2016年07月31日

【りょうさんへの回答箱】大長編の計画性

(質問は適宜編集してあります)
>映画の作り方はどこまで漫画に適応できると思われますか?
ワンピースみたいな100巻を超えるであろう大長編漫画は映画と同じように作ることは難しいと思うのです。
映画の場合、始まりと終わりの展開を作り込み中盤のディティールを埋めていくという流れですがディティールを埋めると言う行為は2、3時間の尺だからこそ可能なのであって、

>漫画家の方は物語の大まかな流れ、要所を決めておいて、あとは要所にたどり着くまでアドリブ(キャラ任せ)で・・・という方が多いように思います。


100巻だろうが、計画通りに作れると思います。
あくまで原理的に、ですが。

ジャンプに限って言えば、
アンケートで展開が変わったり、
露骨な引き延ばしにあったりするので、
計画通りに出来ているわけではないでしょうね。

月刊ものだと、計画通りのものが多い気がします。


どこまでアドリブか、というと、
全てはアドリブだ、とも言えるわけです。
この文章もアドリブで書いています。

やり直しが効くか効かないかぐらいの差かも知れない。
アンドゥするには大量の手間が必要だった、
アナログ時代のほうがよりアドリブ的だったかも知れません。

アドリブのコツは、出たとこ勝負にしないこと。
ある程度の計画性と落ち(の大体)を決めて、
スタートの流れ、いくつかのターニングポイントを計画し、
途中で膨らんだらそれに任せて、
脱線しようとしたら元に戻し、
落ちへ向かっていけばOKです。

そもそも、私たちのおしゃべりや思考はアドリブです。

映画は、無駄うちしないように精密に作りますが、
(二時間一気見の媒体だから)
アドリブは一気見用ではない、
という違いを知っておくとよいかも。

ここ最近キン肉マンの言及が多いのは、
仕事で一気読みをしているからです。
アドリブの連打でも、
洗練されたように決まるアドリブと、
グダグダのアドリブがあるということ。
(王位争奪編のグダグダよ…)

前者は完全に調子(才能)でしょう。
人生のピークを、悪魔超人編〜悪魔将軍あたりで、
ゆで先生は使いきったような気がします。
(事前計画をしてないわけはないけれど、
あの連載中に計画も同時に作っていたから、
完璧な計画は作ってないだろう)

で、一気読みすればするほど、
そのような計画性の有無が俯瞰されてくるわけです。

連載は俯瞰しないからそこまで考えなくてよし、
コミックスにまとまってしまうと、俯瞰性が発生してくる。
最近の漫画が熱が足りないのは、
コミックスで稼ぐ、コミックス偏重主義が原因かも知れませんねえ。


僕は、
プロットは計画、
執筆(具体的な表現、台詞の端々)はアドリブ、
だと考えています。
そうじゃないと、熱を帯びたものが作れない気がします。
posted by おおおかとしひこ at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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