これを分離することは、なかなかに難しい。
素人じゃまず無理かも知れない。
ましてや脚本家初心者たるや。
ドラマティックとは、非日常の高揚感だ。
そんなこと普通じゃあるはずがない感じが、
訪れる感じ。
現実の世界にも、まるでドラマのようなことが起こる。
こないだの甲子園では、
中学まで親友でバッテリーを組んでた二人が、
別々の高校に進み、
甲子園で再会するなんて偶然があった。
運命のようなドラマティックさだ。
ドラマティックかどうかは、偶然が作用する気もする。
まるで神が用意したシナリオ、などのように偶然を読み取ったりね。
あるいは、大舞台はドラマティックである。
それはドラマによく出てくる。
大きなリスクと大きなリターンがあるからだろう。
ものごとがダイナミックに動くとき、
僕らはドラマティックを感じる。
さて。
ドラマはドラマティックとは違う。
ドラマティックなドラマもあるし、
ドラマティックでないドラマもある。
前者を派手とか分かりやすいとか、
後者を地味とか複雑とか、
言うだけかも知れない。
正確に言えば、ドラマティックは形容詞であり、
ドラマとは名詞だ。
あること(点)がドラマティックかドラマティックでないかを言うために、
ドラマティックという言葉があり、
ドラマとはそれとは独立する何かである。
ドラマティックかどうかは、
凄いかどうかとか、
感情が震えるかどうかとか、
そういう「感じ」に直結する。
たとえば後楽園ホールでの地味なボクシングの判定試合より、
ラスベガスマディソンスクエアガーデンで行われる、
ヘビー級世界戦の逆転KO劇の方がドラマティックだ。
しかしそれは、
「ある男が人生を賭けた試合にのぞみ、勝利する」
というシナリオとしては等価なはずである。
派手か地味かと、ドラマとして深いか浅いかは、
関係がないのである。
(派手なほど浅く、地味なほど深い、という一般法則がある。
派手で深いのがベストだ)
じゃあ、ドラマとはなんだろう。
相変わらず「事件とその解決」と定義してみよう。
事件の起こらないものはドラマじゃない。ただの日常だ。
(事件はほんの小さなものから、それこそドラマティックなものまで、
色々あるだろう)
解決がないものは、ドラマじゃない。ただの尻切れトンボだ。
(「マルホランドドライブ」「ゾディアック」などの、
解決がない映画を見たまえ。これじゃあ意味がない)
そして、そのストーリーに何か意味のあったもの、
がドラマだと僕は思う。
意味のないものは、わざわざ足を止めて見る価値がないと思うからだ。
それを伝統的には変化で示す。
それに関わった人、社会、主人公が、
その前とはまるで違ったものに不可逆に変化することで、示す。
もとに戻るのは変化とは言わない。
なぜそれがもとに戻らないかという理由が、
そのストーリーの示す意味や意義だと僕は考える。
大抵は、否定すべき価値が最初にあり、
称賛すべき価値のある社会に変化する。
勧善懲悪はすべてこのパターンだ。
否定すべき価値を悪に背負わせ、称賛すべき価値を主人公に背負わせる。
(近々の例ならば、てんぐ探偵11話「結婚の提案」は、
否定すべき価値は、「自分に自信がないあまり、横文字で盛ること」で、
称賛すべき価値は、「それに気づき、自分の言葉で語ること」だ。
てんぐ探偵は、毎回、悪が正義に転向する話を扱う)
意味や意義は、作者からのメッセージとは異なるものなので、
誤解しないように。(シリーズ13の誤解を参照)
これを僕は、テーマという言葉で意味する。
狭義のテーマかも知れない。
また、ドラマは一人じゃ出来ない。
一人芝居はドラマではない。
何故なら、カメラで撮るからである。
(一人芝居でドラマになる可能性は0ではないとは思うが)
カメラで撮るということは、
三人称形式で表現するということで、
その人の心の声や思考は聞こえない。
その人の態度や行動や判断から、我々が読み取ったり、
その人の言葉から解釈するしかないのである。
(その人は嘘をつくかもしれない)
で、
ずっと一人でぶつぶつ言ったり無言で行動されても、
あんまり面白くないので、
ドラマには二人以上の登場人物が必要だ。
会話があれば、飛躍的にその人の内部が見えてくる。
しかし二人以上の人は同じ人じゃないから、
考え方も違うし性格もバックグラウンドも違うので、
齟齬をきたす。
なんならケンカもする。
これをコンフリクトという。
それが収まる(相互理解に至ったり、袂を分かったり、殺しあったり、
第三の結論に至ったり)までがドラマである。
付き合ったり別れたりする恋愛ドラマは、
つまりは齟齬と関係の進展を描くのが中心だ。
新登場人物の登場シーンがワクワクするのは、ドラマの予感がするからだ。
(で、そのドラマの正体とは、煎じつめれば齟齬やケンカというわけだ)
ドラマとは、
1. 事件とその解決。
2. 変化で価値や意味を示す。
3. 二人以上のコンフリクト。
のことである、
と僕は考える。
勿論、それがドラマティックかどうかは関係ない。
ドラマティックなほうが望ましいだけのことだ。
とてもシンプルに書いたけれど、
実際には人間存在に迫る深さやリアリティーが重要だし、
感情移入に足る感情は必要だし、
陳腐な展開やありがちなものや、焦点の誘導が下手なものは、
下手くそと言われるだろう。
ドラマとドラマティックは違う。
ドラマティックだが、ドラマがないものもある。(たとえば海外旅行、スポーツ中継、音楽のライブ)
ドラマはあるが、ドラマティックさが足りないものもある。
ドラマティックでもなくドラマでもないものは、ただのいつもの詰まらない日常だ。
我々は、両取りを狙わなければならない。
2016年08月31日
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