2016年07月18日

「すごい」は必要か

たとえば「この漫画が凄い!」なんてリストが、
漫画業界で流行ってきた。
これがどれだけ売上を変えてきたかについては、
よく知らないのでとりあえず置いておく。
(ステマ説もあるよね。
芥川賞、直木賞、土用のうなぎ。
これらは売れないものを売る、元祖ステマみたいなものではある)

さて、ストーリーに「凄い」は必要だろうか?


僕は、面白いか面白くないかが、
第一に大事だと思っている。

「面白い」とはどういうことをいうか、
というのはなかなかに難しいが、
笑える、間抜け、爆笑、知的ユーモア、ブラックユーモア、シュール、
などの笑いのベクトルもあれば、
感動、号泣、じんとする、悲しい、あったかい、
などの感動ベクトルもあれば、
スリル、恐い、人間の恐ろしさ、自然の恐ろしさ、スペクタクル、
などの恐いベクトルもある。
語れない感情の名前とか、複雑な感情もある。
オシャレやデザインが良いとかの、ガワの良さもある。

これらは点の感情を示すものであり、
写真でも短いものでも可能だ。

ストーリーというのは、これに加えて、
構成の面白さ(伏線やどんでん返しも含む)、
引き込む力、練られた展開、
矛盾のない首尾一貫性、カタルシス、
感情移入、主人公の変化に影響を受けること、
などが含まれると思う。


これらの要素は、主な面白さを並べただけだが、
全てが必要なわけではないが、
足りないと物足りなくなるので、
濃く、練られているほうが面白いと思う。


ところで、「凄い」である。
何が凄いのだろう。
何かが突出して甚だしいのだろうね。
笑いが凄い、
スケール感やスペクタクルが凄い、
熱い感情が凄い、
ストーリー展開が超展開で凄い、
どんでん返しが凄い、
などなどだろう。

つまりそれは、一点突破のウリがあり、目立ち、
キャラが立っているというわけだ。

キャラが立っているものは、売りやすい。
だから、「この漫画が凄い!」は、
売りやすいベスト10みたいなものだ。

これはつまり、売り手がバカだということを示している。
キャラが立っているものを売りやすいのは当たり前だ。
食べ物でいえば、辛いものや甘いものを売ることに似ている。
派手に目立ち、他と違う分かりやすい特徴が、
短時間で売れるのは当然だろう。

そこまで目立たないが、本当に面白いもの、
本当に良作、ためになるもの、知的レベルが上がるもの、
意外と良かったもの、買い手のレベルを上げるものなどを、
届けるべき人に届けるのが、僕は真の商売だと思う。

つまり、売り手が短絡に即売れするものにしか対応してなくて、
売るべきものは何かを考えていない感じがするんだな。

食べ物でいえば、
素材をちゃんと生かした地味な和食、
伝統的なおやつ、
ソウルフードみたいな常食、
何度食べても飽きない献立、
などをどう売るかを、売り手が考えるべきだと思う。


それは、結果が出るまで時間がかかるかも知れない。
だけど、一度分かれば癖になる。
癖になるどころか、
それがないと人生に張りがないところまで、いくポテンシャルがあるのに。



凄いと思われることだけを目的にすると、
ただ凄いことだけをして、
スパイスだけ入れまくって旨味のない、
刺激だけのものになるだろう。
旨味を人は求めていて、それに刺激を適度にまぶすべきなのに。
(ファイアパンチ、実写進撃などは、
そのようなスパイスだけを入れようとした結果だと思う)



凄いものを書こうとするな。
面白いものを書こうとせよ。
凄いものしか売れない、バカな売り手を信用するな。
面白いものを書いた上で、
売り手が売りやすいようにいいスパイスをまぶして、
キャラを立たせよう。

ぼくらは七味職人ではない。
うどん職人である。七味は添えるだけ。
posted by おおおかとしひこ at 13:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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