2016年08月08日

どうであれば、傑作になったか(シンゴジラ批評11)

暗いと不平を言うよりも、進んで灯りをつけましょう。

バランスをもう少し取ればよかったのではないだろうか。


シンゴジラの特撮は素晴らしい。(前半はイマイチ)
緊迫するシミュレーションとしても素晴らしい。
東京をちゃんと舞台に出来たこと、自衛隊の協力を仰げたのも、
素晴らしいことだ。


映画は、スジ、シバイ、シャシンだと昔から言われる。

シャシンは欠点はあるものの予想以上の素晴らしい出来、
加点法で10点だ。
(在来線爆弾だけで、時代に残るだろう)

シバイは、平泉成しか良くなかった。
野村萬斎と、大杉漣や余貴美子、津田寛治の小芝居を考慮に入れて5点。
つまりは、主人公クラスのシバイがそこに達していない。
しかし役者のせいではない。
長谷川一巳や石原さとみたちは、与えられた台本の範囲内では、
頑張っていたと言える。
問題はホンだ。

スジは、軍事シミュレーションとしてはなかなかの出来だが、
民間への配慮の足りなさ、東京脱出がスムーズにいきすぎる、
大手マスコミが何故か機能し続けている
(災害時にはテレビ局は別の県に放送局がある、
というのは僕がテレビ側の人間だから知っているが、
たとえばNHKは渋谷局は健在なのだろうか?
新聞社は?
ニュースがまるで状況説明の魔法のように使われていた)
などなどの、多少の傷があった。

あと最大の問題は、シバイに通ずるスジ、
つまりは人間のドラマである。

勿論、下らないドラマなどいらない。
過去のゴジラは、それで失敗してきたようなものだから、
それはいらないかもだ。

僕は今回の真ん中のドラマ(ワンシーンでなく、
積層したシーンでの長期的ストーリー)が、
「世間に認められていないオタクが、
チャンスを得て、同等の能力のあるスーパー美女と、
仲良くなれた」
しかないことに、つまらなさを感じている。

点景としての人間は描けていたとしても、
それを総合したときに何が見えてくるか、がシバイである。

ということで、
スジ4、シバイ5、シャシン10と僕は見た。
ガワが良くできているが、中身がない、
典型的な現代的映画である。


ということで、バランスを取るならば、
スジを10点にすればシバイも10行くだろう。
シャシンは最高傑作に近いから、
日本映画の金字塔になれただろう。


さて、ここからが本題だ。


まずテーマに戻ろう。
「日本人の集団としての能力は素晴らしい。
個人主義的スタンドプレーはないが、
個々人が淡々と職務をこなすことで、
ひとつの秩序が編み上がるのだ」
ということにする。

シンゴジラには描かれていないか。
描写はされていた。

それは写真集でも作れる。

スジとしてそれを作るのが映画である。



主人公は、何故官僚になったのだろう。
首相になりたいからだろうか?
本編ではよくわからないが、
上の人間がいなくなれば、首相になるかもね、
なんて潜在意識で思っていた節があった。
ということは、主人公は野心家だということだ。

ところが本編の実際の行動は、
野心家のそれではなく、日本人の淡々とした仕事の実務であった。
(多少の感情のぶれはあるにせよ、一貫している)

そもそも野心家ならば、テーマにはそぐわない。
(野心家であったとしても、チームジャパンを機能させることが素晴らしい、
というややねじれた話になる)
ということで、
主人公を、無私の男にする。

官僚になったのも、
人々の役に立ちたいと思っていて、
たとえば社会正義の実現のために、
年金の漏れをチェックする、しょうもないけどちゃんとした仕事をやりつづけて来た男、
という設定にしておく。

コンフリクトは、野心家たちと起こるわけだ。
首相になりたい男(竹之内)とぶつかったり、
業界から追放された者たちを集めたヘンテコチームとも、
対立したりすればよい。

様々な民間団体が売名のため、その後の利権のために、
協力を申し出てくるのをさばくのが、彼なりの仕事になるといい。
緊急時だからこそ、火事場泥棒のように、
チャンスと思ってくる人達と、
緊急時だからこそ、公平が実現するべきだと思う主人公が対立するとよい。
このへんは前半戦だろう。
第一ターニングポイント付近で、
彼が生物では、と発言していたことで、
急にその部署から、巨災対のリーダーに抜擢される。
(対立する人たちのやっかみもある、やれるものならやってみろとね)

そうして、彼の各部署との調整で、
バラバラだった、日本政府、民間企業、自衛隊、
の連携がとれて行き、
米軍の干渉に待てをかけて、独自作戦の展開に、
こぎ着ける話にすればいいのではないだろうか。

「今、縦割りを越えて、日本人が横に協力するときだ」
と、面倒な折衝を全部彼が引き受けていけば、
それは日本人のサラリーマン的な、
それこそ地味な仕事的な、地上の星的な、
話になると考える。

彼に影響を受けた誰かが協力し、
次第にチームジャパンがまとまっていくのが後半戦だろう。

政府や自衛隊がフロント、
民間企業や警察消防医師やマスコミがバックアップ、
のひとつのチームになれれば、
311を経験した日本が、
天災にリベンジするときが来た、という映画になったと思う。


そういう意味で、シンゴジラは自衛隊と緊急政府に、
特化しすぎたバランスだと思う。

僕が関西人だからだと思うけど、
基本政府なんて信用できない。
信用できるのは、人間だと思うのだ。

周囲で超法規的措置が溢れるなか、
主人公だけは法律を上手に適用(それは不正を防ぐ為だから)していく、
などの日常の法治国家の感覚で全てをさばいていれば、
最終的にテーマへと繋がっていくのではないだろうか。


