これはひとえに、
「あれはどうなるのか?」
(あれは最終的にどうなったのか?)
ではないだろうか。
話が中だるみするときは、
この問いへの興味が失われている(遠ざかっている)
ことが原因だと思う。
あれ(つまり問題)に関して興味を失ったのか、
どうなる(つまり解決)に関して興味を失ったのか、
どちらかを分析しよう。
問題の強度という言葉があるかは分からないが、
強度の弱い問題は、すぐに興味を失うものだと考える。
弱いから悪いのではなく、
弱いならすぐにその答えを出したり、
ターニングポイントで次の問題に変節したりすれば、
興味を失わずに物語とともに歩める。
別に「明日何時入りだっけ?」
という問題があってもよい。
解決が直後ぐらいに来なければ、
何の興味も湧かない問題だ、
という強度を把握できればそれでよい。
中だるみの原因のひとつは、
問題の強度を見極められないことにあるのではないか?
つまり、
強度の弱い問題を、
強度の強い問題と見誤ること、
すなわち、たいして引き付けもしない問いを、
いつまでも引っ張ることにあるのではないか?
「このあとCM明けに!」と言われた興味は、
1分程度なら待ってられるが、
CM明けにまた別の話題になってしまったら、
興味を失ってしまうことと同じだ。
バラエティーの手口は、
大抵別の興味に引っ張って、
解決していない前の問いを忘れた頃に持ってきて、
興味をゆるく持続させる。
つまりメインプロットを置いといて、
サブプロットをはじめる方法論が多い。
つまりこれは、尺に満たない複数のネタを、
尺に収めるテクニックなのである。
で、解決法はふたつ。
ひとつは、問題の強度をあげること。
つまり、
中々解決しそうになく、
解決すれば奇跡が起こるような、
リスクを帯び、
俄然興味が湧くような凄い問いにする。
感情移入のふりかけがかかっていると、
更に我が事のように問いと一体化出来る。
逆に感情移入が強ければ、
問いの強度をあげなくても持つかも知れない。
(好きな人の話は、客観的には面白くなくても、
主観的には楽しい)
もうひとつは、解決を早めることだ。
それは、全体尺を短くすることに役立つ。
段取りをひとつふたつ省略したりしても良いかも知れない。
何も長編だけが全てではない。
キレのいい短編も、それはそれで名作足り得る。
メインの問題、つまりセンタークエスチョンの強度は、
二時間持つものが理想だ。
あるいは、センタークエスチョンを作り直してもいいかも知れない。
センターをサブに回し、
更に強度のある問いを作り直すことは、試してもいいかもだ。
逆に、強度が強すぎる問いは、
映画一本で解決しきれない。
「人類は幸福になるのか?」
「キリスト教とイスラム教は和解するのか?」とかね。
だから大抵、問いを具体的にして、
二時間で満足いく解決になるような問いを作るものだ。
「人類を幸福にする方法を発明した主人公が、
有名なショーに出られるかどうか」ぐらいに、
「キリスト教のAと、イスラム教のBが、
この話のなかで結婚にこぎ着けられるか」ぐらいにだ。
よくあるのは、壮大な問いを立てたはいいけど、
解決しきれなくなるパターンだ。
どうやって解決するのか自分で手に負えなくなったり
(結果、不自然な解決法や無理のある解決法になったり)、
途中でどうやっていいか途方に暮れたりね。
問題が強すぎて、自分より強かったわけだね。
特に壮大なことをやろうとしてこの罠にはまる。
解決までに時間がかかりすぎて長編化し、
挫折してしまう確率が高い。
こういう時は問題の強度を、範囲内に下げていく。
(範囲内に下げてリライトする、または途中でハードルを下げる。
後者はみっともないが、完結しないよりまし。
完結したら、最初からその問いに書き直すと俄然面白くなる)
問題の強度は、自分で調節できる。
解決までの時間も、自分で調節できる。
なのに、それが出来ないと思い込んでいるか、
それに気づいていないだけなのだ。
物語を前に進める力とは、
問題と解決への興味である。
あなたは、あなたの物語の最初の観客である。
観客のあなたが興味を失わない、
問題の強度と解決までの時間を調整していこう。
(観客のあなたが、偏った観客である可能性もあるが、
それとこれとは別の問題だとする)
2016年09月06日
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