2016年07月11日

ネットネイティブ(ファイアパンチ総評:12話まで)

ずっと「ファイアパンチ」が、
「なんだか気になるのだけど、いつまでたっても面白くならない理由」
について考えていて、そのしっくりこなさ加減に説明がついた。

ネットネイティブ世代が週刊漫画をかくようになったからではないか、
というのが仮説だ。


ネットのリアルタイム感が、連載からは感じられる。

それは一話のステマだったり、
ある程度炎上マーケティングがある編集部の作戦も含み、
思いつきでストーリーラインやジャンルを変えてくるスピード感やライブ感、
おそらく2ちゃんやツイートを見てるであろうセルフツッコミや、
次話で先週のツッコミに対して設定を足していいわけしている感じなどが、
僕のネイティブな週刊連載漫画のペース=80年代のジャンプのペースよりも、
ずいぶん速い感じがする。

当時はアンケートハガキからしか読者の声を拾うことができず、
しかも集計してからストーリーラインに反映するには、
描きだめもしてあっただろうし、
数週のタイムラグがあったと予測される。

90年代のTBSドラマでは、
今週の視聴率を見て、来週の台本を変更するなんてことをしてたらしい。
そんな馬鹿なと思ったものだ。
撮影から編集まで一週間でやれるわけがない。
だからみんな無理して体を壊して去っていき、
耐えられるほどのぬるい人たちが今のドラマを作ってきた、
と悪口を言ってよいレベルだと思う。

ストーリーとは起伏であり、
伏があるから起がある。
伏だからといってダメではない。
来週へのタメとして今週があるにも関わらず、
台本を変更されてしまえば、
全体のストーリーがダメになるのは火を見るより明らかだ。

でも今週の視聴率が勝負と言われれば、スパンの短いものをするしかない。

そうやってドラマはダメになっていったし、
野沢尚の自殺も、そのような業界への悲嘆があったことも一因だと僕は考えている。
(野沢尚は、最終回まで台本を書いてからじゃないと撮影を許可しなかった。
つまりは全体で作品だという立場だった。
当然と言えば当然なんだけど、「今週の視聴率でストーリー変更」ということに、
耐えられなかったのだろうと僕は推測している)

結局ドラマは、
全体で計画して物を語るのではなく、
最初話題を振りまいて視聴者を呼び込み、
あとはアドリブでホンを直していく、
企画キャスティング先行、
あとづけでライブ的なアドリブ、
というものに成り下がっている。
ひな壇を揃えて、あとは毎週面白ネタをぶっこめばOK、
というバラエティーのつくり方に近い。

「成り下がる」というのは、脚本構成の立場から見ている。
ライブの方が計画したものより上だ、という立場もあり得ることは断っておく。
事実、作りこんだコントよりも、
その場で面白いことを言える芸人のほうが人気だからだ。

実際のところ、その場でアドリブでいけるほうが一回で答えが出やすいから、
リスクを抱えなくて済むという、
刹那主義が実質の答えなのかもしれない。



ということで、ファイアパンチだ。

ここ最近のライブ感、アドリブ感のスピードは、
我々が「佐々木くんが銃弾止めた」で目撃した感じにとても似ている。
思いつきで捻じ曲げ、どうにかしてオチをひねりだす感じ。

僕の知っている漫画家で言えば、車田正美が一番近い。
しかし車田御大の頃とは時代が違う。
アンケートハガキは数週、
視聴率は先週、
ネットの反応は数秒で出る。
数秒は極端だけど、趨勢は数時間で決すると思う。かかっても半日だろう。
ネットの世界では半日祭りに遅れたら、遅いと言われるよね。

もちろんネットを見てからかきはじめるのではなく、
ある程度はかいてあって、台詞の一部をアドリブで
変更したりしているかも知れない。
(それゆえ、齟齬が出やすいだろう。それをまたアドリブで捻じ曲げるわけだ)

いずれにせよ、機に応じ変ずる様は、
僕がこれまで経験してきた週刊連載ペースというより、
ネットのスピード感に似ている。
(ほかに週刊ネット漫画は読んでないので、平均は分らない)

数週前の設定など忘れて、
この週と次ぐらい面白ければいいんじゃないの?
今受ければその後のことはあとで考えるわ、
そういう時間スパンの短さが、ネット的だ。

たとえば、このブログのファイアパンチ評論は10記事以上ある。
どこかのリンクからやって来る人は、その記事だけ読んで、
評論の全貌を読む人は1/200以下であることが解析からわかっている。
その全貌を知った人でも、ファイアパンチに粘着しているという感想は抱くが、
僕が実写ガッチャマンや実写進撃を、議論を重ねて否定していることに比べれば、
たいして粘着していない、ということまでは知らない。

つまり、ネットの知性とは、
何日や何か月にも渡る線を把握したり、比較をすることに向いてなくて、
点による動物的反応に近い。
その場限りの関係だ。

リアルはそうではない。
あの時ああ言ったではないか、ということは、数か月から数年前までさかのぼるだろう。
十年前に言ったことが夫婦げんかの種になることも普通にある。
(逆に、リアルでは忘れる程度のことでも、ネットでは永遠に残るということもあるけど)

首尾一貫性のスパンが、ネットでは極めて短いと思う。


わたしたちは、もう妹ルナのことや、サンのことは忘れかけている。
獣姦とかぴょんぴょん銃のことも忘れかけている。
トガタのその週限りのアクションや、
むちゃくちゃな発言が面白ければよし、という見方になりつつある。
その、視野が二週ぐらいの感じが、
とてもネット的だと僕は感じた。

これは、非難や批判ではない。
ただそうだ、と描写しただけだ。
ネットネイティブのスピード感のある作家が、
週刊のネット漫画を描いている、
という事実に僕は気づいただけである。

だから、ネットがなかった時代の漫画のようではない、とか、
全体が計画されず思い付きで転がしている、なんて批判は、
きっと的外れなのだ。


ただ僕は、この漫画(もはや「現象」ということばが似合うと思うが)
は、あまり好きではないことだけは確かだ。

週刊漫画として見た場合の、設定の齟齬がとても気になるからだ。
今週で言えば、
「新幹線大爆破」や「スピード」を匂わせるヒキからの、
何もなかったようにはじめる感じは、
メタ的で新しいでしょ、というよりは、ちゃんとしようや、としか思えない。
今週の、トガタ、アグニ、ユダの会話劇は、へたくそな説明会話でしかなかった。

この漫画の面白さは、従来的なものではなく、
メタも含めた、
パクリも含めた、
変わり身の速さも含めた、
ネット批評前提も含めた、
その場限りのアドリブ的な面白さである、
と断定しても、そろそろいいのではないかと思い、ここに記した。


さて、
何故僕は、ここまでこの漫画の、次週が気になるのだろう。
第一話のアグニの八年間に、感情移入したからだと思う。
ネットネイティブ的には、感情移入なんて古臭いだろうね。
その場が盛り上がれればいいのだから、線による感情移入は不要だ。

むしろ、一話の感情移入(復讐劇)を、
マクガフィン(それが何であってもよい、ストーリーを前に進める小道具。
それ自体は変化せず、前に進めてさえいればそれはそれ自体には言及されない)
としてメタ的に使っているのではないか?

つまり僕は、中身のない復讐劇というマクガフィンに、
目くらましを受けているのではないか?

そういえば、
「謎を強烈にふりまき、回収しない」という映画の代表に、
「マルホランド・ドライブ」をよく僕は例にあげるが、
アグニの復讐劇は、たとえばあの青い箱程度でしかないのかも知れない。

今週のへたくそな会話説明劇を見る限り、
「何かをしようとしていることを見守らせて、次に引っ張る」
ことこそ、この漫画の本質ではないかと思った。


浦沢直樹の漫画は、もう少し上等に引っ張ってくれた。
感情移入もそれぞれの分岐ストーリーの中でうまくやってくれた。
少なくともスパンは一か月ぐらいはあった。
もはやこの漫画はそれをも超えて、
感情移入すらひとつのマクガフィンにしようとしているのではないか。
ネットネイティブにとっては、そこにある全てのものが、
使える小道具か/使えない小道具に見えるのだろう。



僕らが人工知能に抱く興味と恐怖に、少し似ている。
藤本タツキのたくらみに、最初は面白そうだと惹かれるのだが、
付き合っているうちに、こいつ何考えてんだか全然わからなくて、
だんだん怖くなってくる感じ。

だから、先が少し気になる。
僕は、人工知能は人類を幸せにするとは考えていないからだ。
旧世代のオッサンのたわごとかどうか、この先を確かめたい。
posted by おおおかとしひこ at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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