2016年07月28日

表現の構造2

僕は表現が上手くない。
文章は下手だし、小説も上手くないし、
絵も下手だし、歌も下手だ。
自分ではそう思っている。
多分理想が高くて、そこに全然届いていないと判断するからだろう。
ちっとも理想にならない。
僕は下手だ。

内容については、練れるようだ。
理系出身だから、抽象化や構造化に慣れているのかも知れない。
しかし、釣り餌(つまりガワ)と、中身の上手な融合は、
どれだけやってもこれだ、という論理的結論がない。


中身については、
おそらく論理で詰めていける。
論文やここの文章はそうやって書いてるから、
まあ書ける。
論理だから、あまりガワを気にしなくてすむ。

一方、ただきれいな絵を描いたり、
ただきれいな写真を撮るのなら、
まあまあ出来る。

問題は、それらを結びつけること、
つまりそのきれいな絵で何を表すかとか、
その写真でどういう意味を見せるか、である。

主題と表現、とでも言おうか。
そういうと古くさく堅苦しいので、
もっと書く側から、
釣り餌と中身と呼んだわけだ。


なるほど、この釣り餌はこの中身と融合するためにあったのか、
と腑に落ちることが、落ちることだと思う。

たとえばシックスセンスの釣り餌は、
「幽霊が見える子供に雇われた探偵が、
幽霊騒動ホラーに巻き込まれる」だ。
この釣り餌は落ちのためにあったことが、
落ちを見ればわかる。
逆に、釣り餌が落ちの目眩ましになっていて、
なんと良くできた構造だと僕は感心したことがある。
これは論理じゃ出来ない。少しばかりの偶然が味方していると思う。

どんでん返しばかりを強調してもダメだ。
釣り餌が落ちに対してベストの機能を果たすことだ。


ただ流行に乗っただけのガワ。
中身がないことを誤魔化すガワ。
ガワが飽きたからすぐにガワを変えて、中身がないことを目眩ましにする。
ガワと中身が関係なくて、別の中身、別のガワで良かったんじゃないかと思わせるもの。
中身の導出に、ガワの必然性がないもの。
「ガワからの中身」の流れが平凡すぎるもの。
その流れに無理や矛盾や穴があるもの。

そういうものは、僕は下手だと思う。

ガワには意味がある。
本来意味はないけど、意味がある。
中身を上手く導くようにする、という機能的意味がある。



僕は表現が下手だと思っている。
そのベストの釣り餌と中身の組み合わせを、
すぐに作れない。

あなたは表現が上手だろうか。
下手でも下手なりに、コツコツやって、
少しずつ上手くなることだ。

表現とは、
いい釣り餌と、素晴らしい中身の、
組み合わせや導出の妙というところに、
僕はあると思っている。


何故天狗か?
何故心の闇か?
そこから、テーマという中身を上手く導くことが出来たか?
その釣り餌と中身の組み合わせはベストか?
いまもって分からないが、昨日、てんぐ探偵最終回の最後のリライトを終えた。
この素材ではベストを尽くしたと思う。
代表作は次回作。
次の釣り餌を、探しにいかなければと思っている。



表現は、最後まで書けて、
はじめて釣り餌と中身と、それらの関係を俯瞰することが出来る。
途中で挫折する人は、それを一度も経験してないから不幸だ。
それは、自分が表現が下手だという事実に、
向き合う勇気がないのかも知れない。
鏡で自分を見る勇気がないのかも知れない。

僕は表現が下手だ。
いつも鏡を見て、自分の不細工を確認する。
だから、次はもっと上手く書こうと思うのだ。

そのループだけが、人を向上させる。
posted by おおおかとしひこ at 11:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
てんぐ探偵は、旧バージョンから
読ませていただいております。
毎回出てくるゲストとそのエピソードに、
すごく心惹かれます。、と同時に何かこう、あと少し
なにか物足りない、モヤモヤを感じておりました。
語彙力の無い私はそのモヤモヤをどう言い表せば良いか
悩んでいたのですが、今回の記事を読んで解決しました。

大岡さんの、己の弱点に向き合う姿勢に感服いたします。

そして、改めて読む機会があったので最近読んだのですが、ブラックジャックの表現のうまさを噛みしめました。
ブラックジャック自身はもちろん、ピノコやキリコ
なんかも、そのキャラクターとしての魅力はもちろん、
物語のテーマに深く関わっているからこそ、色あせないの
ではないかと思いました。
Posted by ぐんて将軍 at 2016年07月28日 21:27
ぐんて将軍様コメントありがとうございます。

初期からの読者ですか。ご愛読感謝でございます。
実際てんぐ探偵がそのような構造を得たのは、旧30話「遠野SOS」(新26話にリライト)があったからだと考えています。

ちなみにブラックジャックは、
実はヒューマンドラマでも医療ものでもなく、
当時の釣り餌は「怪奇まんが」でした。
(小学生の頃散髪屋で読んだ、無頭児の話が忘れられない)
「奇病もの」というジャンル分けだったのですな。
これをてんぐに応用すれば、
「聞いたこともない精神の狂いを治す」なんてのが釣り餌になるのでしょうが、
それは「普通の人が普通の心を取り戻す」という、
心のありかたというテーマを歪めてしまいます。

まあ、コツコツやります。
凄く惹かれるというのは、面白いのはじまりなので。
(実際俺が漫画を描けば、釣り餌のピースは嵌まる気もしてるけど)

ブラックジャックは、手塚治虫のたどり着いた最高峰のひとつですね。アドルフ、奇子あたりかなあとは。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年07月29日 00:15
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