2016年08月31日

ドラマとドラマティックは違う

これを分離することは、なかなかに難しい。
素人じゃまず無理かも知れない。
ましてや脚本家初心者たるや。


ドラマティックとは、非日常の高揚感だ。
そんなこと普通じゃあるはずがない感じが、
訪れる感じ。

現実の世界にも、まるでドラマのようなことが起こる。
こないだの甲子園では、
中学まで親友でバッテリーを組んでた二人が、
別々の高校に進み、
甲子園で再会するなんて偶然があった。
運命のようなドラマティックさだ。

ドラマティックかどうかは、偶然が作用する気もする。
まるで神が用意したシナリオ、などのように偶然を読み取ったりね。

あるいは、大舞台はドラマティックである。
それはドラマによく出てくる。
大きなリスクと大きなリターンがあるからだろう。
ものごとがダイナミックに動くとき、
僕らはドラマティックを感じる。



さて。

ドラマはドラマティックとは違う。
ドラマティックなドラマもあるし、
ドラマティックでないドラマもある。

前者を派手とか分かりやすいとか、
後者を地味とか複雑とか、
言うだけかも知れない。

正確に言えば、ドラマティックは形容詞であり、
ドラマとは名詞だ。

あること(点)がドラマティックかドラマティックでないかを言うために、
ドラマティックという言葉があり、
ドラマとはそれとは独立する何かである。

ドラマティックかどうかは、
凄いかどうかとか、
感情が震えるかどうかとか、
そういう「感じ」に直結する。

たとえば後楽園ホールでの地味なボクシングの判定試合より、
ラスベガスマディソンスクエアガーデンで行われる、
ヘビー級世界戦の逆転KO劇の方がドラマティックだ。

しかしそれは、
「ある男が人生を賭けた試合にのぞみ、勝利する」
というシナリオとしては等価なはずである。

派手か地味かと、ドラマとして深いか浅いかは、
関係がないのである。
(派手なほど浅く、地味なほど深い、という一般法則がある。
派手で深いのがベストだ)


じゃあ、ドラマとはなんだろう。

相変わらず「事件とその解決」と定義してみよう。
事件の起こらないものはドラマじゃない。ただの日常だ。
(事件はほんの小さなものから、それこそドラマティックなものまで、
色々あるだろう)
解決がないものは、ドラマじゃない。ただの尻切れトンボだ。
(「マルホランドドライブ」「ゾディアック」などの、
解決がない映画を見たまえ。これじゃあ意味がない)

そして、そのストーリーに何か意味のあったもの、
がドラマだと僕は思う。
意味のないものは、わざわざ足を止めて見る価値がないと思うからだ。

それを伝統的には変化で示す。
それに関わった人、社会、主人公が、
その前とはまるで違ったものに不可逆に変化することで、示す。
もとに戻るのは変化とは言わない。
なぜそれがもとに戻らないかという理由が、
そのストーリーの示す意味や意義だと僕は考える。

大抵は、否定すべき価値が最初にあり、
称賛すべき価値のある社会に変化する。
勧善懲悪はすべてこのパターンだ。
否定すべき価値を悪に背負わせ、称賛すべき価値を主人公に背負わせる。

(近々の例ならば、てんぐ探偵11話「結婚の提案」は、
否定すべき価値は、「自分に自信がないあまり、横文字で盛ること」で、
称賛すべき価値は、「それに気づき、自分の言葉で語ること」だ。
てんぐ探偵は、毎回、悪が正義に転向する話を扱う)

意味や意義は、作者からのメッセージとは異なるものなので、
誤解しないように。(シリーズ13の誤解を参照)
これを僕は、テーマという言葉で意味する。
狭義のテーマかも知れない。


また、ドラマは一人じゃ出来ない。
一人芝居はドラマではない。
何故なら、カメラで撮るからである。
(一人芝居でドラマになる可能性は0ではないとは思うが)

カメラで撮るということは、
三人称形式で表現するということで、
その人の心の声や思考は聞こえない。
その人の態度や行動や判断から、我々が読み取ったり、
その人の言葉から解釈するしかないのである。
(その人は嘘をつくかもしれない)

で、
ずっと一人でぶつぶつ言ったり無言で行動されても、
あんまり面白くないので、
ドラマには二人以上の登場人物が必要だ。
会話があれば、飛躍的にその人の内部が見えてくる。

しかし二人以上の人は同じ人じゃないから、
考え方も違うし性格もバックグラウンドも違うので、
齟齬をきたす。
なんならケンカもする。
これをコンフリクトという。

それが収まる(相互理解に至ったり、袂を分かったり、殺しあったり、
第三の結論に至ったり)までがドラマである。
付き合ったり別れたりする恋愛ドラマは、
つまりは齟齬と関係の進展を描くのが中心だ。
新登場人物の登場シーンがワクワクするのは、ドラマの予感がするからだ。
(で、そのドラマの正体とは、煎じつめれば齟齬やケンカというわけだ)


ドラマとは、
1. 事件とその解決。
2. 変化で価値や意味を示す。
3. 二人以上のコンフリクト。
のことである、
と僕は考える。

勿論、それがドラマティックかどうかは関係ない。
ドラマティックなほうが望ましいだけのことだ。

とてもシンプルに書いたけれど、
実際には人間存在に迫る深さやリアリティーが重要だし、
感情移入に足る感情は必要だし、
陳腐な展開やありがちなものや、焦点の誘導が下手なものは、
下手くそと言われるだろう。


ドラマとドラマティックは違う。
ドラマティックだが、ドラマがないものもある。(たとえば海外旅行、スポーツ中継、音楽のライブ)
ドラマはあるが、ドラマティックさが足りないものもある。
ドラマティックでもなくドラマでもないものは、ただのいつもの詰まらない日常だ。

我々は、両取りを狙わなければならない。
posted by おおおかとしひこ at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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