アトラクションムービーとしては、
今後10年は破られることない、
日本の最高峰が出来たと思う。
初代を覗けば、
歴代平成昭和ゴジラの中で最高傑作だ。
アトラクションムービーとしてはね。
いや、正直SW7より良かったよ。
知ってる町が出ると興奮するしね
(うちから丸子橋と浅間神社まで10分ぐらいなのだ。
たぶんうちは踏まれたっぽい。やったぜ)。
タイトルの凝り方、群像劇構成の狙いも良かった。
だがしかし。
足りないのは「人間」だ。
庵野だからしょうがないと言えばそうなんだけど、
随所に「アニメっぽい人間」が沢山いた。
まず気になったのは、
「警察、軍隊、政治への全面的信頼、
及びその専門用語を多用する権威主義」だ。
オタクは内向的だから、
男として(肉体的、権力的)の成功したそれらの職業を、
絶対視する傾向にある。
だから自分もそれらと一体化することで、
偉くなった気分になる。
舞台を政府に選んだから当然だ、
ということではない。
きっと、政府の人も、自衛隊の人も、警察の人も、
普段は僕らと変わらない言葉を使い、
時に愚痴を言い、時に冗談を言うはずだ。
口角泡を飛ばして、漢字ばかりの言葉だらけで喋っている訳がない。
つまり、軍隊や政治は、オタクにとってファンタジーである。
(たとえば押井守の軍隊フェチはそうだと思う)
それが露骨だった。
どうして緊張したときに、
冗談を言って場を和ませる人がいないのか。
たとえば核が落とされるかどうかという決戦の前に、
こういう会話があってもいいじゃないか。
「有楽町のガード下に、うまいラーメン屋があるんだ。
徹夜明けによく食いにいった。でもそれは壊されちまった」
「必ず店主を見つけましょう。避難民にいるはずです」
「東京が助かって店が復活したら、一杯おごってくれ」
「バカいってんじゃないですよ。そんなにうまいんなら、
都民全員におごりましょうよ」
「…そうだな。みんなでラーメンを食べよう」
なんてのがさ。
どんな漢字ばかりの会話の人でも、
こういう市民的な会話をするものだよ。
だって人間だもの。
映画は、人間を描くものだ。
漢字ばかりで喋る人は人間じゃない。
平泉成だけが、すごく人間だった。
主人公やその周囲も、きらりと光る一瞬でいいから、
そうあるべきだと思う。
ずっとかっこつけてるのが、
オタクが無理して権威ぶってる感じがした。
弱点のある主人公の話を前に書いたけど、
完璧超人は、主人公じゃないんだよね。
とても気になったこと。
はみ出し者たちが特別チームを組んで、
体制側と闘う、のは常套手段で、なかなか燃えたのだが、
その面子が、アニメ的や過ぎないか?
ガチャ歯のコミュ症気味のオタク、
感情のない理系女、
独自の説で学会を終われた異端の科学者、
細目キム顔で体格のいい政治家など、
アニメのチームにいそうな面々で、
実写では嘘臭かった。
理系同士がアニメキャラを模してああいう会話をすることはリアルにあるけど、
彼らは本キャラとしてあれなのがね。
極め付きは石原さとみのアスカラングレー。
気の強い、交渉してきて、バックに色々ついてるお嬢で、
しかも帰国子女喋りでおばあちゃん子。
アニメを見てるのかと思ったよ。
(石原さとみの英語発音は最高だが)
常にフルメイクで凝った衣裳に10センチピンヒールしか履かないのも、
アニメ的過ぎた。
なんだろう、人間を感じないんだよ。
設定がアニメ的でも、
実写では役者の芝居でリアリティーを持たせることが可能だ。
だけど、台詞の言い方がすごくアニメ的だった。
難しい理論を冷静な早口で言うところとか、
普段言わない言葉でリアクションするとか。
台本があれば赤線を引いてもいいぐらい、
ここアニメ的すぎ!って箇所が多すぎた。
むしろ、自然な日本人の普通の言葉がなかった。
自然な普通の日本人の言葉は、
冒頭海ほたる近辺での人々のニコ動などでのリアクションだが、
そこの演技指導が壊滅的にリアリティーがなかった。
「ヤバイよ」一言すらだ。
普通の言葉で、普通にリアクションする、
そういうリアリティーがほとんどなかった。
それって実写か?
