2016年08月18日

13の誤解12: 成長の誤解

成長の誤解: not 立場の変化 but 何を学んだか


成長とは、
背が伸びること?
中学校から高校にあがること?
ひげが生えること?
タバコが吸えること?

たぶん、そうじゃないよね。
「心が大人になっていくこと」だ。
少なくとも映画で描く成長はそうであり、
物理的な成長を描くわけではない。

ところが、成長を描こうとすると、
見た目だけ変わっていて、内面がちっとも成長していない、
という誤りを犯しやすい。

さすがに背が伸びておしまい、てことはないだろうが、
たとえば役職が上がった、とか、
転職した、とか、
コンテストに受かったとか、
なんらかの「外的な成長」を描いたことで、
内面が成長したことの代償にしてしまうことが多い。

もちろん、映画は内面を撮ることが出来ないから、
外面の成長を描いて、内面の成長を暗示するのだ、というやり口は理解できる。

問題は、外面だけ成長していて、中身が成長していない場合だ。

係長から課長になっても、同じまま。
給料のいい職業についても、同じまま。
コンテストに受かってデビューしても、同じまま。
それでは成長もなにもない。

まだ、
前記事のブックエンドテクニックを使って成長をわかりやすく示す、
たとえば、
誰か困っているときに、前なら無視したけど、今なら進んで助けられる、
などのほうがわかりやすい。(ちょっと陳腐だが)

ビジュアルの変化より、よほど成長を実感できるというものだ。
人物の描写は、静的ビジュアルではなく動的な行動で示すのが、
映画という文法である。


さて、どうしてビジュアルだけ成長させて、中身を成長させないのだろう。
それは作者が成長というものを誤解しているか、
そもそも成長は必要ないと考えているか、
メアリースーに主人公がなっているかの、どれかだ。

三つ目の例を深堀りしてみよう。

外面だけ成長するが内面だけ成長しない主人公は、
メアリースーの一種である。
とくに、自己承認欲求の表れであることが多い。

主人公は日々不遇でつらい目にあっている(自己の投影)
→なんらかの事件を解決し、尊敬される
→外面的に出世する、内面はそのまま

というストーリーは、
「今の自分がそのまま認められたいという甘え」が投影されている。
自分は今あるがままに認められたい。
しかしなぜか不遇で、不幸である。
なにかチャンスがあれば、今のままの自分が世間に知られ、
皆に愛されるのに。
そういう願望が投影されがちなのである。

さて、これは「ロッキー」の前半部とそっくりだ。
ロッキーが人気なのは、
「俺にもチャンスが巡ってくれば、輝けるはずなのに」
という一種ののび太症候群を満足させるからだ。

それがそのままで終わっていれば、ロッキーは凡作に終わっただろう。
ロッキーが名作なのは、
自分が傷ついてでも、前に向かうその勇気である。
具体的には、
自分の恥をさらす勇気
(エイドリアンに引退の意思を告げる、ミッキーに本音の弱気を吐く)。
トレーニングを続ける勇気。
そして何より、自分が恥じることをしていると知った時の、
自分に向き合う勇気。
それらがないまぜになり、映画が終わるころ一回り成長していて、
それが肉体的成長、立場的成長と連動しているから、
ロッキーは名作なのである。

ただの外面的成長では、内面の成長を描けないのである。

内面の成長をどう描くかに関しては、様々なやり方があるので研究されたい。
少なくとも「ノーリスクでラッキーが舞い降りて大成功」ではないことだけは確かだ。



さて、変化の項で少し述べたが、
僕は主人公が、「最終的に何を学んだか」を設定するとよいと考えている。
それが主人公の成長と関係するからだ。
それが欠けているところからはじまり、それを得て終わることが、
最もダイナミックな成長を描け、かつ-Aから+Aに至るハッピーエンドが書けるはずだ。

もっとも、これをベタに書くと中学生日記みたいな安いドラマになる。
それをどう自然にうまく書けるかは、人生経験みたいなものがいるかも知れない。


もちろん成長のないドラマもあり得るのだが、それはこの項とは関係ないので省略する。

だけど、僕は主人公は、なんらかでも成長するのが映画だと思う。
それほど、人生観が変わるようなすごい冒険を経た証拠だからだ。
いつもの仕事をいつものようにこなすだけでは、成長も変化もないだろう。
映画とは特別な体験のことだと思う。
特別だから、なんらかの心の変化があるのだ。
(ネガティブ方向に変化してもいい。それは成長とはふつう言わないが)


成長を、外面的な描写のみに限定してはならない。
内面的にどう成長したかを、考えるべきである。
特別な体験から学んだ何かが、その人を良く変えたのだ。

そしてそれは、たいてい価値のあることで、
それがおそらくテーマである。
posted by おおおかとしひこ at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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