僕は文系でないので、
その辺が詳しくないのでこれぐらいしか全体像がイメージできない。
あとは具体的なエピソードをいくつか作ればいけそうだ。

石原さとみも、あんなにエキセントリックにせず、
ただの野心家として日本語で普通に喋ればいいと思う。
勿論、個人主義アメリカの代表としてね。

どうして日本人は災害時にもコンビニに並ぶの?
という問いに、
日本人は秩序を重んじる。
平和な日常という秩序をね、
と答えれば、彼の人生観が透けて見えるだろう。



当然これらの人間ドラマは、
ゴジラ退治のプロットと同時進行可能だ。

主人公は変化するだろうか。
彼は311の時に何も出来なかったことを悔いていたことを、
ゴジラを倒したときに漏らせば、
彼の理想が実現したことで、ルサンチマンが晴れるだろうね。

淡々とした事務仕事は、作業は地味だけど、
実は人の運命を左右しかねない、ドラマチックな仕事なんだ、
と、最後に石原さとみに言えれば、
大統領と首相を目指す二人が、違う未来にいることが予想されて、
さらに興味深くなるのではないだろうか。



とりあえずこんな感じ。
勿論、これ以上面白そうなドラマがあればそれに乗っかる。


さて、それでもシンゴジラに人間ドラマは不要だろうか?

アトラクション&シミュレーションドキュメントで、
映画はいいのだろうか?

僕はそうは思わない。
スターウォーズ7でも、似たような批評をした。

ディズニーは何故SF大作をつくると、
ビジュアルばかりのアトラクション映画ばかり作るのだろう?


みんなSFを手段としてではなく、目的としてしまうから?
SFは手段だと僕は思う。
人間の本質を炙り出すための、舞台装置のひとつだと思う。

物語とは、ガワは、中身を描く為の手段だ。

シンゴジラは、怪獣との戦いが、映画製作の目的になってしまっていた。
それは、手段でなければならないと僕は思う。


(今回はその「戦い」が10点を叩き出したから報われた。
0点を叩き出した、実写ガッチャマン、実写進撃の巨人に比べれば、
快挙である)
posted by おおおかとしひこ at 11:40| Comment(39) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡様の言う、とりあえすこんな感じのドラマも不要なものです、

人間の骨太な、過去から現在、未来へとつながる壮大なドラマを描くことは、シンゴジラという映画に不要なもので、少なくともこの映画のスタッフが目指すものではない、

突然来襲する無慈悲な破壊神と、それに対応する日本の人々が行動する必然を、高い次元で見せてくれたのだから、それで十分なのだ。

言ってしまえば、こだわりの強いオタクが、物事の必然に文句をつけなくても、見ることができる面白いゴジラを(自らが過去の作品に対して感じていた不満を解消するために)作成したものなのだから、

少なくとも、カレーにも美味しい刺身が入っているべきだと文句をつける感性を、多くの映画ファンは持っていないことが、コメントの総論で感じることができるはずだ。
Posted by ぴんた at 2016年08月08日 13:09
大岡様の批評が的外れなのは、このとらえ方をみてもよく分かる、

  僕は今回の真ん中のドラマ(ワンシーンでなく、
  積層したシーンでの長期的ストーリー)が、
  「世間に認められていないオタクが、
  チャンスを得て、同等の能力のあるスーパー美女と、
  仲良くなれた」
  しかないことに、つまらなさを感じている。

こんな薄っぺらい、馬鹿丸出しの評論があるのか? ありえるのか?

これが大岡様の、人を観る能力なのだとしたら、
あなたには、優れたドラマを生み出すことが、出来ないの
ではないかと、思ってしまうしかない。
Posted by ぴんた at 2016年08月08日 14:57
矢口(長谷川博己)は、成長したと思います。

ゴジラが上陸して東京を焼き払うまでは、閣僚と一緒に
会議室にいてモニター越しにゴジラを見ていました。

対応は自衛隊任せ、米軍任せでした。
凍結作戦に「矢口プラン」と自分の名前がつくのも
嫌がっていました。

しかし、放射火炎があって立川に移ってからは
「俺がゴジラを倒す」と気持ちが切り替わって、
自ら「ヤシオリ作戦」と命名して、作戦の総大将
になります。

ヤシオリとはスサノオがヤマタノオロチに飲ませた「八塩折之酒」から来ています。
ヤシオリ作戦と命名することで、矢口は日本神話を背負うことになりました。日本神話を背負うとは日本神話の英雄、スサノオを模範とすることです。

スサノオはどんな英雄か?
1.勇敢で
2.知恵が回り、
3.歌を詠む
英雄です。

ヤシオリ作戦を決行する前に矢口は演説を行います。役人口調で用件を箇条書きで伝えるのではなく、感情に訴える演説を行いました。

ゴジラを倒す武器は「ビル」「電車」「放水車」と言った、現実に存在するけれども普通武器として使わないものです。

人に止められても陣頭指揮をとったのは、勇敢なところを見せないと日本的英雄になれないからです。

ゴジラ退治の裏側で進行していたのは「大和魂の復活」です。牧博士が荒ぶる神を呼び出したので日本側はスサノオを呼び出して「カミサマにはカミサマをぶつけんだよ」ってことです。

矢口はゴジラを倒した後、屋上でゴジラを見据えて「まだやめるわけにはいかない」と言います。これからも戦い続ける、と。

会議室にこもっていた精神的な少年は大人の戦士になりました。

「クシナダ姫との結婚」「草薙剣」のような明確なお宝がないのがこの説の泣き所。
御頭さんの笑顔が結実かなあ?
確かに御宝映像だけど、矢口は見てねえんだよな。
Posted by Zap at 2016年08月08日 20:00
世間が絶賛してて、有名なエヴァの監督作品だと否定的な批評するとこんなにも叩かれるんですね。

