寄せられるコメントを見る限り、
みんな安いドラマにうんざりしてるんだろう。
そういうのしか見たことのない人は、
「こういう感じのドラマ」と言っても、
安いドラマしか想像できないのだろう。
そんな安いドラマしか存在しなくなった、
映画界、ドラマ界はどうすればいいのだろうか。
ひとつには、ドラマを捨てることだ。
シンゴジラがその可能性を示した。
つまりはアトラクション化だ。
ディズニーのパイレーツオブカリビアンの成功以降、
アトラクション映画でも儲かる、
(むしろそれが正義)
という流れがひとつある。
3D映画の興隆も、その流れだろう。
しかしそれではいかん、と思う人たちが、
アトラクションと人間ドラマの融合を果たそうと、
日々努力していることは確かだ。
米アカデミー賞は、そのような作品に賞をあげようと、
作品を選んでいる傾向にあると思う。
(逆に、純然たるドラマは、
たとえば時代劇のようなものにみられるかもだ)
もうひとつは、小規模でよいから、
小さな人間ドラマを描こうとする流れである。
日本はこういうのが得意だから、
小さなドラマが増えているのはしょうがないかもね。
映画の予算規模は減っていると思う。
一本単価も、本数も。
それは不景気を反映しているだろう。
ドラマの予算規模の減り方は凄まじい。
企画書にぶちあげたイメージは、最早嘘の看板になっている。
元々日本のドラマはバブル期の予算規模でヒットしたのだ。
二時間スペシャルは、映画規模の予算でやっていた。
そんな金をかける価値が、テレビになくなってしまったことも大きい。
ということは。
予算のかかるアトラクションは年に数本、
他は小さなドラマになってゆくということだ。
たとえばベンハーのような、
人間ドラマとしてもスペクタクルとしても出来の良いものを、
日本が作ることが出来るのだろうかね。
少し気が重い。
我々が思い描く夢想を現実化するのは、
実写が最適か、と問われるような事態に移行しつつあるような気がする。
監督がプロデューサーになれる時代に、
うまく移行出来るといいのだが。
映画は商売である。
しかし商売だけじゃないところが商売だ。
その辺のバランスを上手く取れる舵取り者が、
なかなか出現しないね。
黒船待ちでないのだとしたら、自分でやるしかないのかねえ。
さて、安いドラマなんか、書いちゃいけない。
ますますいらない子扱いされるだけだ。
問題はそれを見る前から知りたい、ってことだろうね。
うーん、誰かぴあシネマクラブでも貸してくれ。
一週間かけて、「見るべき映画1000ぐらい」を、
やれたらやる。(でも新作書きたいのでやらない)
2016年08月08日
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それはあなた、安いのなかでも最安値の100円ショップ以下のものですよ、それが全てと思わないで頂きたい、と言われそうですが、今回シンゴジラを見る際に流れた映画の予告(たっぷり20分はあってうんざり)でも、クッサイクッサイ台詞を、役者が声を張り上げて叫ぶ、そんな作品がたっくさん流れていました。さすがにもういいよと思わざるを得ないです。現実離れしすぎている。
そういうドラマにジャニーズ俳優やアイドルを差し込めば、ある程度若者の集客はできるのかもですが、そんなものしか見られない若者は、話はおいといて役者を見に行く、と自然に考えてるんじゃないですかね。本当に面白いホンの力と言うものに少ないながらもいくつかは出会い、心揺さぶられた身としては残念でもあり、また邦画のパブリックイメージがそのようなものという現状は寂しいと感じます。
災害物でドラマを描くなら「立ち向かう人間の勇気」「究極の決断」「避けられない
死と明かされる真実」を主要キャラの対立を通して描くのが王道だと思いますが、
それを独りの主人公の軌道に仮託しても初代の平田昭彦に及ばないから
歴代監督もご苦労されてるのだと思います。
本作がネットで好評なのは「邦画がドラマと称する茶番」を排したからの様ですね。
女優の恋愛劇をごり押ししようとした東宝の上層部に監督が抵抗して「骨太の
ドラマ」を守ったという話も流れています。
メインプロットと無関係なサブプロットは尺泥棒でしかない事も分からないくらい
邦画の知性は劣化している・・・と
味噌汁の人がシン・ゴジラを見ずに酷評して邦画関係者全部の人格まで否定する
ような批判が溢れていますが、気がかりなのは邦画は漫画やアニメより劣等で
邦画の人は作劇理論や映像文法を知らない事を前提した論調が増えていること
です。
転機になったのが2013年の「ガッチャマン」で「進撃の巨人」等が出るたび
若い人を中心に邦画を「劣等」「敵」と見なした論陣を張る人が増えている
様です。
この手のネタは荒れやすいと思いますが先生の文章の切れ味を楽しみにして
おります。蛇足ながら失礼いたします。
100円ショップになってしまったのは、ここ10年くらいそうだと思います。
心揺さぶられる物語は減り、売れれば正義、というものばかり。
売れそうなものを作っているうちに、いいものとは何かが分からなくなってしまった感じ。
それをどうにかしたくて「脚本とは何か」について延々と書いていたりします。
その一環でシンゴジラの批評をしたのですが、
御新規様が沢山来て、大混乱が続いている模様です。
もし昨今のドラマや邦画が物足らなければ、
拙作「風魔の小次郎」「いけちゃんとぼく」なぞご覧ください。全作レンタルしても僕に入るお金は30円ぐらいなので、金儲けではありません。
多少の欠点はありますが、志は見れると思います。
さて、若い世代は「マスで提供される物語」はいらないのではないか、というひとつの問いが僕の中にあります。
集中力が続かずに思考が短絡なことと、
共感性が薄れていること(自分と近い人しか理解できない)、
減点法でものを見ることが、とても気になっています。
だとすると聖書の普及以来、活版印刷の普及以来の転換点なのですが、
ろくな物語に触れていないだけなのだ、ということもあるので、
この仮説は少し置いておきます。
そう言えばこのブログの最初の記事は、
僕が東宝映画と組んでやろうとしていた、
ガッチャマンのプロット公開でしたね。今でもガッチャマンカテゴリは残してあるので、読んでなければ一興ですな。
たしかに、今の邦画の知性は低すぎます。
昔テレビのバラエティーの基準が中二に合わせてあると聞いて、
そこからテレビの知性を疑い始めたら、今の有り様。
さて、初代ゴジラとは時代の状況が違うので、
役者の対立ドラマでも初代に比肩する別のドラマを作れたと思います。
原水爆実験から冷戦への移行という初代と、
311と福島経験後の現代では、
核や日本のありかたは変わってきている。
状況認識やログラインまでは合っているような気がするけど、
プロットや、その先のストーリーラインの組み方が、
間違っているような気がする。
そんな印象です。
幼稚なストーリーラインばかりでうんざりな人々には歓迎されるでしょうが、
幼稚でないことと、歯応えのある素晴らしいドラマはまた違うものです。