2016年08月17日

13の誤解8: 葛藤の誤解

葛藤の誤解: not 心の葛藤 but 他人と他人のぶつかり合い

タイトルを間違えたかも知れぬ。
コンフリクトを葛藤と誤解することを言いたい。



わりと初期の頃の記事で、
「ドラマとは葛藤である」は誤訳である
というのを書いた。
これはかなり本質を突いていると思う。

ドラマとはコンフリクトである。

コンフリクトは、日本語に訳しにくい単語だ。
誤解を恐れずに強引に訳すと、バトルと訳すべきだと思う。

ドラマとはバトルである。



コンフリクトを葛藤と訳したのは誰が最初か分からない。
新井一かなあ。経緯は不明だ。
コンフリクトとは、con+flictだから、
互いに衝突することの意味である。
against Aとか、between A and Bのようなことだ。
つまり、語源的に、
「ふたつのものが、ガチーンと衝突すること」が、
コンフリクトの意味である。

葛藤と訳したことの意味が分からない。
あるとしたら、
葛藤の「ふたつの間で起こる矛盾」の意味が、
コンフリクトの「二者の間で起こる衝突の結果、ややこしい事態が生ずること」
の意味に近い、というぐらいのことである。



さて、コンフリクトのいい定義に、
「互いに異なる目的を持つ二者(以上)がいるため、
相容れない状況にあること」
というのを見つけた。

映画で扱うのは、まさにこの状況である。

性格設定のところで述べたけど、
人物が動くのは、必要に迫られた目的があるからであった。

もしこれがスムーズに行くのなら、それはドラマでも何でもない。
「旅行に行って帰ってきた」はストーリーではない、と書いたのはそういうことである。

ある目的を達成しようと動き始めたら、
その人の目的と相容れない目的を持つ人物と出会ってしまうのが、
ドラマなのである。

たとえば正義と悪が分かりやすい。
たとえばやり直したい男と別れたい女の状況が分かりやすい。
たとえばライバル同士が分かりやすい。

ドラマとは、異なる目的を持つ人物同士が、
同じ場所にいて、
かつどちらかの目的しかゴールできないときに、
起こるのである。


その状況になったとき、どうなることが結末だろうか。

相手を殺し、自分が生き残ることで邪魔を排除する。これは善悪ものの結末だ。
両者の目的とは全く違う第三の目的に達し、協力し幸せになる。
勝利者は一人しかいないから、どちらかが勝利する。

などである。他にもパターンはあると思う。

ドラマとは、コンフリクトが発生して、
どうにかしようと互いが動いた結果、
最終的に、どちらかの勝利、二人の勝利、二人とも敗北、
などの結末にたどり着くことを言う。
それまでに起こる、様々な紆余曲折のことを、ドラマと定義できる。


さて、じゃあ映画はコンフリクト発生から始まるのだろうか。
それだけではない。
たいていは、事件からはじまる。
その事件を解決しようとするうちに、
コンフリクトの状況に落ち込むことがわかる、
という二段階構成を踏むことが多い。

主人公の目的は事件の解決、
相手の目的はそれと矛盾するもの
(たとえば、事件の隠滅とか主人公を殺すこととか)。
主人公は、コンフリクトの相手をどうにかして、
目的の達成(事件解決)をしなければならない、
というのが、
映画での本筋になることが多いのである。

ちなみにコンフリクトの相手のことを、
ハリウッドでは「障害」と呼ぶことがある。
主人公は目的達成のために、障害越えを果たさなければならないのである。

日本語では分かりやすく「敵を倒す」などという言い方をする。
勿論コンフリクトの相手は敵とは限らないので、
コンフリクトの全てをカバー出来る言葉ではない。


また、コンフリクトの相手は一人とは限らない。
二人以上いる場合もある。
分かりやすいのは三角関係かな。

そのうち、メインになるほうをメインコンフリクト、
サブになるものをサブコンフリクトなどという。

映画には複数同時進行するドラマがあるが、
メインコンフリクトが、主軸になるわけだ。
(ちなみに、ドラマ風魔のメインコンフリクトは?
風魔vs夜叉だね)




さて、ここまでドラマの構造が、
コンフリクトというものを中心に考えると整理できるはずだ。
「ドラマとはコンフリクトである」
というのは、至言だと思う。

ところが。
これを葛藤と訳した馬鹿がいるんだよ。
おかけで、日本の脚本技術は20年遅れたと思うよ。

葛藤は、葛(くず)と藤(ふじ)という二つのツタ植物が、
根が絡んで複雑に入り組んでいるさまのことだ。
転じて、「心の中で思い悩むこと」をさす。
また、語源的に、「二者が絡んだ複雑な状態」のこともさす。

誤訳した張本人は、後者をコンフリクトの代わりに当てたのだろう。

さてしかし。
日本語で葛藤といえば、ふつう一人の人の心の中の話だ。
「彼には葛藤があった。ノリ弁か唐揚げ弁か」は普通だが、
「当社と貴社の間には、複雑な利害関係、すなわち葛藤がありますね」は、
語源的には正しいがふつう言わないものだ。
辞書的には意味として記載されていても、
実用上は葛藤はA君の心の中のことである。