大岡さんと同じく否定的な私にはそれが怖いと思いました。
Posted by どら at 2016年08月08日 20:54
はじめまして、こんにちは。

批評全部読みました。

特撮オタクやアニメオタク。
辻褄の取れていない浅く幼稚なシナリオを、屁理屈で誤魔化し、時には諦め目を閉じ、脳内で整合性を維持しながら視聴する彼等にとって、もはやドラマはいらんのでは。
必要なのは設定と状況。後は勝手に考えて補填。
制作サイドからの提示は不要。
自分の想像をやりやすくする材料が欲しい。
こういう視聴者層が現実に存在し、割と数がいるという事実。
シンゴジラはその証明なのかな、と私は感じました。

というか、先生の一連の記事のコメントでも、頭の中で自分なりに納得できるドラマを生み出してる人が散見されますしね。

ドラマがない事、妄想を差し挟む余地があることがむしろ評価につながる時代がきてるのかもしれません。

商品としてはともかく、それ作品なのかって疑問もありますけれども。

それでは。
Posted by まさる at 2016年08月08日 21:26
シンゴジラがテーマの再度の投稿、ありがとうございます。私のコメントへの返信も精読させていただきました。

はっきり言わせていただくと、返信を読んだ段階で、どれだけのドラマをご提示いただけるのか、かなりハードルをあげてしまっていたのですが、予想を大きく越えるとてもスジのいいドラマで、正直感服させられました。

もちろん、即興のものではあるでしょうから、率直に言ってあり体、作り手の閃きが迸るようなホンではないとは思いますが、しかし、シンゴジラで描けていればよかっただろうと思われるドラマのど真ん中を外さない、正しいドラマだと思いました。

ただ、あえて言わせていただくなら、多分大岡様の書かれたようなドラマがシンゴジラで描かれていれば、それはそれで分かりやすいいい作品になったと思いますが、言うなればそれは「もう一つの可能性」のようなものだと感じます。

今回はそうではなかったし、そういうドラマは直接描かなかった。しかし、そう言うことなのかな、と見たものが想像できる作りになってるんじゃないかと言う気もするのです。それが証拠に、大岡様にも、私にも、「シンゴジラで描くべきドラマはこう言うものだ」と言うのが伝わって、共通認識ができている。すんなり腑に落ちる。ならば鑑賞者のなかで始めてドラマが組み上げられ、完成する作り、と言えるんじゃないでしょうか。

ドラマを組むと言うことは、作り手の思い、考え、こうあるべき、がどうしても前に出ます。今回はドキュメンタリー調に、フィクションを現実に即して描くことで、あたかも実際にこういう事象が起きました、皆さんはどう考えますか、と問う形にして、作り手の思想を前面に出さないようにしている気がします。

私は、最序盤の閣議シーンで矢口が一笑に付されるシーンは、あれは当たり前で、国家のトップが軽々に巨大不明生物のような絶対あり得ない可能性をいきなり考慮するわけ無いし、するようならネットなんかの不確定情報に簡単に左右されすぎで不安、と感じますが、意思決定の遅い政府を揶揄した描写と捉える人もいるようです。

なかなか自衛隊が動けないことも、国家の引き金はよほどのことがあっても簡単には引かれないのだと平和を希求する立場からは安心できる描写でしたが、手続き、前例重視で即応性のない国家機関への批判と考える人もいるようです。なかなかどうして、沢山の人がそれぞれの色んな「ドラマ」を受け取っていると思いますよ。そして、これはいいことだとも。

単一の分かりやすいストーリーのドラマは、大岡様の厭われる全体主義に近い発想。それぞれにそれぞれの受け止め方ができるからこそ、鑑賞後の語り合いが楽しくなるのであり、これが一つの庵野節、庵野作品が愛される理由なのかなと思いました。
Posted by ハルチカ at 2016年08月08日 21:27
批判に納得するか、反発するかは、
その批判が語る、説得力によるんじゃないの?
なるほど、その通りだと思える論評には大部分の人がうなずくよ。

いろんな人がいるから100%はあり得ないことだろうけど、
作り手の表現に賛同する人が多い作品を批判すれば、
当たり前のことだが、多数から批判し返されることになる。
Posted by バームクーヘン好き at 2016年08月08日 21:49
勝てば官軍をまざまざと見てる感じがしますが、大岡さんに幾つか質問があります。

僕らはいつまで「ゴジラ」を観てれば良いのでしょうか?

ドラマがどうとかガワがどうとかではなく、60年も前の作品に寄りかかったものしか見れない情況が何か不思議に思えました。

かつて、樋口しんじが宣ってました。
我々はコピー世代でありアレンジ世代であると。

それは解りますが、そろそろ今の時代のオリジナルが観たいです。

何でもかんでもアップデートされた作品にするのではなく。

シンゴジラに感じた不満はそれが一番です。
それはスター・ウォーズep7と同じく。

もっとセンスオブワンダーが観たいです。

でも、それはもう無理なんですかね?
情報化され消費の早い今の時代では。

シンゴジラには否定的ですが愛すべき作品です。
でも、今の熱狂は10年後も続きますかね?

