2016年09月18日

キャッチコピー3

自作のキャッチコピーを時々書いてみることを、
僕は推奨している。
それはつまり、自作から距離を置く練習のためだ。


自分の視点からアピールポイントを抽出し、
並べ立てることは意味がないことは、
これまでの議論から明らかだ。

特徴的によい部分ABC…を羅列したとしても、
それは、そのABC…が好きな人へのタグにしかならない。

それが嫌いな人、興味のない人に、ABC…を与えても、
無視されるだけである。

暑い日のかき氷にたとえれば、
寒い日に、あなたはかき氷を売らねばならないのだ。
同時に、暑い日にもかき氷を売らねばならないのだ。

それはつまり、かき氷とは関係のない、何かを売らなければならない。
それはかき氷の本質のようなものになるはずだ。

ものを味わうということはどういうことか。
舌の上を通りすぎる一瞬の記憶こそが味だ。
かき氷は、そのなかで最も薄命なものである。

「舌の上で一瞬で溶けてしまう、美人の記憶。」
とでもキャッチを書けば、
暑い日のかき氷以外の価値をつくったことになるのではないかな。

勿論別解は沢山あるだろうから、
練習がてら考えてみたまえ。


かき氷の例のように、
あなたは自作の本質に迫れるだろうか?

あなたが嫌いな人にも、
あなたの仲間にも向けて、
あなたは自作の本質を、何も知らない人に、
特徴を並べるのではない方法で伝えられるだろうか。

そこまで遠ざかることが出来たら、
客観的な視点で見れているということだと思うよ。



勿論、商売上のキャッチコピーは、
これらの本質的コピーとは異なる可能性もおおいにある。
「泣ける絵本No.1」なんて駄コピーで来る観客のほうが多い、
と宣伝部が判断すればそうなる。
(実際、この愚かなる宣伝部が採用した真の駄コピーの蛮行は、
ここで書くにはあまりにも汚物なので引用しない)

何が商売になり何が商売にならないかは、
その商売人の勘でしかわからないものだ。

僕はその商売人の現場勘よりもさらなる原則の話をしている。
件の宣伝部は、現在縮小されてドワンゴに買われたんだっけ。


あなたは、誰とコミュニケーションしようとしているのか?
僕は、なるべく全部の人とコミュニケーションが成立するといいと思っている。
そうでなければマスの意味がない。
(今マスというものが崩落の危機にあるが、
それとこれとは別の問題なのでおいておく)
posted by おおおかとしひこ at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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