前記事の議論をふまえて。
つまり、ストーリーを書くには、
「ちょっと考えたレベル」以上の深い思考がないと、
ダメだという逆の話。
ちょっと思いついただけでは、
最初に前ふりをして、途中別のものに一端夢中にさせ、
忘れた頃に伏線をあっという方法で回収し、
見事な落ちをつけて、
腑に落ちさせることは出来ないだろう。
ちょっと考えただけでは、
首尾一貫した矛盾なき行動と、
同様に他の原理に基づいた首尾一貫した矛盾なき行動との、
絡みやいさかいや争いや、
複数の視点から見ても良くできているものなど、
出来ないだろう。
ちょっと考えただけでは、
この先もこの先も面白くなってくる話など書けないだろう。
ちょっと考えただけでは、
最後まで面白く、最後になるほど盛り上がる話は書けないだろう。
ちょっと考えただけでは、
計算され尽くした、無駄のない構造の話は書けないだろう。
ちょっと考えただけでは、
様々な立場や性格の人々の集まる、一通りではないガヤガヤを書けないだろう。
ちょっと考えただけでは、
ドミノ倒しのように全ての謎が解けて行くカタルシスなど書けないだろう。
つまり、ちょっとしか考えてないから、
思いつきではじめたはいいが、途中で情熱が尽きて書けなくなったり、
途中で思いついたのに乗っかったはいいが、矛盾だらけになっていったり、
どのキャラも似たようになってしまったり、
キャラが生き生きと立たなかったり、
キャラは立つのに話が進まなかったり、
矛盾を誤魔化したらもっと矛盾が出てきたり、
このへんでいいか、と妥協せざるを得なかったり、
締め切りで時間切れになり、穴だらけになったり、
さっきまで面白かったのに急に詰まらなくなったり、
いったいこれは何の話か一向に掴めなかったり、
パッと見は面白いのによく考えると変だったり、
するのである。
よく考えること。
深く考えたり、長く考えたり、広く考えたりすること。
全部を考えていたら、石橋を叩いて渡らない羽目になるから、
ある程度は見きり発車の勢いも大事にしたほうがいいけどね。
週刊漫画連載って、ノープランの綱渡りを楽しむことだっけ。
滑る芸人を見続けて飽きたら捨てる、みたいな残酷ショーかもなあ。
ということで、
そういう消費の仕方をされるのか、
よく考えられた素晴らしいものだと言われるか。
映画は少なくとも、後者であるべきだと思っている。
こういう話で時々書くのだけど、
あのドリフの頭30分のコント、いかりや長介が毎週台本書いてたんだよね。
それに反発した、志村と加藤がアドリブの笑いをしはじめて、
組み立てた笑いの中にキャラの笑いを作って、
ドリフは爆発した。
そのまま、いかりやと志村加藤は袂を分かつことになる。
どちらが正しかったかは今でも分からない。
僕は両方のいいとこ取りをすればいいのに、
と一歩引いた目から見ているのだけど、
今になるといかりやの偉大さを痛感する。
逆に映画シナリオは、
きちんと組み立てたストーリーの上に、
役者や他の才能のアドリブが炸裂すべきだと考える。
だから、沢山考えるべきだと思う。
2016年07月12日
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