2016年09月12日

冒頭15分の役割(「君の名は。」評2)

普段の僕にしては大絶賛だけれど、
やはり冒頭15分のしんどさは、
どのシナリオライターもやりがちなミスが散見される。

指摘しよう。


日常を描くのは、伏線にするためだ。
勿論単なる説明とか、世界観に慣れる為なのもある。
けれど、この話には、「ただの説明」が長すぎたと思う。

説明は、冒頭だけでせずともよい。
あとに回せるものは二幕にだって回せる。
話を始める、最低限を残すべきだ。

話を始めるとは、この話でいえば、
「入れ替わりの異変に気づく」である。

たとえば選挙演説はそれに必要だったか?
登校中に何もかもセットアップしがちなのは、
学園ものにはよくあることだ。
舞台の説明、友達の説明、性格や人間関係や部活の設定まで盛り込みたがる。
そこまではパターンだから許すとしても、
選挙演説はあとでも良かったんじゃないかなあ。
あるいは選挙演説を印象づけることを選んで、
友達二人は教室で紹介しても良かったのではないか。
そこらへんの取捨選択が、詰め込みすぎな気がした。

カフェへの憧れも、なくて良かったと思う。


あと、あのPVアニメのようなオープニング、いる?
オイシイ所だけ抽出したような予告的なもの、いる?
僕はなしで良かったと考える。
今風演出であることは認めるが、
涙を流して起きる所からはじめて、
日常、異変、と素直にいった方が、
「お前は誰だ?」に早くたどり着けたと考える。

僕は三葉のほうに感情移入したけど、
瀧くんにも感情移入したかった。
そのセットアップを、オープニング切れば出来たんじゃないかと思うんだ。
(たとえばイタリアンの先輩への片思いとか。
シフト一杯入れてるのは彼女に会うため、というのが最初にあれば、
感情移入が早かったと思う)

冒頭15分の退屈さにも関わらず、
「夢の中で入れ替わってる」が分かってからの、
はしょり方も気になった。
オッパイチンコ以外にも、
もっとプライベートな何かに踏み込んだほうが面白くなったと思う。
「転校生」のラスト、もとに戻る前の、
「さよなら私」の気持ちに近いものが、
「かたわれどき」の奇跡の瞬間に込められたはずだ。


あと後半になるけど、「名前を忘れる」説明が下手だと感じた。
誰かに言おうと思って、あれ?って流れにするのが自然なのに、
急に少女マンガのようなモノローグになるのは、
少々お寒い気がした。



この説明はここで必要かな?
常にそう思うことはとても重要だ。
一回組んだ段取り(起きてから登校終わりまで)を
崩す勇気も必要だ。
この映画の冒頭15分は、セットアップとして失敗していると思う。
事件(入れ替わり)へのスライドが、遅すぎると思う。

どんな長い映画でも、
最初の事件は8分以内に起こるべきだ、
というハリウッドの経験則に僕は賛成だ。
posted by おおおかとしひこ at 02:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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