2016年07月26日

失敗出来ない社会

そういえば、20年前、
僕が映画を志して映像業界に飛び込んだころは、
「映画は10本つくって1本当てて、 トータルで回収するもんだ」
なんてことを良く聞いたものだ。

あれ?今リクープラインとか言ってるよね?
なんで一本単位でひいこらやってんだ?



たとえばナカテツが出世作「下妻物語」をものにするまでには、
「夏時間の大人たち」「ビューティフルサンデー」
という二本の失敗作があった。
(黒歴史的になってるけど)
映画ってのは、そういうおおらかな失敗を認める土壌でしか、
全力でスイング出来ないと思う。
当ててデカイホームラン狙いというか。

20年前にCMディレクターは、
4割ヒットを出せればスターだと言われた。
今1本外れを引いたら干されやすい。

いつから、失敗を許さない社会になったんだろうか。

映画を一本やってこけたら終わりなんて、
そんな分の悪い博打はないよね。
三本ぐらいやって調子を見るということも、
もはやなさそうだ。


たとえば制作費3億。
PAに6億。
リクープライン9億。

それと、10本30億。
PAに60億。
リクープラインは10本で90億。

小さいビジネスのほうがびびらざるを得ない。
(リクープラインを下げる為にPAを削り、
それで認知が出来ず動員も減り…という負のループも)
巨艦はもういないのかも知れない。
そういう映画会社は皆倒産したのかねえ。
こういう巨艦主義が出来なくなったのは、
バブル崩壊後の話なのかね。
僕は理系なのでそのへんが良くわからない。

唸るほどの金を外れ覚悟で豪快に回すやり方で、
映画は名作を作ってきた。
映画ファンなら、どれだけクソハズレがあるか知ってるよね。
(クソゲー連発だけど名作もあったゲーム業界と、
少し似ているかも知れない)


いつの間にか、失敗を許さない社会になってしまった気がする。
三本やってみてから判断ですよ、なんて話は聞かない。

こういう今、名作を作ることは出来るだろうか。

脚本だけなら作れそうだから、
僕は今日も書くけれど。


すまん、日記みたいになってしまった。
失敗してもいいから、沢山書くのだ。
そもそも、人の書くものにはばらつきがあるのだから。
posted by おおおかとしひこ at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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