスタッフワークで完成する。
ところが、その作品が面白いかどうかは、
九割ぐらいシナリオで決まってしまう。
(数字は人による)

作品は大きく四層仕上げだけど、
シナリオはその下二層を担当する。


一番下の層は、ストーリー構造だ。
プロットやストーリーライン、
三幕構成などで表すことができる。
文章よりも、図でかくことも多い。

つまりは、
あれがああなってこうなってこうなる、とか、
ここでどんでん返し、とか、
伏線をここで張っておいて、ここでネタバレ、とか、
こっちのストーリーラインで起こっていたことが、
こっちのストーリーラインと混ざる、とか、
分離する、とか、
全部の因果関係(こうだからああなのだ)、とか、
○○な危機がやってきた、とか、
そもそものテーマは○○で、とか、
全体を一言でいうと○○、とか、
ラストシーンは大体こうなるので、全体の意味は○○、とか、
全部で○ブロックに分かれていて、とか、
それぞれの目的は○○だから、それぞれのストーリーラインは△△で、とか、
大きな焦点は○○で、大きなターニングポイントで△△になる、
とかである。

骨格とか内臓などにたとえたけど、
これが殆ど全ての面白さを決める。
(設定とかキャラ設定だけでは、上にあげたものが全然揃っていないことが分かるだろう)
数字でいえば七〜八割。

ここが面白くないと、
次の層で面白かったとしても、ストーリーが詰まらない、
ということにしかならない。


第二の層は、台詞とト書きだ。
絵と言葉である。

台詞の魅力、キャラの魅力はこの層だ。
台詞が物語の魅力の大半であることは、論を待たないだろう。

しかし、人は何も思わずに台詞を垂れ流すことはない。
人は何かをするために、何かを主張するために、
言葉を絞り出す。
つまりは、ストーリーがない限り、
人は言葉を発さない。
なんの目的もないお喋りは、女子はとても好きだが、
シナリオの中でお喋りは一行もあってはならない。
それはストーリーではないからであり、それは無駄だからである。
(もちろん、ハンドルの遊びのように、少しのお喋りは楽しい。
しかし削ぎ落としたシナリオは、お喋りは一文字もない)

キャラの魅力は、台詞だけでなくどう行動するかでも決まる。
台詞は嘘をつけるが、行動や決断は嘘をつかない。
(このギャップを利用してもよい)
それを書くのがト書きだ。

さて、絵が物語の魅力であることに異論はないだろう。
絵はシナリオではスタッフワークである。
だけど、その設計はしておく。

たとえば、今回のてんぐ探偵の表紙絵はなかなか魅力的だが、
これは、誰がかいてもある程度魅力あるように設計されている。
あえてト書きでかけば、
「シンイチ、闇の中で火の剣を構える。
少しだけ天狗面をずらし、素顔が垣間見える」
などとなるだろう。
実際の構図やポーズや表情や配色、
細かいエフェクトなどは絵師次第だけど、
この設計の上に絵を描く限り、
誰がかいてもなかなか魅力的な絵になることは、
第二層で保証されるわけだ。


三層、四層では、
この骨格にあわせて、外皮を被せて行く。ガワである。

三層。

小説では、地の文がこれに当たると思っている。
漫画でも映画でも、絵の魅力がこの層である。
表情や芝居のキャストの魅力、
構図やカッティングの魅力(撮影部、照明部、編集部)、
色彩やデザインの魅力(美術部、衣装部、ロケーション、アートディレクション)、
音楽の魅力、
などの魅力だ。

写真は、この層だけを扱うが、
第一層の一部を含む、
つまりストーリーが見えるのがいい写真だと僕は思う。
(ストーリーは消えるべきという考え方もある)

踊りもこの層だ。
ただし写真と同じく、意味やストーリーがあったほうがまとまりやすい。
ミュージカルは、全ての層が面白くないとダメだろうね。
ミュージカルこそエンターテイメントの頂点、
というのはそういう意味だと思う。


四層は?

宣伝だと思うんだよね。

まだ見ない人に、見ようと思わせること。


僕は長年広告の世界にいるので、
ここでどれだけ嘘をつけるか知っている。
嘘というのは極端だから、ドレスアップと言ってもいい。

あるいは、物量の大量投下を決めるのも広告戦略だ。
CM一本流すお値段×回数の資金(一流なら億)、
テレビバラエティーに出演しての宣伝(数百万)、
ネットや雑誌への出稿(数千から数百万)、
ニュースの買い取り(数百万)。
あるいはグッズを作る。
これらは、枠を買うという行為で、
その枠に何をつくるかは、また別の人がやる。

普通は、四層は、三層までの人と違う人が担当する。

不思議なことは、作品の興行成績は、ほぼ宣伝に比例することである。
作品が良いからヒットするのは、第二波、つまり作品の良さが伝わってからであるから、
今ほとんどの興行は、宣伝の一波で回収している。
(経験的には、第二波が来るまで、数ヶ月かかる。
人が人を信用するのにかかる期間だと、直感的に理解している)


勿論自主製作なら全部自分だろうね。
僕は学生時代作った三本の自主映画は、全部やった。

宣伝が魅力的でないと、
まず見ても貰えないという真実はある。
だけど、ただのごり押しでは、内容が薄いと文句しか出ない。
(今邦画は、その負のループに入ったように思える。
宣伝できないから劇場にかけられない、
という却下の仕方があるとは、僕は角川映画とやるまで知らなかった。
それを上手く宣伝するのが広告のプロだというのに、
テンプレに当てはまらないのは、宣伝できないというのだ。
これが、新しい映画が世に出にくい、バカな仕組みである)




あなたは、第何層のことを見ている?
あなたは、第何層にいる?
あなたは、ある層とある層を取り違えていないか?
あなたは、どの層を面白いと判断し、どの層を詰まらないと思っている?
それらを見る目を養わないと、
自分がどこにいるか、分からなくなる。


僕は、常に第一層から順に作るべきだと考える。
逆流は出来ないと思う。
(たとえば「絵はいいから、あとはこれに魅力的なストーリーをつけてくれ」
は、出来ない注文だと思う)
posted by おおおかとしひこ at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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