ためしに、「小説家になろう」「カクヨム」あたりで、
Yahooからリアルタイム検索してみるとよい。
沢山のアマチュア達が、ツイッターで膨大に自分の作品を売り込んでいる。
慣れてないとその空気に気分が悪くなるので、
閲覧注意物件かも知れない。
あなたの物語がこの中に埋もれたとき、
誰がどうやって発見し、どうやってリーチするのか考えただけで、
気が遠くなってしまうよね。
どんなに面白く価値のある話を書いたって、
ここに埋もれていてはダメだと思うべきだろう。
さて、アマチュア達の売り込み方を見ると、
ひとつの特徴が見えてくる。
それは、同好の士むけにしか宣伝していないことだ。
○○が好きな人に向けて、○○ありますと宣伝しているのである。
これは狭いマーケティングだ。
勿論、暑いときに「かき氷あります」はキラーコンテンツである。
需要が十分あれば、供給するだけで客は来る。
逆に、ニッチな需要はニッチな供給に群がるから、
それらはWinWinの関係になる。
そういうときは○○ありますは、効果的な売り方である。
しかし容易に想像できるように、
需要一杯までしか客は来ない。
ほんとうの商売というのは、
興味のない客を開拓することだ。
知らない人、興味のない人に見てもらう導線をつくることが、
宣伝の役目である。
そのために宣伝は大量に投下し、目立っておいて、
興味や需要を「つくる」のである。
80年代から00年代前半くらいまでは、そうした方法論が日本の標準であった。
昨今の宣伝が「○○あります」しかない、狭いマーケティングなのは、
宣伝を大量投下する資本がないからである。
それは興味のある人を少しずつ取りこぼし、
市場を縮小させ続けるだろう。
つまり、貧すれば鈍する、を地で行っているわけだ。
あなたのキャッチコピーは、
なにも知らない人、興味のない人をも振り向かせ、
お店の入り口までやってこさせる文だろうか?
キャッチコピーは、そこまで力のある文であるべきだ。
もう一度、アマチュア達の売り込みを見るといい。
自分達の長所をアピールすることで精一杯で、
こっちが疲れてくる。
興味のない単語は、すっ飛ばす。
つまり、キャッチコピーが平易に書かれるべきだ、
というのは、難しい、レアな単語は、すっ飛ばされるからである。
なるべく平易な言葉で、
興味のない人をも振り向かせる、
世界の真実のひとつ(それはテーマをネタバレしない、
別の表現になっているとか、おたのしみポイントを示しているとか、
導入の面白さになっている)を書くべきなのである。
興味のない人にも理解される文。
興味のない人にも魅力的に見える文。
興味のない人にも、それならば見てみようかと興味を発生させる文。
スペックを並べて来るやつは、元々興味のあったやつだけだ。
興味のない人のハートを掴むのが、キャッチコピーである。
だからキャッチっていうんだぜ。
2016年09月17日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック