映画を見たら、感想ノートをつくってもいいし、
批評ノートやブログをつくってもいい。
何故いいか?
客観的になることが出来るからである。
客観的な視座がないと、批評というのは片寄る。
逆に、片寄らない目線こそ批評だ。
あるものを、主観的な見方ではなく、
置かれた状況を冷静にみて、
感情に流されないように、
正しい形のものは正しいと言い、
片寄った形のものは片寄ってると言えばいいだけのことだ。
とても良いところがあれば、
それはどうやって作れるのだろうか、
と、シミュレーションしたり分解してみるのもいいことだ。
それは、その作品に夢中なときはできない。
一歩引いて冷静になることが必要だ。
これの効用は、自分の作品を批評出来ることである。
もとより、100%の名作ではないだろうから、
理想に足らないところを、客観的に、冷静に見る練習みたいなものである。
注意すべき点は、自分の批評で傷つくことに、
慣れなければならないことと、
批評は万能ではない(批評を越えた異様なパワーこそが、
芸術の芯だと思う。それは冷静な客観からは出てこない)
ことだ。
それにさえ気をつけていれば、
批評は練習になる。
さらに。
自分であればこの欠点をどう乗り越えて名作にするか、
それを考えることは物凄く練習になる。
そもそも土台からおかしな作品は難しいので、
「惜しい」やつで考えるといいよ。
シンゴジラについてもう少し考え、
それをやってみようかと思う。
そういえば昔ペプシ桃太郎でもやったなあ。
批評は創作とセットだ。
少なくとも書く者にとっては。
2016年08月07日
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