オリジナルのゴジラは60年も熱狂されてるのだから、そうであってほしいですが。


もう打つ手はないのでしょうか?
Posted by どら at 2016年08月08日 22:10
Zap様コメントありがとうございます。

>矢口(長谷川博己)は、成長したと思います。
個人の成長としては微々たるものだと考えます。
立場の変化は大きいですが、
内面の成長はたいしてしていないと感じました。
日本のドラマの良くないところは、立場の変化で成長だと勘違いすることだと思います。
立場が変わらなくても、内面の成長は描けます。
内面の成長が、「感情的に怒鳴らなくなった」レベルしかなかったですね。
「もともとスペックがあっただけなのだ、
ただ発揮する機会がなかった」というように僕には見えました。
石原さとみとは最初から丁々発止でしたし。


また、彼をスサノオになぞらえるのは考えすぎだと思われます。
僕はヤマタノオロチ神話は、8人の長(8も「沢山」の象徴でしょう)の製鉄民への侵略譚に、尾ひれをつけたものだと考えております。
胎内から出てきた剣は、製鉄法(もしくは鉱脈)を奪った象徴だと。

外敵の駆除である本編とは物語母型が異なりそうで、
当てはめられるのは部分的かと思われます。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月09日 11:42
どら様コメントありがとうございます。

表現をする行為とは、この何倍も叩かれ、誤解を受ける可能性のあることです。
そういう意味で、後輩への示範になるようにと思い、
リアルタイム組み手をしております。

間違ってたらすいませんと謝ればいいですが、
間違ってないことは突き進むべきです。
自分と違うだけで攻撃する人も沢山います。
その人たちに尚届く表現を目指すべきであり、
その人たちと喧嘩したり、忌避するのは表現者ではないと思います。
実際疲れるので、いつまでこれやろうか悩んでますが。(笑)

また、ここでは直に議論可能ですが、
本来は自分のいないところでボロクソに言われるものです。
敵も味方も、サイレントマジョリティもいる。
それが世界というものです。

怖いという感情はありますね。不寛容がひどくなってきている。
それが全体主義(異物排斥)に簡単に結びつきそうです。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月09日 11:50
まさる様コメントありがとうございます。

まさしくそのような未完成商品が沢山出回っていることに、
僕は憂いを感じていて、
だからこそ脚本家を目指す人々に益しようと、
脚本論をコツコツ書いています。
最初は自分のための備忘録でもありましたが、
脚本とは何か、ということに迫ろうと色々書いております。
そろそろ3000記事あるので、全部読んでね、とはおいそれとは言えませんが…


完璧で面白い話のほうが、未完成よりも想像は膨らみます。
未完成品に膨らむ想像は、補完でしかないと思います。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月09日 12:00
ハルチカ様コメントありがとうございます。

強引にまとめると、未完成のサグラダファミリアは魅力的だ、
ということでしょうかね。
僕は設計、施工、完成で勝負するべきだと思う派閥です。

また、過去さんざん議論しましたが、テーマとは作者の主張ではありません。メッセージでもありません。
作者の意図などを問う国語(物語)教育は間違っている、
と過去にも書きました。

テーマは作品の構造からたち現れるものに過ぎません。
この映画のテーマを主人公のプロットから読み取れば、
「老害がいなくなれば、俺が100%活躍できる」だと思います。
あるいは、日本は一丸となるべきだ、というのは全体から伝わって来ます。

いずれにせよ、気味の悪いものです。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月09日 12:10
バームクーヘン好き様コメントありがとうございます。

それは全くその通りで、健康なことだと思います。
議論でない感情で封殺しない限り、という条件つきですが。

僕は言い負かしたい訳ではなく、多様な意見が存在することを喜んでいる感じです。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月09日 12:29
どら様コメントありがとうございます。

視聴者としては、今すぐ新作を見せろと暴動を起こしたいですね。
作り手としてはとても困っていて、俺ずっと浪人してる感じ。芽が出なくて死ぬのは嫌なので、とても苦手な小説を書いたりしてるのはご存知かと。

映画やドラマのできる根本的な仕組みを変えないと、
後戻り出来ないフェイズに入った気がそろそろしています。

たとえばハリウッドでは、
脚本家協会がオリジナル脚本を集め、著作権を登録し、
プロデューサーがそれを買うという仕組みがあります。
専用の下読みがいて、それらを査定すると。
下読みは脚本家志望だったりして、
それが上手く回転しているっぽい。
(ただ、脚本理論が浸透しすぎて、判で押したようなテンプレが増えてる気がします。
日本でやるとそもそもレベルが低い問題がある。
数々の脚本コンテストが流行らないのもそれが理由)

日本は発注受注からはじまるので、新規参入の障壁が高すぎますよね。
脚本公開のオープン市場をつくる、ということをやりたくてこのブログを始めたんですが、パクリ問題や、脚本形式そのものが一般に理解しがたいことも含めて、挫折しました。
いま一個考えてるビジネス形態があり、それが軌道に乗れば報告します。


コピー世代?笑わせるぜ。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月09日 12:45
大岡様。ご返信ありがとうございます。

「未完成のサグラダファミリア」は言い得て妙であり、確かにそうかなと感じます。しかし、シンゴジラのスジが未完成と言う見識には賛同しがたいところです。

少なくとも「邪魔な老害排除でオレツエー」なるテーマとは思えません。何故なら、脇を固める年配の役者がしっかり活躍しており、ある面主役を食っているから。だからこそ、閣僚の乗ったヘリが撃墜され、あっさり殉職するシーンが衝撃的なのです。

ええー、あの人たちがいなくなっちゃってヤバいじゃん、どうにかできるの、と不安にさせるのが目的であり、邪魔な老害が居なくなって主人公が活躍できるぞ(=ゴジラに対抗できるぞ)、良し、と受け止める観客がいたとしたら驚きです。

一方、「日本は一丸となるべきだ」はもう少し良い読み取りで、テーマはそこに近いと感じます。もう少し柔らかく「日本は一丸となって努力できれば、もっと良くできる。頑張ってみようよ」ぐらいではないかなと。日本人ならそういう幻想を持っている人が多いので、そこに寄せた、飴と鞭の飴でしょう。(鞭は無惨なる破壊)

