2016年07月27日

変化を描くときは、虹をイメージしよう

たとえば赤から緑に変わる様を描写したまえ。
最初は赤。ラストは緑。
間は?黒?
間を書くことは意外と難しい。

これが、変化を描くのが難しい理由だ。


誰も信じなかった男が、
最後には人を信じられるようになる、
という話を書くとしよう。

最初と最後は固定できる。
だが途中は?

半分信じて半分信じてない?
その割合が、1/5、1/4、1/3と増えていく様を描く?
そういうことじゃないはずだ。

二点間を直線ABで結び、
ABの比で途中を描かないこと。

赤と緑が、10:0→8:2→5:5→3:7→0:10
になる様を描いて、変化を描いた気にならないほうがいい。

人間の変化は、そういうことじゃない。

イメージは虹だ。
赤から青に至るまで、
中間の紫を経由するだけではない。
橙や黄色、黄緑や藍色なども経由する。
それはつまり、中間値点を通るのではなく、
様々な方向へいく、
つまりあちこちにぶつかる、
ということである。

人を信じてない男の話では、
無条件に信じてくれる人が現れるとか、
その人の信頼を意図せず裏切ってしまうとか、
それを償おうとして余計に信用をなくし、信じてもらえなくなるとか、
他の信頼を取り戻そうとするとか、
人を信じなくなった原因と向かい合うとか、
そのことと意図しなかった裏切りの共通点を見つけるとか、
つまりはあちこちにぶつかる筈である。

人を0%信じる→10%信じる→20%…
という話の構造はしない筈である。



変化を描こう。
それはAのB中点を抽出することではない。
AにもBにも属さない、
あちこちにぶつかるということだ。

当然、ぶつかって方向を変えるところがターニングポイントになるわけだ。


そもそも、
物語というのは変化を描くこと。
時間変化というと滑らかな変化をイメージしてしまうけど、
人が変化するのだから、
あちこちに頭をぶつけながら、
成長していくんじゃないかと思うよ。

赤から青に、青から黄色に、橙に、黄緑に、紫に、緑に。
そういう風な、グラデーションでない軌跡を、
イメージするとよいかも知れない。
(人が変わるのは、グラデーションで変化するのではない。
一瞬だ)
posted by おおおかとしひこ at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック