経験則だけど、
大体、
設定の方が、
要求する物語よりもずいぶん多くなってしまう。
以前、海外旅行に行くときのトランクの大きさにたとえた。
つまり、「何が起こるか分からないので、多目に持っていく」
という心理が働きがちである。
「料理、作りすぎちゃった」みたいなことか。
たかが設定なんて、その話で使いきるものである。
そう、たかが設定だ。
設定よりも、そこでどんなドラマがあり、
どんな結末があるかの方が大事で、
しかも難しいのである。
凄いのを書こうとして、
設定だけを盛りすぎて、
そこで使いきれなければなんの意味もないのである。
突然思い出したのだが、
エルガイムにおけるファティマ設定は、
殆どなんの意味もなかった。
ヘビーメタルとヘッドライナー(ロボットとパイロット)の、
間に立つ存在のはずだけど、
その役割はそもそもチャムファウが担うはずだったからだ。
(リリスファウだっけか?)
結局どっちつかずで、妖精キャラもロボットに埋め込まれたロボット女神も、
使いこなせずに物語は終わってしまった。
だから、改めてファティマの物語として、FSSを立ち上げた気持ちはよくわかる。
(気づいたのだが、もう30年前の出来事なのだね…)
続編とかスピンオフが派生するのは、
その設定を、その作品内で消化しきってない証拠だ。
ついでに言えば、FSSもストーリーに対して、
設定だけが多すぎる。
設定資料集漫画というジャンルだとの説もあるけれど。
エヴァもそうだね。
本編に対して設定が多くて、
ストーリーが飲み込まれただけだ。
新劇版は完結してから見るつもりだけど。
極端な例を上げたけど、
つまりはそういうことだ。
設定がすごいわりに、
物語が陳腐になってしまっては本末転倒だ。
2人分の料理を作るのに、10人前を煮込みはじめても意味がないのだ。
そして大抵のアマチュアは、
途中で出来ませんでしたと放り出すのである。
(時にプロもか)
これは自戒も込めて書いている。
連載は、多目に用意しがちで、
書いてるうちにいらなくなるものは、結構多いからである。
映画シナリオにおいては、少なくとも使わない設定があってはならない。
それは無駄であり、本来書くべき部分を圧迫する癌である。
癌であるからには、切除すべきである。
最初から最適な量を準備出来る人はいない。
だから、殆どの場合は、
「書き終えたら、使ってない設定を削る工程がある」
ということを意味するのである。
そんな工程をやったこと、ある?
ないのなら、それは偶然良かったか、
使ってない設定だらけのものか、
どちらかだろう。
(完結してないかもだが)
と、いうことで、
使ってない設定の削り方について議論しよう。
長くなりそうなので、一端つづく。
2016年07月29日
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