脚本の入門書は、大抵三幕構成を学ぶものになっている。
たしかに書く側としてマスターすることは難しいし、
日本人には馴染みがないし、
シンプルな結論だから、
それさえマスターすれば何でも出来る魔法のような真理に見える。
だけど僕は、経験上、そのマスターなんて、
スタントマンにとって自転車に乗れるかどうか、
ぐらいのことでしかないと思っている。
自転車に乗れなきゃ始まらないか、
その先の沢山のことを出来なきゃいけないか、
でいうと後者だと思っている。
つまり、三幕構成から始める前に、
もっと大事な何かから始めたほうがいいのではないか、
とすら考えている。
それが何か、という明解なものはまだないので、
仮説の披露にとどめるとする。
・この映画の何に引き付けられているか分解出来ること
・落ちを学ぶこと
のふたつじゃないかなあ。
・この映画の何に引き付けられているか分解出来ること
映画は脚本が全てではない。
色々な要素の複合体だ。
自分はこの映画の何に引き付けられているか、
映画全体から、要素だけを取り出して考えられるか、
ということは、まず何より重要だと思う。
役者なのか、アクションなのか、
絵のトーンなのか、世界観なのか、
音楽なのか、雰囲気なのか、あるいはストーリーなのか。
要素に分解するということは、
パーツAを取り出して、パーツBに交換したら、
それはあなたを引き付けなくなるか、
を想像することでシミュレーション出来る。
その役者が別の知らない人でも、引き付けられるか?
そのアクションが単なるじゃんけんでも、引き付けられるか?
その絵が別のカメラマン、たとえば深夜ドラマ並みの絵でも、引き付けられるか?
その世界観が別の世界、たとえば日本やハワイでも、引き付けられるか?
その音楽が別の音楽、たとえばJポップでも、引き付けられるか?
その雰囲気が別の雰囲気でも、引き付けられるか?
そのストーリーが別の展開や落ちでも、引き付けられるか?
つまり、
あなた好みのテイストだったから好きになったのか、
そうじゃないのに良かったのか、
あなたの主観を腑分け出来るかどうかなのだ。
現代はマーケティングが行き渡り過ぎていて、
好みのものばかりを選んで、
そればかりに囲まれて一生を送ることが、
不可能ではない時代になりつつある。
十年前にはクラスタなんて言葉はなかった。
二十年前にもなかった。
全員が同じクラスタだった。
精々若者と老人、男と女ぐらいだった。
それが何々クラスタの人、なんて、いつの間にか細分化されて、
別クラスタの人と何かを分かち合うのは難しい時代になったともいえる。
しかしながら、
そのような細分化マーケットでは映画は作れない。
映画はもっと大きな市場で成立するからだ。
今後、日本でなければ、世界マーケットすら視野に入れる必要も出てきた。
(現にハリウッドは、日本市場から中国市場へ舵を切った)
自分は○○クラスタだから、○○に反応しているのだ、
という自覚がまず出来るか?
それ以外の、何に引き付けられているか、
自覚出来るか?
素人さんは別にいいですよ。
問題は、プロになろうとしている人たちだ。
それは、好みの押し付けでは成立しない。
好みじゃない人のほうが多く、それすら引き込めるか、
というところが大事だからだ。
(日本のマーケティングは、好みばかりを集めて逃げたことで、
衰退したと僕は考えている)
シンゴジラは、CGやアクションや特撮風味の雰囲気や、
テンポやシミュレーションアトラクションとしては、
抜群の出来である。
しかし、人間ドラマ部分は完全に素人レベルだ。
僕は、だったらなくて良かったんじゃないかとすら思っている。
そのように冷静になれるか、ということである。
たとえば、あなたに編集する権利があるとする。
大好きなその映画の、好きなところだけ編集していい、
と言われたときどうするかだ。
シンゴジラなら、武蔵小杉作戦と夜のビームと品川有楽町戦と、
石原さとみ出演シーン以外はいらないんじゃないかなあ。
もしこのとき、
あれを捨てると残したところが成立しなくなる、
と思うなら、あれとそれは、「強い関係がある」
ということだ。
関係性こそストーリーだ。
つまり、シーンにストーリーはなく、
シーンとシーン、要素と要素の関係性に、
あなたが引き付けられていれば、
それはストーリーのせいか、設定のせいかのどちらかだ。
ストーリーだけを単体として取り出すのは、
プロでもなかなか難しい。
「同じストーリーを、複数の言葉で表すことが出来る」
からである。
文字数だって、一行から1500字、1万字など自由だからだ。
それでも、これは欠けてはいけないものだ、
これは省略してもいいところだ、
などと判断できるようにならなければならない。
その判断力こそが、
ストーリーを腑分け出来るということではないかと思う。
それは、数々のストーリーを分解したり、
沢山書いている経験からしか生まれない感覚だ。
自分が何に引き付けられているか。
他の人が何に引き付けられているか。
それは同じものか、違うものか。
それを把握することすら、なかなかに難しいと思う。
・落ちを学ぶこと
何故それが落ちたことになるのか。
そもそも落ちは何か。
素晴らしい落ちとはどういうもので、
ダメな落ちはどういうものか。
何度も味わえるものとそうではないものは、
落ちの質に差はあるか。
新しい落ちと古典的な落ち。
何故この落ちは他の落ちではないのか。
これらにあなたはスムーズに答えられるだろうか。
それらに答えられるようになるのが最終目標だと思った方がいい。
最初から全部出来る必要はない。
まず初心者は何からはじめるのがいいのだろう。
三幕構成からはじめると、
体が出来てもないのに肉離れするかも知れない。
三大噺10本、とかが入門の基準かも知れない。
少なくとも三幕構成は、ある程度書ける人が学ぶべき感覚の気すらする。
2016年08月27日
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