そもそもうまく書けない人は、
書きたいシーンが溢れすぎているのかも知れない。
書きたいシーンはいくつあるか?
僕は、ひとつの話でひとつでいいと思う。
バトルシーン、お色気シーン、冒頭のワクワク、友情シーン。
色々書きたいものを妄想するのはとてもいいことだけど、
そんな妄想を「つぎはぎする一本の線」を捻りだそうとするから、
「つぎはぎする話」しか思いつけないのである。
それじゃギクシャクする話にしかならない。
作り方が違う。
お話とは流れるように進むもので、
あるものとあるものを繋ぐために作るのではない。
それは屁理屈やご都合や無理を生むのだ。
書きたいシーンはひとつにしなさい。
他の書きたいシーンは、別の話に仕立てなさい。
書きたいシーンが10あるなら、
10本の話に割り振りなさい。
映画一本にあるシーンは50から100ぐらいだ。
書きたいシーンが10あるとしたら、残り40から90を穴埋めすることを考えるのだろうか?
そうではなくてひとつだけ大事なシーンを温めておいて、
ひたすら書いているところに、
満を持してそのシーンを持ってくるのである。
残り49から99のシーンは、どうやって書くかって?
事件と解決という大筋から考えて作る人もいるし、
テーマから考える人もいるし、
目的と行動から考える人もいるし、
作品によって変える人もいる。
創作というのは毎回オーダーメイドなので作り方も毎回違って当然。
とにかく、全体像が見えるように作り始めたほうがいい。
あることが起こった。次はどうなる?
その次はどうなる?その次は?
何を言い、何をする?何のために?
そしてその次は?
途中で別のことが起こる?最初に起こったことと関係ある?
そして次は?
お話とは、そういう関連を書いていくことだ。
関連を書かない限り、話を書いたことにはならない。
「書きたいシーン」は、シーン単独で存在する。
関連が存在しない、ただのシーンだ。
だから関連づけの糸とは独立して存在する。
関連づけこそが話を書くことだとすると、
どことも関連してない独立シーンは邪魔なんだよね。
これが、「書きたいシーンを沢山妄想し、
その間を埋めるストーリーを捻り出す」やり方が上手くいかない理由だ。
どうやったってぶつぎれの糸にしかならないんだ。
面白いお話ってのは、強力な糸が何本も絡んで束ねられるようになっているものだ。
どんなにそのシーンが大発明で歴史に残る名シーンだとしても、
残り49から99のシーンがあってこそである。
書きたいシーンはいくつあるか?
あなたはアプローチを間違えている可能性がある。
書きたいシーンをひとつに絞って、
他を捨ててからはじめることはどうだろう?
あるいは、書きたいシーンがなくても、お話を作ることは出来る。
「書きたいシーンを書くことを、書くモチベーションにしない」
というアプローチも検討してみてはどうだろうか。
(たとえば、この話がどう決着するかを見てみたい、など)
2016年08月20日
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