もう少し深く読み取ると、庵野監督の前作、エヴァ劇場版に立ち返れます。エヴァQの副題は「you are (not) redo」。劇中では、そのさらに前作、エヴァ破にて、決死の覚悟で世界を救ったと思っていたはずの主人公が、突如、荒廃し、長い時が経過した未来に放り出され、「元に戻してよ!」と言う動機で行動を起こし、手痛く失敗します。

東日本大震災でバラバラにされた故郷や絆を抱える人、それ以外にも、手痛いミスを犯し、「元に戻したい」=「リセットしたい」と考える人は多くいます。しかし、それはできないのだと、やってしまった失敗は取り返せない=「you are not redo」と伝えている。

しかし、もう一度、1から積み上げていくことはできる。だから、「you are redo」なんです。シンゴジラ劇中で「スクラップアンドビルド」を言わせているのですから、テーマは同じだと思います。

「破局的な失敗はいつでも起こりうる。取り戻すことはできない。しかし、諦めてはいけない。もう一度一歩ずつ積み上げていくしかないのだ」これがテーマだと思います。
Posted by ハルチカ at 2016年08月09日 15:25
すごい恥ずかしいミスをしてしまいました。エヴァQの副題は「you can (not) redo」ですね。中学生レベルの英語の不理解を露呈してしまいました。お目汚し申し訳ありません。「you are (not) alone」の響きに引きずられすぎておりました。。。
Posted by ハルチカ at 2016年08月09日 17:33
ハルチカ様コメントありがとうございます。

「老害しね」は、主人公のメインプロットの裏に、ついにじみ出た庵野の無意識だと思います。
映画のテーマ自体はハルチカさんの書かれたものでよいと思います。

しかし、スクラップ&ビルドがテーマだとしたら、それと主人公のメインプロットが合ってないと思うのですよ。
まだ主人公がものづくりの企業や職人だったら、
「ものは、壊れても作ることができる」と言えば説得力がありますが、
公僕は単なる調整係でしかない。
大企業と政治の癒着はあったとしても、庶民まで積み上げの誇りや喜びまでは行かなさそうです。

庵野と僕の差は、政府をどれだけ信用してるか、
というところかも知れません。
僕は公僕扱いで、お上などハナから信用してない大阪人。
庵野は美化されたスーパーヒーローとして役人を描いている気がします。

だから、「日本」を主人公にしたとき、
中央は、政府ではなく庶民だと僕は考える傾向にあります。

一連の批評のなかで、政府主導の全体主義に異を唱えているのは、僕の中の在野精神かも知れません。


日本とは誰のことか。
プロジェクトXは地上の星でした。
シンゴジラは政府と自衛隊でした。
後者に、幼児的全能感を僕は感じます。
セカイ系とは、市井の視点の欠如のことだと思います。

まあ幼児的全能感をもって、
これは日本全体を箱庭療法しているのだ、
という論も成り立つと思います。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月10日 14:35
矢口(長谷川博己)の成長の見せ方について考えました。

登場した時の矢口は正義感にあふれた理想主義者でした。
理想主義者の欠点は「周りを見ずに突っ走ること」

現実主義者の赤坂(竹野内豊)に忠告されました。

理想主義者が欠点を修正した場合は
「周りを見て行動する」になるでしょう。

しかしヤシオリ作戦において
周りを見ていたのはゴジラの方で
矢口は電車という突っ走る武器を使って
ゴジラを倒しました。

突っ走る性格が強化された可能性が大きいです。

それなら「突っ走る」ことの次元を上げれば欠点は
目立たなくなります。

次の対策会議や国会で第2のゴジラの来襲に備えて
「巨災対」の省庁化に向けて奔走するとかすれば
成長した感じが出るかもしれません。

国会が始まる前に映画が終わりました。
Posted by Zap at 2016年08月10日 16:33
Zap様コメントありがとうございます。

そのような話にしても、首尾一貫した物語になると思います。
現実を知らない理想主義者が、現実を踏まえた理想主義者に修正するとでもいいましょうか。
設定だけで語ると出来そうですが、実際の原稿にするのは難しそう。
理想と現実のギャップを具体的に興味深く書かなきゃいけない。

余談ですが、超法規的状況では正しいかもだけど、その理想が間違ってるときが怖いですね。
議会制ってのは一人の暴走を止めるために機能するわけだし。

ということで、彼が次のヒトラーになる展開を希望。
(物語ってのは、こうやって巨大な敵が出てくると面白くなるわけですな)


さらに余談ですが、「理想主義者でありすぎること」が現代日本の批評になっていて、その出口が日本の出口になれば、完璧です。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月11日 11:17
大岡様

いい加減しつこくコメントしてしまって申し訳ありません。最後にさせていただきます。

前回のコメントから少し時間が経ってもう少し考察したところ、どうも自分の読み違えの気がしてきました。よく考えると、「スクラップアンドビルド」を語ったのは、矢口ではなく赤坂であり、劇中では核攻撃後の再建は否定されてしまったので、メインテーマではないと思われます。

そこから、真のテーマは「難しい課題に安易な解答を求めるな」になるかと思われます。昨今のインターネット世代は、検索すればすぐに「答え」のようなものが見つかる時代にあり、答えの見つからない難題に対してじっくり考えることを忌避する傾向にあるようです。

また、その時点での材料では分からなかったにも拘らず、後から得られた解答を選べなかったような場合でも、最善ではなかったと強く批判を展開するなど、大岡様もおっしゃるように理想主義が行きすぎている傾向が顕著だと思います。(昨今多発する炎上事件しかり)

そういう風潮に対して、きちんと考え抜くこと、成功するかどうか分からないのだとしても恐れず、すぐに諦めて取り返しのつかなくなるような安易な答えを得ようとしないこと、それが伝えたかったのかなと思います。私自身、鑑賞中はあまりにも恐ろしいゴジラに対し、核で倒すしかない、赤坂の意見が最もだ、と感じていましたので、戒められた気がします。

