2016年08月16日

13の誤解6: 性格設定の誤解

性格設定の誤解: not 勝手に動き出す but 目的の為に動く


初心者は誤解している。
性格設定さえすれば、
キャラが勝手に喋り出して、
勝手にストーリーを紡いでくれると。

じゃあやってごらんなさいな。
性格設定をしよう。過去をつくろう。
人間関係をつくろう。
そのキャラの無意識や口調をつくろう。
キャラとキャラをお喋りさせてみよう。
自然な会話が書けるようになるだろう。
ボケツッコミや、勝手に会話を進める奴も出てくるだろう。

で、ストーリーは生まれたか?
生まれないのである。

性格設定から生まれる会話は、
喫茶店でのお喋りにしかならない。
じゃあ、喫茶店ではなく別の場所へ移動させてみよう。
海。電車。キャンプ。ごはん。酒。
さまざまな会話が自然に出てくるかも知れない。
旅行に行かせてみよう。
秘密を夜に喋るかも知れない。

で、それはストーリーになったか?
「旅行へ行って、帰ってきた」はストーリーではない。

何が足りないのか?
事件だ。

そのキャラたちの中に事件を放り込んでみよう。
逃げる奴もいるし、興味津々で近づく奴もいる。
やれやれだぜと解決する奴もいる。

そこでようやくストーリーらしきものになる。
何故だろう。

それぞれのキャラが、目的を持つからである。

逃げるという目的、確かめたいという目的、
自分の力を使いたいという目的。
人は、目的があるから行動する。
行動の先は、成功または失敗だ。
それが確定したとき、その話は終了だ。

たとえば旅行先で道に迷った事件、海でクラゲに刺された事件、
財布を落とした事件、などはその日で解決しそうなので、
小さな事件である。
小さな事件は短編むきだ。

山のキャンプで死体を発見とか、海に潜っていたら津波が上を通過したとか、
電車が存在しない駅に着いたとかは、
もっと規模の大きな事件に出くわす。
解決に時間や段階がかかりそうだからだ。
これは中編や長編になるだろう。


性格設定の誤解は、
性格設定さえすればストーリーになると思い込んでいることである。
性格が決めるのは、反応や考え方に過ぎない。
過去や経験が決めるのは、失敗から学んだ判断や偏見や予断だろう。
それは、何かに出会っても、
喋ったり思ったりするだけだろう。
烏合の衆にしかならない。

ストーリーを進めるのは、反応や判断だけではなく、
実際の行動である。
(勿論行動には反応や判断が入っている)

行動は、性格や過去からは生まれない。
必要から生まれる。

行動の必要があるから、人は行動する。
だってなるべくなら面倒と関わりたくないし、現状を維持したいから。


行動するとき、人には目的がある。
大局的な目的(たとえば死体の問題を解決する)と、
局地的な目的(たとえばそのために警察に連絡する)がある。

事件を解決しようとすると、
行動しなければならず、
それにはいくつかの段階を経なければならない。

それがストーリーである。

性格は、ストーリーを解決しようとする人が、
どんな人かというだけのことだ。



ところで、極論すると、
性格設定なしでストーリーを書くことも可能だ。

「5人が旅先のキャンプで死体を見つけ、
警察に連絡する。
しかし目を離した隙に死体がなくなっていた」
という事件を設定し、
5人に目的を設定すれば、
事態は動き出すからである。

5人の目的はこの事件の解決だろう。
あるいは、このキャンプでそもそも告白しようという目的の男が混じってるかも知れないし、
このキャンプで別れようと思っている女もいるかも知れない。
そういう私的目的と、公的目的がないまぜになりながら、
このストーリーは進んでいくだろう。
目的がある限り、その決着がつくまで人は行動する。
そして面白いストーリーというのは、
事件解決の過程で、連鎖的に何かが起こって行くものである。

ストーリーを作るときは、
このように事件と解決と目的を与え、
行動をさせるとよい。

目的があれば人は動く。
与えられたシチュエーションで、
成功しそうな選択肢を選び、
行動するだろう。

その行動様式や判断が、性格やスキルや過去によって、
バラエティーがあるというに過ぎないだけである。


つまり性格設定は、ストーリーを豊かにする材料であり、
事件や目的こそがストーリーの骨格なのである。



さて、性格設定をいくらやってもストーリーが動き出さないと嘆く諸君。
性格設定をすっ飛ばそう。
面白い事件を考えて、それを解決する面白い過程を考えよう。
さっきの死体消失事件のような。
そしてそれぞれに目的を与えよう。
それで行動し、最終的にどうなるかを考えよう。

性格設定にバラエティーをつくるのではなく、
目的にバラエティーをつけてみよう。

たとえば5人には最初からある種のバラバラな目標があり、
「死体消失事件の解決」という大目標(センタークエスチョン)と、
個人的目標をクリアしなければならないとしたら。

それは複雑に絡んだ、
たとえばミステリー&ラブストーリーになるかも知れないね。
(死体の正体によってはホラーやSFになるかもだ。
その死体が何故か江戸時代の人だったとなれば、タイムスリップものになるかもだ)



性格設定は、魔法である。
それはストーリーの骨格に振りかけると、
普通のストーリーが別の色を持つ。
素直に行くストーリーが読めないストーリーになったりする。

しかしそれは振りかけの魔法だ。
ストーリーの骨格がないと機能しない魔法なのである。


性格設定を万能魔法だと誤解すると、
性格設定だけして、いつまでもお喋りし続けるだけの、
山なし落ちなし意味なしの話しか作れないだろう。
(二次創作の殆どが、何故ただのお喋りでストーリーになっていないのかの理由がこれだ。
原作で性格設定をよく理解してるから、彼らのお喋りはすぐ書けるのである。
それだけで満足して、ストーリーを書かないのである。
そもそも二次創作の目的はストーリーを紡ぐことではない。
しかし、二次創作に慣れた人が一次創作をしようとすると、
この方法論に頼っていては出来ないのである)



極論する。
性格設定なしでもストーリーはつくれる。
目的さえあれば、人は動く。
オーソドックスな性格ならオーソドックスな行動、
奇抜な性格なら奇抜な行動、
程度の差でしかないだろう。

目的達成までの過程の面白さがストーリーだから、
行動と性格は、最終的には不可分になっていくけれど。

性格設定の面白さは勿論ストーリーの面白さだ。
それだけ取り出しても、それは一部だということに気づこう。
posted by おおおかとしひこ at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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