勿論、兵器対戦のリアリティー、ゴジラの導線、対策本部のリアリティーは最高だ。
でも人間のリアルがないのって、
それって映画か?
僕は、映画は人間を描くものだと思う。
どんなに津波が来たって、
どんなに原発事故が起こったって、
そこにうごめく、無知や素直さや、パニックや知恵や勇気が、
人間にはあるものだと思う。
アトラクションムービーとしては最高だけれど、
人間が描けていない。
僕がよくいう言葉で言えば、
ガワは120点なのに、
中身が0に近い。どころかアニメ的でマイナスですらある。
人間の、何を描いたの?
戦後をもう一回やろう?
先の大戦も、戦後も知らない人たちが?
「老害いなくなればいいのに」という叫び声しか、
僕には聞こえなかったよ。
映画にはテーマがある。
些細なことでも、壮大なことでもいい。
この映画は壮大な「日本は、やれる」を描いたような気になっている。
それを描こうとして、透けて見えたのは、
「老害が去って壊滅すれば、俺たちは日本を牛耳れるのに」
というオタクの願望だ。
それは、オリジナルか?
それは、映画か?
三人称で描き、
誰かの人生を見て、
その人生には意味があると感情移入する、
人間の弱さも強さも全部描く、
映画というものか?
火事場泥棒やレイプを描かないのは何故か。
何故災害現場を取材して、真実を知ろうとしないのか。
この映画は、セカイ系だと思う。
主人公と石原さとみの。
(しかも大統領と総理になるという全能感つきのね)
アニメならばれないけれど、
実写ではバレバレだ。
2016年08月02日
この記事へのトラックバック
それはあくまで議事録、外に出す資料ですよね?
僕だって仕事中の台詞はあんな感じですよ。
問題は、人間は仕事中と仕事中じゃないときがある、
ということで、
仕事に本音を持ち込む瞬間こそがドラマになる、
ということです。
「官僚があんな喋りのわけがない」のは、
家に帰ったり、独り言でもそうか、ということ。
OFF描写をすることで映画の完成度に何か資することがあるか、限られた予算と時間を投じるだけの価値があるかと言えば、無いと思います。
「海街diary」のような映画であれば、そのような方法論は正しいでしょうが、300人以上の俳優が登場する群像劇で、災害対応の社会的な動きを描くことが目的の本作の場合は、余計な雑音にしかならないのでは?
「OFF描写が必要」と言ってはいません。
ONの中で、人間味を出すべきだ、と思っています。
人間味は、ONの中でもつくることが可能と考えます。
また過去記事をたどれば判明しますが、僕は「海街ダイアリー」糞派です。
さらに、300人は多すぎです。
メイン登場人物は5〜6人がベストと僕は常に考えますが、
群像劇なので、たとえば20人ぐらいまでが良かったのではないでしょうか。
それこそ180人ぐらいが雑音になっていると考えます。
浅く広く、ではなく、
深くいくべきだったと考えます。
映画の目的がリアルな怪獣迎撃対戦をドキュメンタリータッチに描くことである以上、人数を絞って深く描くのは方向性を間違えているのでは?
onの中のoffなら、要所要所にえがかれていますよね。
タバ作戦失敗時の、ピエール瀧隊長の、
今後は、都民の避難に全力を挙げるんだ、戦うだけが自衛隊じゃない。
とか、里見総理大臣代理の
こんなことで歴史に名前を残したくはなかったなあ、とか大杉漣総理の
今ここで決めるのか?聞いてないぞ
とか、その人の素地がヒョコと出る場面があるじゃないですか?
複雑なものを簡略化して示すのが、上手のやることだと思います。
たとえ何万人関わるものでも、ポイントを決めてフォーカスを絞る(その他は省略する)のが、表現というものです。
群像劇の名作としては「クラッシュ」などがありますが、
僕のイメージしているのはそういう感じ。
まあ、もともと僕は群像劇否定派ではあります。
人間ドラマについては、一言言えば人間ドラマになるわけではない。批評9で議論しています。