これがテーマであれば、日本のグランドデザインを「考える」こと、多数の利害関係者の絡む複雑な難題に対して、「選択する」ことが仕事な政治家が主人公であるのは、必然のように思われます。

あとは、「日本=政府と自衛隊」に見える構造についてですが、表面に出てくるのはそうだとしても、日本の強さは現場にありと言う、まあこれは古臭くもあるんですが、そう言う描き方をされていたのでフォローはされていたかと。

政府を信頼し過ぎてプロパガンダのようだ、という意味では、確かに劇中の描写は「そうあれかし」に傾き過ぎな気もします。しかし、国家の一大事に市井の一人の力が大きく影響するというのは、正直なところリアリティーがありませんし(震災の際に、つなみてんでんこという言葉がフィーチャーされたように、他人のことを考えるよりとにかく自分の命を守るために逃げること、が正解ですからね)、バッドエンドにしないのならば仕方ないのかなと。政府が無能でダメでした、ならば現状への痛烈な皮肉になったでしょうが、エンタメ映画としては×でしょうね。。。
Posted by ハルチカ at 2016年08月11日 23:32
ハルチカ様コメントありがとうございます。

「難しい課題に安易な解答を求めるな」というのは、
読み取れる内容ではありますが、
それは主人公のメインプロットから読み取れる内容ではなく、
映画全体から読み取れることですね。

僕が特に厳しく批判しているのは、
主人公のメインプロットから読み取れるテーマと、
映画全体から読み取れるテーマが、齟齬を来していることです。
勿論群像劇だから、各人物のサブプロットのテーマは色々あっていいのですが、主人公ならば、メインテーマを背負うべき、
というのが僕の主張です。
そこが明確な軸になっていないので、テーマの読み取りが、ぶれやすいと思うのです。

出来ないんなら、主人公なき、完全群像劇にする、という手すらあったと思います。
複数視点のクローバーフィールドというか、エレファントというべきか。
そこまで実験的なら拍手したかも。

もし、
「難しい課題に安易な解答を求めるな」というテーマで物語を書きなさい、なんて課題があったとしたら、
わざわざ怪獣が東京に上陸し、311のように破壊していく中で、安易な方法を止める主人公を描くでしょうか?
それはベストの解じゃない気がする。
単純に、技術競争の話とか、相対性理論の重力波予言の確認の
話とか、学習塾の話とかがいいんじゃないでしょうか。

つまり、このテーマは、「ゴジラありき、311前提」から、
無理矢理ひねり出された強引さを感じてしまう。
311の反省点は、原発村だけだったと僕は思います。
災害はしょうがない、と日本人なら考えるでしょう。
大事なのは復興なのに、そこに原発村やら土建ゴロがうろついているのが311が炙り出したものだと僕は思います。


さて、エンタメ映画なら簡単ですよ。
「初動も遅く無能な政府にイライラした主人公が、
民間と接触、目撃者はゴジラだと言っている。
政府に提言するがバカなと却下され、
民間と協力して独自の対策をとる。
それがばれて政府を解任。
ゴジラと認識されたときには政府の対応は後手、
国連に核攻撃のリミットを切られる。
ゴジラを倒せるのは、民間たちの即席作戦だけだった」
とすればいいのですから。

書いてて思ったのですが、今回のプロットと殆ど同じで、
違うところは解任されるかどうか、というところですかね。
そうすれば、在野の人々とちゃんと向き合えたと思います。

民間の話。
たとえば山崎パンが大量にパンを配るとか、
写真屋さんが津波でボロボロになった写真を修復するとか、
雪の中念仏を唱えて歩く僧侶とかが、話題になった筈です。
コンビニは開けたんでしたっけ。電池を無料で配った人もいた。
熊本では避難所で100万家電買ったやつがいましたが。
そういう、ごく普通の人々の描写がほとんどなかったことに、
僕はセカイ系の危険さを感じました。
(東京からの脱出後、とくに。マスコミのヘリが打ち落とされる定番もなかったし、第三者の目がとても不足していた気がします。そして第三者の目こそ、政治に一番大事なもののはず)


ということで、「日本はまだやれる」という、大きなくくりのテーマ(主張ではなく、
物語の構造から読み取れること)でよいのではないかなあ。
いずれにしてもぼんやりしていると、僕は思います。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月12日 13:02
大岡さんの評論を全て見返すと
『自分の正しいモノ以外は間違い』という考えがある
これは創作者に必要で個性になる部分だ
コミュ症脚本家批判、進撃、ファイパン、シンゴジラ批判など全てが嫉妬からくる批評なのでよく文章を見ると感情的になっている部分、わざと見ていない部分がある
それは悪い事ではなく創作意欲につながる大切な思いだ
我々が大岡さんの批評を見るときは「この人は正しい事を言っている」というより「この人はこんなに熱くなって創作意欲に燃えている」と考えることがあっていると私は思う
コメント欄で「大岡さんは間違っている〜」と語るのではなく「大岡さんはこういう見方なんだ〜」と私は見ている
シンゴジラにドラマをつけるのが大岡さんの脚本術であってそれが間違っているかどうかは誰にもわからない
Posted by 匿名希望 at 2016年08月12日 14:22
匿名希望様コメントありがとうございます。

え、逆に、
理想とのギャップに嘆いたり怒ったりしないの?
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月12日 22:18
理想とのギャップに嘆いたり怒ったりするのは、
「自分の作品」に対してだろう、
他人の作品に、自分の理想を投影してどうする?

