これで映画にならないことが、確定したようなものだ。
話ではなく、キャストでブーストしてきたか。
どこまでもガワで盛ってくるね。
その鬼が、何故桃太郎と闘わなきゃいけないのか?
話を作るハードルがもっと上がったぞ。
今回のパクリ元は、
ダークナイトのジョーカーと、
ブレードランナーの折り紙と、
バキの地下闘技場(嘘。一杯ありすぎて特定できず。
直近だと、リアルスティール?)か。
獣と闘う部分はコナンザグレートかグラディエーターか。
これも一杯ありすぎてね。
設定とビジュアルだけが増えていき、
それを繋ぐ線の欠如。
おっと、どなたかの言っていた、
脳内で補完する媒体ではないか?
2016年08月09日
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大岡様は、「嫉妬」を批判として表しているように見える、
今の自分では届かない、高みにある作品に対して、
批判する行為で、プライドを保っているように見える、
自らの文章が、そのように捉えられる事に気づいていない。
批判する文章だけ見ればそうかも知れませんね。
映画批評は、脚本理論の実践の一部に過ぎず、
ここの本体は脚本とは何かを論じる、2500以上の記事です。
毎年一回ですが、公募脚本を批評し、目の前でリライトする活動などもやっております。
表現することは誤解されることでもあります。
一部を見ずに全部を見てください、としか言いようがない。
さて、僕はなるべく大きなものに噛みつきます。
小さいものに噛みついても、たとえば今の月9に噛みついても死体蹴りにしかならない。
今邦画界は、ビジネス優先で脚本をとても蔑ろにしています。
その状況の先は、映画の死です。
それを憂いているからです。
シンゴジラ批評だけ読む人が1000人ほど、検索上位に来たことで増えました。
でもその人たちはそれでおしまい。
通常記事を読むレギュラー読者は100人ほど。
僕は、1000人に誤解されても、100人に真実が伝わればいいと考えています。
一期一会で全員に伝わるほど僕は文章がうまくないので、
コツコツやるしかないのです。