帰り道、ずっと考えていた。
ふと頭のなかに回り始めたテーマソングを歌いはじめて、
ようやく気づいた。
女版ゴーストバスターズ。
内容と、80年代の音楽が齟齬を来していたからだ。
大ヒット曲の例のテーマを、
使わないわけにはいかないのは、わかるといえばわかる。
しかし、
今回の内容は、件のテーマ曲と合っていないと思った。
80年代の音楽は、
トップガンだろうが愛と青春の旅立ちだろうが、
グーニーズだろうがフラッシュダンスだろうがETだろうが、
とても明るい。
底抜けに明るい。
悲劇的テーマのはずの「ラストクリスマス」だって明るい。
そこには無前提の希望がある。
今日失敗しても明日やり直せばいいやと言えるアメリカンがいる。
肉体的に強く、旨いものを食い、国的にも文化的にも最強の、
アメリカンがいる。
911で自信を失わなかったアメリカがいる。
現在は80年代ではない。
湾岸戦争、911を経て、資本主義がぐらついている。
移民の問題(あらたな奴隷調達問題。資本主義は奴隷の存在が枠組みに組み込まれている)
は解決しそうにない。
そんなときに、底抜けに明るくいられる筈がない。
だから、おバカなイケメンの範囲内でしか、
明るい希望はないのだ。
半径3メートルぐらいの希望しか、明るくないのだ。
80年代の頃の、世界がまだまだ広かったころの、
フロンティアのような明るさは、
アメリカにはなくなったのである。
だから、80年代の音楽が、上滑りしていたと僕は思う。
女たちのコメディとしては、並の出来だ。
予告編でかかった「ブリジットジョーンズ(まだやるのか)」
を見て、ああ、そのクラスタの映画なのだと割りきれば、
もっと楽しめたかも知れない。
アバやマドンナでもかけとけば、八方まるく収まったのではないだろうか?
あと、ホルツマン様結婚してください。
以下脚本論的なこと。
主人公二人に、感情移入ができない。
ゴーストガールと呼ばれた主人公に対して、
その親友にキャラがないので、
二人の友情に感情移入出来ないのだ。
だからクライマックスのフックをつけて助けに行くところも、
ちっとも熱くならないし、
ラストのゴーストガールと呼ばれることに誇りを持つことの、
帰結も、今一つグッと来ない。
ブレイクシュナイダーの原則に、
様々な感情を体験させよ、というものがある。
コメディだから笑いに注力し、
泣きやハラハラはそこそこでいい、ということではない。
コメディだからこそ、
笑いも、泣きも、ハラハラも、一流でなければならない、
と考える原則だ。
笑いは水準に来ていたけれど、
主人公二人の友情や泣きが、物足りなかった。
コメディだから甘くとらない。
コメディだからこそ、ここを厳しくとりたい。
だから何だかテレビドラマのような感じがした。
シチュエーションコメディっぽかった。
これは映画だ。
テレビドラマと映画の差はなんだろう。
一発勝負の変化の大きさ(不可逆の)ではないかと思う。
二人の友情に変化はあったか。
同じようなものが続いただけではないだろうか。
何故二人はあの本を出したのか。
過去に何があったのか。
たとえば決定的亀裂から始まって、
喧嘩しながらも友情を復活させるドラマにしたほうが、
もっと楽しめたのではなかろうか。
ホルツマンとイケメンのキャラが立ちすぎて、
主人公二人のキャラが負けていたのが、なんともであった。
(黒人の地下鉄は、まああのあたりか。
全盛期のウーピーゴールドバーグだったらなあ)
この曖昧な感じは、「センタークエスチョンは何か?」
と問うことでわかる。
「NYのゴースト事件を解決すること」だけなんだよね。
オリジナルは「それによって、バカにされたことを見返してやること」
という個人的な理由も重なっていたので、
そこが感情移入と関係したと思う。
今回、主人公はゴースト退治したとしても、大学に戻れるわけではないし、
単純に首になったあたりをはしょって、
別のことをセットアップするべきだったのでは。
あと、ゴーストバスターズはどうしてもマシュマロマンを越えなきゃいけないけれど、
その呪縛からも外れた方が良かったんじゃないかなあ。
巨大ゴーストを忘れてもいいのに。
あのオタクのマンガみたいな書き込みを見て、
あのオタクが巨大化するのをワクワクして待っていたのに、
あれじゃあなあ。
女が一番恐れるものは何?と問われて頭に最初に思ったものが具現化するとか、
そういうことでも良かったと思うよ。
あの女4人は、幸せになれたのかなあ。
そこが今一つ分からないから、
エンドクレジットに沢山コネタを入れてきたような気がする。
2016年09月05日
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