他人は、違う理念や理想で作品を作っているんだ、
「自分のやり方と違う」と批判することは馬鹿げている、

嫌いな作品として、自分がなぜ嫌いかを語るなら、みな騒がず聞くだろう、個人の感想なんだから、

あたかも、客観的な絶対の価値の結論として、自らの脚本理論で、シンゴジラの悪い所を批判する形をとっている、この現状は、

クリエイターとして、表現者としての、
大岡監督の失敗又は敗北としか言えない。
Posted by ぴんた at 2016年08月14日 21:10
ぴんた様コメントありがとうございます。

勝ち負けのために、批評したりものをつくるのでしょうか。
僕には分からない価値観です。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月15日 14:36
自分に対する敗北ですよ、
批評に勝ち負けはないのは、その通りです、

最後の一文にだけ反応する、その心根も逃げの姿勢で見苦しい、
シンゴジラという映画を蔑む、その排他性をあなた自身の失敗又は敗北と表現したのです。

大岡様個人に対する誹謗を書き込むつもりは、1つもない、
邦画の盛り上がりを願う、庶民の感想ですよ、
他人の表現を、自身の脚本理論で叩く無粋は控えて、
ご自身の、作品を回答として出せばいいだけだ、
力のあるクリエイターならば、なおさらそのような行動をとってほしい、切なる願いです。
Posted by ぴんた at 2016年08月15日 16:22
大岡監督だからこそ、感じてほしいと思い書きました、

評論家が否定肯定を書くのは、それが商売だからまあいいと感じる、
しかし、クリエイターが、多くの人々が面白い・良い作品だ、と感じる作品を、自分の価値観で貶めるのを見るのは、もうなんというか、カッコ悪くて、嫉妬や悔しさが透けて見えて、やりきれない、

映像表現に携わる人が、末端に見せていい感情では断じてない、

「私なら、もっとカッコよく、感動を伝える作品を作れる」と書くのが、クリエイターの批評であり、自身の作品に対する意気込みだろう。
(当然のことですが、消費者から総スカンを喰らい、面白くない娯楽作品に対して、何故面白くないのかという批判を掘り下げて書くことに不快感は感じないとおもう、そのような評価を消費者が出しているのだから)
Posted by ぴんた at 2016年08月15日 19:32
ぴんた様コメントありがとうございます。

それはあなたのクリエイター像だと思います。
僕はクリエイターはきちんと批評し、
かつその批評を越える作品をつくるべきだと思っています。

みんながこうだからこうだ、とは思いません。
その次を作るのがクリエイターだからです。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月16日 11:24
なぜか、思いがすれちがう、届かない、

批評するなとは言ってないし、みんながこうだからこうだとも言わない、

きちんとした批評とは(少なくともプロの考察とは)、あまのじゃくの開き直りでもないし、キライだからダメだの感情論でも無いということは、共有できると思う、

ここが重要だが、多くの人々が良いものだと評価する作品には、ごく当たり前のことだが、プロによる詳細な考察による脚本の分析も・素人の単純なココがよかったーという感想も、
読めばこの人がなぜ高評価するのかが、よく理解できるということだ、

大岡様のシンゴジラという映画への批評には、自分の脚本理論に対するこだわりと、為にする解釈でこき落とす悪意が感じられる、
大岡様が理想の映画像に至るために、ココガ足リナイ・コウスレバ良イと、書くのは、作品に対する「批評」ではなく「二次創作」といわれるものです、

みんながこういうから、こう書けだの批判するな、なんて頭の悪いことは言いません、

このコメント欄の当初に書き込んだ感想が全てです。
Posted by ぴんた at 2016年08月16日 17:34
大岡様 日々、妖怪“不寛容”(そして妖怪“低理解力”)とリアルの世界で戦い続けておられますが、彼らが啓蒙される日はいつか来るのでしょうか。
Posted by すーざん at 2016年08月17日 02:11
すーさんへ

自分の理想の映画で無い物は、直さなければならない不足のある作品で、修正が必要だ。

これを、世間一般では、「不寛容」というし、
その指摘が解らない(ふりも同じだが)ことを、「低理解力」という、

誰が、なんの妖怪に取りつかれているかは、自明のことだろう。
Posted by ぴんた at 2016年08月17日 07:09
ここは議論をする(相手と話し、自分の考えを深める)ためのオープンスペースだと僕は考えます。
喧嘩をする(相手をぎゃふんと言わせる)場所ではないので、
過度なぎゃふん目的はご遠慮ねがいます。

>ぴんたさん

そもそもこの批評は「脚本論」カテゴリの下位です。映画批評の中でも特に脚本に絞っており、
そこで僕の考える脚本理論に照らすのは当然です。
それが妥当じゃないなら僕の脚本理論は修正されるべきでしょう。
妥当かどうかは、それぞれが判断すればよいことです。

>すーざんさん

本人は悪くない。悪いのは妖怪だ。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月17日 12:52
一言、尊敬する、

大岡様なら、自らの色々な感情をもすら、作品への肥やしとして、進み続けることだろう、

私は、ダリの絵に、モネの画風は合わないと感じるように、良い作品にあれこれ手を加える意味はないとおもう感覚を持っていますが、もう何も言いません、

大岡監督の心の深いところにある、創作意欲は、本物だと確信するので、これからの創作に期待しています。
Posted by ぴんた at 2016年08月18日 07:27
非常に興味深く今回の批評は読ませていただきました
個人的にシンゴジラはとても面白く、「久々に映画で楽しめた!」と思いました。要は私は映画の素人です。
楽しめた映画の評価とは気になるものです。いい評価ばかりを見ればいいのに「悪く言う人は何て言うんだろう」っと思ってしまいます。やめとばいいんですけどね(笑)

