2016年07月25日

短編こそ難しい

ここでいう短編は、練習用に書くショートのことである。
5分、3分、長くとも15分
(それぞれ原稿用紙5、3、15枚、すなわち2000、1200、6000字)
のものを言う。
実際には需要がないが、
ネットシネマに需要があるかも知れない。

短編は、10本も書けばわかるけど、
思ったより難しい。

上手な省略が鍵である。


初心者は、なんでもかんでも全部書こうとする傾向がある。
頭の中の想像を外に出すことを、
最初にするからだろう。

だが、それは最初からちまちま段取りを収録しているに過ぎない。
現実にカメラをダラダラ回しても、
見るべきところはオイシイ所のはずだ。
編集が行われるはずである。

ということで、編集とは省略のことである。

オイシイ所を中心にすえる。
それを理解するのに必要な情報だけを与える。

こうして、ダラダラ語ることなく、
ズバリと本題から入れるわけだ。


初心者は、舞台を設定して、主人公を紹介して、
そこからようやく事件が起こる段取りで書いてしまう。

勿論、最初の何本かはそういう練習が必要だ。
自転車をまっすぐ走らせる基礎技能みたいなものだ。

だけど現実には、
オイシイ所からはじめないと、
短編はすぐ終わってしまう。

オイシイ所からはじめて、
不安定な事件の進行と同時に、色々を設定するのがモダンだ。
いや、短編では設定すら省略するかもだ。
○○な男が、という所を、
男が、としてしまうことで、
話の芯だけを露出させられるだろう。


短編では、感情移入する前に話が終わる。
(少しばかりの感情移入はあるかも)
ということは、感情移入というものは、
15分とか、ある程度長いこと一緒にいないと難しい。
隣人に愛情がわく、みたいなことも含みである。


はじまりだけでなく、
展開部分、落ちも省略を効かせて、
なるべく語らずに語ること。
一番大事な所だけ描き、他は省略することだ。
そうじゃないと尺に入らない。
結果的に、省略が強制される。
これが短編で練習する、いい部分である。
省略を体が覚えるのである。
普段なら10分かかるシーンを、3分に凝縮して描けるのである。
これは長編になっても役に立つ考え方だ。

キレ、と一般に言われる部分である。

(一応書いておくと、長編には長編なりの省略があり、
短編のものをそのまま持ち込むことは出来ない。
短編の時間スパンと長編のそれは大きく異なるからだ。
多くのCMディレクターの映画の失敗は、
僕も含め、この時間スパンと問題の太さを見誤ったことに起因すると思う。
しかしナカテツはいいよなあ。下妻に至るまで、
2本も失敗出来たんだもんな)


短編のキレは、段取りの省略だけではない。
人物や、事件のキレもある。
長編ならダラダラと増えてしまう人物を切り詰めたがゆえのキレ、
長編なら事件の全貌を描いてしまうところを、
一部しか描かないことによるキレ。

(逆に、キレのある短編を長編化すると、
人物が増えて、事件がまだるっこしくなるだけだったりするよね。
短編のキレに対して、長編のコクや、長編ならではのキレが、
なかなか上手くいかないんだよなあ)


長編には直接応用できないことを分かってさえいれば、
短編を沢山書く経験は、確実に身になる。


ということで、夏休みもはじまったことだし、
一日一本書くか、プロットでも作るのはどうかな?
書く経験を身長分積むノルマを、コツコツやろうぜ。
posted by おおおかとしひこ at 11:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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