で本題。

「ドラマとは葛藤である」と間違って学んだ人は、
主人公が一人で悩んでいる場面ばかり書いてしまうのである。
窓辺系テンプレ(窓辺で物思いにふける)は、その典型だ。

一人称小説ならいざ知らず、
映画は三人称型である。
彼の内面をカメラで写すことはできない。
写せるのは、彼のため息や眉間やほおづえをつく姿である。
これの何がおもろいのや、ということだ。

一人彼が窓辺で悩んでいる場面ばかり写しても、
何も起こらない。
起こるのは、退屈やブーイングだ。


百歩譲って、葛藤を二者間のものにしたとしても、
コンフリクトの語源のような、ガチーンと衝突する様を描きづらい。
葛藤とは絡まった根っこという、静的なイメージであり、
動的なコンフリクトとは真逆だからだ。

聖闘士星矢に、黄金聖闘士同士が戦うと千年決着がつかないという下りがある。
二人は静止したまま千年たつそうだ。
葛藤のイメージはそんな感じ。動かない根っこ。
コンフリクトは、バチーンとぶつかり、跳ね返って、
またぶつかり、どちらかが砕けるまでぶつかりあうイメージ。

どっちが面白いドラマになるだろうか。



ドラマとは、心の中の葛藤のことではない。
他人と他人のぶつかり合いのことである。

葛藤とメアリースーは相性が良い。
わたしの悩みをみんなに聞いてほしくて、
わたしは皆に愛されたいからだ。
窓辺系テンプレは、その二つの罠に落ちている間違いなのだ。

三人称は自分のことではない。他人のことだ。

他人と他人が、ガチーンとぶつかり合って、
どうにかする様が、ドラマなのだ。


(勿論、ぶつかり合いの結果、
思い悩んだり、葛藤することもあるだろう。
それは結果であって目的ではないよね)
posted by おおおかとしひこ at 02:00| Comment(5) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
記事読んでるだけでネタが湧き出てネーム作業が捗ります。
明解な言葉で長年の誤解がときほぐされました
こんなに出し惜しみない内容でいいんですか

Posted by サイ at 2016年08月19日 00:45
サイ様コメントありがとうございます。

わしは最強のライバルを育ててしまったのかも知れぬ…。
半分冗談で半分本気です。
今の日本のエンターテイメント業界、かなりヤバイと思います。
傑作が増えることが僕の願いです。

さて、分かることと出来ることはまた違うのです。
一本背負いの原理が分かったとしても、
あらゆる人にかけられないとね。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月19日 01:25
誤解シリーズ短期集中掲載お疲れ様です。
 
40年くらい前ですが「葛藤とは殺し合いの事である」と習いました。
 
葛と藤は「日光と地面の独占」という目的があり、その為に相手を絞め殺し、根絶やしにしようとする。
そこから転じて「相容れぬ二者の激しい争い」を意味する言葉になり(辞書ではこの意味のはずです)、ドラマの題材になるような「名誉か恋か」「義理か人情か」と言った心の中の戦争を生み出す二択になったと。
 
昔は心の自由を求めると命がけだったという社会変化もあるんでしょうけど80年以降、邦画やジュンブンガクが惰弱な人間の幼稚な、安っぽいカットウしか描いてこなかったので「葛藤」という言葉の意味が邦画やブンガクの世界で変質してしまったのではないでしょうか。
「トラウマ」が「死の恐怖」から「損をした」程度の意味に替わった様に。
Posted by 源氏ガニ at 2016年08月19日 18:56
源氏ガニ様コメントありがとうございます。

僕は70年生まれですが、中学ごろにこの言葉を知ったときは、
すでにその辞書的意味は失われていて、
「(元の意味から転じて)あれこれ思い悩むこと」ぐらいの意味合いで使われていました。
誤用の一般化かもしれませんね。

また、辞書的な意味での葛藤を描け、と指導したとしても、
「帝国軍と同盟軍の対立からはじまり、様々な作戦が展開し、
シーソーゲームののち、あるほうが勝利する」などの
動的状況の変遷を書かずに、
「To be or not to be. That's the problem.」
とか「困ったなどうしよう…」とぶつぶつ言って歩き回る程度の、
「時間停止悩みシーン」しか書けないので、
わりときつく書いてみた次第です。
(「葛藤シーン」って言葉もあるくらいだし)

「おもむろ」(徐ろ=徐々に)もそんな誤用ワードのひとつらしいですね。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月19日 19:29
間違えました。
problemじゃなくてquestionでした。すいません。

questionなら問うことで解決を促す意志を感じますが、
problemだと問題が横たわっているという感想(ぼやき)に見えますね。
新人が書きがちな葛藤は後者なので、文脈にはあってますが。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年08月20日 11:51
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