さて、今回拝読して要所要所で「なるほど そういう考えがあるのか」と何度も感心いたしました。
しかし全部読み終わってやはりどうしても一つのモヤモヤが残ります。
もう過去に他の人が同じ内容をコメントしてると思います。そしてこれを書いても大岡様が「なるほど」と思わず「またか」というのは重々承知です。そして他の人と同じように映画を食べ物に例えます。
なんというかすごくカリフォルニアロールに似ています。
カリフォルニアロールが人気になって、日本の寿司屋の大将が「こんなの寿司じゃねえ!」「寿司ってのは生の魚とシャリの絶妙なバランスが(略)」と言ってるように見えます。(寿司も詳しくないので適当です)
カリフォルニアロールを食べておいしかった人が聞いたらどうしても反発してしまうと思います

シンゴジラは仰る通りシュミレーションだと思います。
人間ドラマはないかも仰る通りありません 監督はインタビューで個性や人間ドラマを意図的に、そして徹底的に排除したと仰っていました。
だからシュミレーション映画という一つの新しいジャンルと考えて、「カリフォルニアロールみたいな寿司があってもいいじゃない」ってぐらいにシンゴジラを見ていただければなーと思います(笑)
長文の駄文を失礼
Posted by パケス at 2016年08月18日 15:19
パケス様コメントありがとうございます。

俺は寿司屋だと思って入っちゃたのかも知れませんね。
看板かのれんに、カリフォルニアロールと書いてあれば、
なかなかのカリフォルニアロールだったではないか、
と言ったかも知れません。

予告のやり方、プロモーションの仕方(本編への誘導)に、
問題があったかも知れない。
カリフォルニアロールには、カリフォルニアロールなりの予告の作り方があると思うのです。

どっちにしても、邦画で最近うまい寿司を食ってないですねえ。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月18日 19:12
皆さん、勘違いされてる方も多いかも知れませんが
これは批評じゃなくて、俺は断じて認めんぞーという意思表示です。ロックです。
それを延々11回も書いているという事は壮大過ぎるツンデレ以外の何物でもないです。
私はこの気概こそステキと考えてます。俺の方がもっといい本が書けるんだって思う人が出なきゃ、発展性もありゃしない。
そうでなきゃ困るんです。
そもそもシンゴジラも相当のロックです。これまで幅を効かせてきた文法に立ち向かい成果を上げてしまった。
予算も潤沢に無いのに、誤魔化すのをやめて一直線に行った。
それはそれでいい。これはちょっとしたイノベーションです。
だけど後に続く人が縮小再生産前提では困るんです。
先生のようなロックな思想を持った方がいらっしゃる事が、希望てはないかと思うのです。
先生もまた、好きにしたのであり、もうちょっとその辺を見てあげて欲しいと思っております。
Posted by 蒲田くん at 2016年09月02日 20:18
蒲田くん様コメントありがとうございます。

シンゴジラはロックか?
ブランド(東宝の宝)×ブランド(エヴァ)じゃないか?
予測の範囲にまとめることがロックか?
安パイだらけじゃねえのか?

そういえば、「スクールオブロック」という傑作があります。
ロックは世界を変える。
そう信じ、実践したいものです。
だから僕が東宝に呼ばれたら、終わりかも知れませんね。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年09月02日 22:13
大岡先生、お返事ありがとうございます。

私はゴジラとロックと言ったのは、必ずしも映画でドラマを全て構築する必要がないことを証明してしまった事にあります。
エヴァとかは表層的レトリックに過ぎません。

やっかいなのはゴジラは映画単体で完結する映画ではなかった事です。これは初代においても同様です。
東日本大震災をはじめとした未曾有の災害を体験した人の中にある実体験というドラマとリンクする事で補完される仕組みです。
従って、たくさんの登場人物を出してリアルにする事は鑑賞者の原体験とシンクロさせるのに必要なことです。
大量の情報量は投網みたいなもので実際に災害発生時に起こった事象を連続投入するさせることでより多くの立場の人に共感を与える仕組みになっていました。
この手法はある意味最強です。ディテールを説明しなくても実際の災害経験でなにが起こっているのか分かってしまいます。
寧ろ説明した瞬間に陳腐になりかねません。
もう一点恐ろしいのはこの手法を否定したら最後、原体験とリンクできた人から原体験を否定されたと同様のバッシングが起こることです。
従って本作はドラマが無いというより、この映画に内在している人間の体験とリンクするという話なのです。
これはもうですね、こういう表現方法があるって話ですよ。
全体主義に見えるのは、災害の共通認識におけるドラマだからであり、それを否定したら反発されますって。

この手法はある種のチートではありますがゴジラだから許される感じですね。実にロックです。

最後に、先生謙遜しないで。

Posted by 蒲田くん at 2016年09月03日 12:59
蒲田くん様コメントありがとうございます。

そこらへんはみんな分かってるだろうから省略したのですが、
自覚してない人もたくさんいるかもなあ。

で、結局それで邦画の死をはやめたんじゃないか、
と僕は思っているのです。
要するに、「あるある」なわけですから。
(笑いではない、共感のあるある)

じゃあ「みなさんご存知の日常にあること」までしか描けない、と、線が引かれて、その範囲内に限定されたわけですよ。
寅さんの時とかは、日本は均一だから許された。
しかしここまでクラスタ分けされた現代で、
あるあるはどこまで力を持つのか、ということ。

シンゴジラを誉めれば誉めるほど、
次の何かを制限することになると思います。
一番デカイあるあるを使っちゃったんだから。

ちなみに、普段の記事は100人くらい見ていて、
シンゴジラ関係は3000人くらいが見たようです。
(ファイアパンチは2000人ぐらい)
普段の僕の流れを無視して読まれるのは覚悟してましたが、
自分と映画と文脈を分離しながら見れる人って、
そうはいないのかも知れませぬ。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年09月03日 13:13
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