仕事で今、下手くそな脚本を押し付けられてたいへん憤っている。
久しぶりに感情的になり、日々の生活もままならぬほどだ。
教えてやってくれと言われても、このブログを全部読めというぐらい手遅れだったり。
腹が立つばかりでは非生産的なので、
下手くそな脚本の特徴というものを抽出し、
皆の自戒とされたい。
1. 押し付けであり、引き込んでいないこと。
全般に見られる特徴である。
あることを描けば、周りもそうだと思っている誤解。
観客は、あなたの描きたいことに興味がない。
出来れば見たくもない。
それを振り向かせるには?
振り向かせて、世界のなかに入らせるには?
そこで主人公の境遇に共感したり感情移入するには?
そして最後の落ちで腑に落ちるためには?
そこに工夫の余地があるはずなのに、
一切それをやらない。
それを書けば皆がそういう感情になる、とでも思っているようだ。
そのような感情になるのは、引き込まれ、
世界のなかに入り、感情移入したときだけである。
飯を旨そうに食えば、旨そうに見えると思っているバカは、
脚本が書けない。
それは書いたうちに入らない。
何かの羅列を押し付けているだけで、
引き込むことをまるで考えていないのである。
2. ナレーションで自己紹介
短いものには尺の短縮のためよくやる技法だけど、
自己紹介のナレーションで感情移入は出来ないよね。
オフの客観になってしまうからだ。
つまり、感情移入はそのあとからのオンの何かで始まるわけだから、
感情移入がそのぶんまるまる遅れるということになる。
それは始まりの時点で、何秒も何十秒も損している。
出来うるなら台詞のやり取りがある、
緊張度の高い場面からはじめて、
いきなり世界のなかに引きずり込みながら、
全てをセットアップして感情移入へ導いたほうが、
効率的である。
冒頭ナレーションから始めるのは、
それが出来ない下手くそだけである。
3. なぜそれをするのかが分からない
そもそも感情移入がなければ、
目の前の人がやってることを、興味もなくただ眺めるだけの、
たいへん退屈な劇になってしまう。
輪をかけて、
何のためにそれをするのか分からなかったり、
なぜそれをするのか分からなかったり、
何故それを今までやらなかったのか不明だったり、
何故それがベストの方法で他ではダメなのか分からなかったりすると、
もうどうでも良くなってしまう。
理屈が通ってない、と一言で切って捨てられてしまう。
4. ラストが笑顔だから皆が感動すると思っている
これは1とも連関しているけれど、
全くの誤りである。
そんなんで感動するなら、全編笑顔を写していればいいのだ。
物語の感情移入の結果、
たとえば腑に落ちるハッピーエンドだからこそ、
ラストの笑顔はそれの象徴になるのである。
笑顔だから感動するのではない。
ハッピーエンドだから感動するのだ。
ハッピーエンドになるには、
お話に夢中になって、
ラストを心配しなければ意味がない。
どうでもいいストーリーのどうでもいい結末では、
感動もなにもあったものではない。
5. 冒頭の出来事がラストの伏線になっていない
必ずしもそうである必要はないが、
前段の問題がラストに解決されていると、
話がまとまった感じが出るものである。
真の終わりだと自ずからわかるわけだ。
つまり、腑に落ちやすい。
冒頭にナレーション?
それを伏線には出来ないわけだから、それは二重に愚かな書き方だ。
6. 驚きがない
必ずしもなくてよいが、あると観客の感情が動く。
驚きの他に、爆笑や心が痛むことや、
沈痛やワクワクなど、
感情が主方向とは別の方向に大きく振れる何かを作っておくと、
振り巾の豊かな物語に見える。
そして出来ればそれがいくつもあると良い。
無許可でここにさらしたろかと思うほど、
僕は怒っているのだが、自重する。
なんでこんな愚かな脚本を書いて恥じないのかが、
僕には分からない。
下手するとだ、殆んどの素人はこの程度を脚本だと見なしているのかも知れないと思うと、
気が遠くなってしまう。
今後上手に和解して、僕の書いたバージョンと比較して晒せるように努力したい。
(9/21追記。決裂したので話がすすみませんでした。
降板しました)
2016年09月21日
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